弁護士佃克彦の事件ファイル

「石に泳ぐ魚」出版差止事件

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一審判決の反響

 一審判決は、著名な作家である柳さんの初めて書いた小説の出版差止を認めたものであったため、各方面からかなりの反響がありました。
 しかし、数ある反響の中には、判決の意味を取り違えたものや、少し首を傾げたくなるようなものもありました。
 今後の正確な議論のため、以下、私が気づいた点を数点指摘したいと思います。

一審判決に対する誤解

 判決の第一報の際、判決の意味を誤解しているものが若干ありました。それは、今回の判決が出版差止を認めた理由につき、この小説がプライバシー侵害にあたるから出版差止を認めたのだ、と誤解したものです。
 たとえば、東京新聞(99年6月23日朝刊)は、「プライバシー侵害を理由に小説作品の出版を禁じた判決は初めて」としてこの判決を報じ、また、読売新聞には「プライバシー侵害を理由に、小説の出版差止を認めた、おそらく初めての判決だ」との堀部政男教授のコメントが掲載されました(読売新聞6月23日朝刊)。
 プライバシー侵害に基づく出版差止というものは、執筆者の意向とは関係なく、“書かれた内容が被害者に対するプライバシー侵害にあたるので出版を許さない”として有無を言わさず公表を禁止するものなのですが、この一審判決は、そのような判断をしたのではありません。一審判決は、当事者間に“この小説を公表しない”という合意が一旦成立している以上もはや出版してはならない、と判断したに過ぎないのです。つまり、本裁判の前の仮処分手続の中で柳さんが「オリジナル版は公表しない」と約束したために、その約束に基づいて公表を禁じたのです。つまり、あなたは自分の意思で「公表しない」と言った以上、それを覆して公表することはいけませんよ、と宣言しただけなのです。

不可解な批判

 上記のような誤解はせず、一審判決が当事者の不公表の合意に基づく出版差止であることを承知しながら、不可解な批判をする例もありました。
 たとえば松井茂記教授は、雑誌「法律時報」(72巻10号)において、合意に基づき出版差止めを認めた一審判決に対して、
「もし出版しないという契約であれば、その契約に反すればただちに差止めが許されるのであろうか」
と問題提起をし、
「出版の差止めは例外的に厳格な要件をクリアしたときにしか認められるべきではない。」
とした上で、
「もし被告に出版の意図があるのであれば、仮処分手続で合意があったかどうかではなく、被告による出版が原告の名誉やプライヴァシーの権利に回復不可能な重大な損害を与えること、救済として損害賠償ではなく差止めが必要であること、そして表現行為に明らかに免責の余地がないことを、事実とともに認定し、その上で必要最小限度で差止めを認めるべきであったように思われる。」
と結びました。
 つまり松井教授の見解を前提とすれば、出版しないことを一旦約束したとしても、基本的にはその合意を反故にしても許されるのだ、ということになります。
 表現の自由の重要性に鑑みるとき、出版の差止が安易に認められてはならないことは、確かに松井氏の言うとおりでしょう。しかしそれは、当事者の意向とは関係なく強制力によってなす出版の差止の場合の話です。つまり、当事者間の合意によってではなく、権利侵害を理由として命じる差止の場合には、表現の自由を侵害しないよう、その差止の要件は、慎重に厳格な要件を構築しなければならないといえるでしょう。
 しかし、執筆者自身がその意思に基づいて「公表しない」と約束したのであれば、その約束通りの行為を求めたとしても、表現の自由を侵害するものではない筈です。
 松井氏の論法は、表現の自由が大切だ、という命題を強調する余り、不法行為法と契約法との区別ができなくなってしまっているのではないか、との印象を受けます。

柳美里さんは控訴

 一審判決はAさんの全面勝訴ともいうべきものであったため、柳美里さんや出版社はただちに控訴をし、舞台は東京高等裁判所に移りました。

東京高裁編PARTTへつづく

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