弁護士佃克彦の事件ファイル

「石に泳ぐ魚」出版差止事件

(東京高裁編)

PARTT

二審のスタート

 「石に泳ぐ魚」の出版差止と130万円の損害賠償を認めた一審判決に対し、原告であるAさんは控訴をしませんでした。損害賠償額が130万円というのはいかにも低額の感があるので、「賠償額をもっと増やして欲しい」という控訴をすることは、選択肢としてはあり得ました。しかし、もともとAさんの苦しみはお金で癒えるものではありません。その苦しみは、出版の差止によってようやくその拡大を阻止できる性質のものです。ですから、出版差止を宣言してくれた一審判決に敬意を表し、Aさんはその判決に従い、控訴をしないことにしたのです。
 他方、被告である柳さんや出版社側は、全員が一審判決を不服として控訴をしました。
 かくして舞台は東京高裁に移り、第2ラウンドが開始されることになったのです。

控訴人の主張

 控訴審では、控訴をした側が「控訴人」、控訴をされた側が「被控訴人」、と呼び名が変わります。今回は、一審の被告であった柳さんや出版社側が控訴をしたので、彼らが控訴人、原告であったAさんが被控訴人となり、いわば攻守が一審から逆転した形になります。
 控訴審の審理は、99年11月にスタートしました。
 控訴審では、控訴人側(柳さんや出版社)は、差止判決の要となった小説の不公表の合意について、その効力を徹底的に争ってきました。
 ここで、不公表の合意がなされた仮処分手続の経過をおさらいしましょう。
 この事件では、本裁判を起こす前に、Aさんが柳さんに対し、「仮処分」という簡易迅速な裁判手続を起こしていました。この手続は、何年もかけて本裁判で結論を出す前に、暫定的に一定の結論を出す手続です。Aさんとしては、時間をかけて本裁判をやっている途中でこの小説が出版されてしまっては元も子もないので、その前にまずこの仮処分の手続によって出版の差止を求めたのです。
 その仮処分の手続の中で柳さんと出版社は、概要、「“石に泳ぐ魚”のオリジナル版は、出版・放送・上演・映画化等いかなる方法によっても公表しない。公表する場合には、改訂版の通りの訂正を加えたものとする。」という内容の約束をしました。
 この約束を根拠として出版の禁止を命じたのが一審判決だったのですが、柳さんや出版社は控訴審で、この約束の法的効力を否定してきました。
 いわく、この約束は単なる事実上の発言であって法的に出版を差し止める効力はないとか、あるいは、確かに約束をしたかも知れないがその約束は後に無効になった、等です。
 かくして控訴審では、仮処分手続におけるAさんと柳さんとの合意の効力が主要な争点になっていきそうでした。

裁判所からの和解の提案

 不公表の合意の効力を争う控訴人側(柳さん・出版社)の主張に対しては、こちら側も徹底的に反論をしました。
 それに対して更に控訴人側が反論をし、主張を追加し、またまたこちらが再反論し…と、主張の応酬は続きました。
 当事者双方がそのような応酬をしていた途中の2000年3月23日の口頭弁論期日で、裁判所から、和解の勧告がありました。和解とは、判決によらずに訴訟を終了させる手続であり、双方で話し合って一定の紛争解決案を作り上げ、それに従うことを約束して終わりにするものです。
 法廷で裁判長は「この事件は表現の自由にも関わる微妙な判断を含む問題であり、判決という一刀両断の手続よりも双方の話し合いによる解決がふさわしい」と言い、双方に和解を勧告したのです。
 仮に判決になった場合には最高裁まで争われることが必至な本件では、このままではいつまで紛争が長引くか分かりません。早く静かな生活に戻りたいAさんとしては、紛争の早期解決のために和解ができるのであれば、それは喜ばしいことです。
 かくして双方の主張の応酬は一休みし、和解手続に移って、双方の納得できる和解案を作り出すことが、当事者双方と裁判所の課題となりました。

和解の決裂

 和解手続は非公開の手続であり、その内容も基本的には裁判記録には留められません。そういう性質の手続なので、あまり詳細にわたって報告することはできないのですが、骨子はお伝えできます。
 Aさん側の和解条件の基本的なスタンスは、一審判決をベースに、「オリジナル版は出版しないこと」は絶対的に譲れないことであり、これが守られるならば、その代わりに、仮処分手続において柳さん側が書き直して提示してきたもの(「改訂版」)についてはその出版を認めてもよい、というものでした。
 ところが柳さん側は、「改訂版」だと納得できない、というのです。その「改訂版」に更に手を加えたもので出版をしたい、と主張してきました。
 こうして和解手続は、予想通りと言うべきか、最も重要な点で最も深刻な対立を生じてしまいました。
 Aさんにとっては、「改訂版」での出版を認めることは、一日も早く紛争を解決して平穏な生活に戻るために、いわば清水の舞台から飛び降りる気持ちで譲歩したものでした。しかしその気持ちは柳さん側には伝わらず、柳さん側はさらに書き直しをしたいというのです。柳さん側のこの主張によって、Aさんの譲歩の気持ちもぷつりと途切れてしまいました。
 和解は結局、公表を認める作品(「改訂版」か、「改訂版」にさらに手を入れたものか)について合意に達することができず、決裂してしまいました。

つづく

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