前編




俺が前エリュセルト候に攫われたりサザが実は光の精霊だったりと、いろんな事が起きた100年の精霊祭 からしばらく経った日。
キッチンで鼻歌を歌いながら鍋の中をかき混ぜているサザの後ろ姿を俺はリビングのイスに座りながら ジッと見ていた。
俺の視線を感じたのかパッと後ろを振り返ったサザと目が合う。

「あ、坊ちゃん。お腹が空いたんですか?でもまだ夕飯まで時間がありますから もう少し我慢して下さいね」

サザは変わりにこれをとおやつを棚から出して来た。
色んな木の実が入っているパウンドケーキとミルクを入れたコップを俺の目の前に置く。

「あのさ、サザ」
「はい、坊ちゃん」

俺はちょっと気になっていた事をそれとなく聞いてみた。
気になっていた事とは例の100年の精霊祭でサザの代わりに偽の光の精霊を演じた人がサリュート家に 光の精霊の加護を与えた。
それはもちろん本物の加護ではない。
しかも当のサリュート家はその事を知らず、加護を与えてもらったと思っているし、サリュート候の 末娘のマルティナから今も嬉しそうにその時の状況を聞かされるのだ。

「サザは、サリュート家に加護を与えたよな?」

サザはニコッと笑う。

「いいえ。していませんよ」
「え?まだしてないの!?」
「まだというよりするつもりはないですけど」
「何で!?」

俺は思わずガタンっと音を立ててイスから立ち上がった。
サリュート家に加護を与えてくれって随分前に俺、言ったのに。
サザは不思議そうな顔で俺に問うてきた。

「坊ちゃんはなぜ私に加護をさせたがるのですか?」
「だって、だって、他の候達はちゃんとそれぞれの精霊から直接加護を与えてもらっているのに マルティナは、サリュート家は…!」

俺が必死に言っているのにサザはなぜか不機嫌な顔になる。
そして「いいですか、坊ちゃん」と俺に言い聞かせるように言って来た。

「加護など形式なものなのです。加護が全てを護る訳ではありません。所詮、本人の気持ち次第 なのです。加護があるなしに関わらず良い事も悪い事も起きるのですよ」
「で、でもさー。それでもあった方がいいじゃん…」

サザは暫くだまって俺を見つめている。
ふと綺麗な菫色の瞳が伏せられた。
…サザ?

「坊ちゃんがそんなに言うなら良いでしょう。サリュート家に加護を与えましょう」
「本当…!?」

はい、と返事をしたサザだがその変わりにと条件を出して来た。
何だろう…。

「坊ちゃんに私から加護を与えさせて下さい」
「俺に…?」

俺はサザと契約しているから加護なんていらないんじゃないか?
でもそれでサリュート家に加護を与えてもらえるならいっか。
頷いた俺にサザは目を細めニッコリと笑いこちらへと手招きをした。
導かれるままにサザの目の前に立つ。

「目を瞑って下さい」
「目を?」

言われた通り目を閉じた。
すると…。
唇に柔らかい感触が。
なんだ、コレ。
俺は目を思わずパチッと開けてしまった。
………。
なななななーーーーー!!!?

「〜〜っ!!!!?」

目の前にサザのドアップの顔が!!
おおおお俺の口にサザの、サザの口がっ!!!
慌てて離れようとするががっちりと肩を掴まれて逃げられない。
恥ずかしさのあまり顔が一気に熱くなる。

「ふふふ。坊ちゃん、顔が真っ赤になっていますよ」
「ど、どうし、てっ!今、キ、スし、したのっ」

動揺して言葉がうまく話せない。
俺は自分の口を覆いながらサザを見上げた。

「どうしてって直接加護を与えるためですよ。もう一度与えてもいいですか?」
「い、いいっ!今ので十分っ!!」

ぶんぶんと頭を左右に大きく振る。
サザはニコニコ上機嫌に笑いながらキッチンへと戻って行った。











「あれ?」

気が付くと俺は城下町を歩いていた。
あの後、サザと同じ空間にいる事が耐えられなくてふらふらと家を出た事までは覚えていたんだけど。
店の窓ガラスを見るとそこに眉が情けなく垂れている自分の顔が映っている。
それに頬が熱いからまだ赤くなっていると思う。
まさか、直接の加護がキスで与えるなんて知らなかった。
ちょっと心臓がドキドキしている。
胸に手を当ててフウッと息を吐いた時、ん?とある事に思い当った。

「ちょっと待て。候やその家族に与えられる加護がキスでされるなら…」

サザはマルティナやその家族にも…?
そう思った瞬間、すごく嫌なものが身体全体を襲った。
特に胸がきりきりと痛む。
サザがマルティナにキスをしている所を想像してしまってギュッと目を瞑った。

「い、嫌だ!」

でも、今さら…。
散々、サリュート家に加護を与えてと言った手前、しないでなんて言えない。
どうしよう。
途方に暮れとぼとぼと足取り重く歩いていると後ろから名前を呼ばれた。

「おい、アシル」
「あ、闇の精霊」

聞き覚えのあるその声の持ち主は闇の精霊だった。
真っ黒な服を着てその上にも黒いフード付きのマントを付けている。
いつもながら逆に目立つ格好だ。

「珍しいな、お前がこんなところで…ってどうした?顔色が悪いぜ」

別に大丈夫とまたとぼとぼ歩き出すと闇の精霊に腕を掴まれた。
そして一瞬のうちに影に呑みこまれた。

「来い」
「え、ちょっとっ!」

腕を引っ張られて影の中を歩いて行く。
どこに行くつもりなんだろう。
しばらくお互い黙ったまま歩いていると闇の精霊が立ち止まり手を振った。
すると影が渦を巻いて四方に霧散した。
一気に辺りが明るくなる。
影の中から出たようだ。
辺りを見回すとそこは…。
お城の中の一室だった。
一回来た事があるから覚えている。

「あら、アシル」

煌びやかな部屋の豪華なソファーに座っていた水の精霊が俺を見てほほ笑んだ。
薄い水色の長いドレスを揺らしながらやってきて俺の癖のある髪をきれいな ほっそりとした手で撫でた。

「ダルクにまたなにかされたのかしら」
「え?」

泣きそうな顔をしているわと俺を覗き込む。

「おい、アクエルシア。それはどういう事だ」

ムッとした顔の闇の精霊が水の精霊に文句を言った。
俺は水の精霊に闇の精霊のせいではない事を伝える。

「じゃあ、どうしてそんな顔をしているのかなぁ」

ふわりと風が頬を撫でたと思ったら違う所から声が聞こえて来た。
その方へ顔を向けるとバルコニーに出る大きなガラス窓が開いていてそこに風の精霊がニッコリ笑って 立っている。
さっきまでいなかったのに。

「あ、えっと」
「言っちゃった方がすっきりすると思うけど。溜めとくのはよくないよ」

でも…サザがサリュート家にキスをしてほしくないだなんてそんな事、精霊達に言えるわけがない。

「無理じいはよくないぞ」
「おや、フレイ。君までここに来たのかい?」
「ワシもいるぞ」
「あはは、ノイエじぃまで」

火と土の精霊まで来ていつの間にかサザ以外の5精霊が集まった。
みんな暇なんだねぇと風の精霊が笑う。
そしてみんなの視線が俺に集まった。
…うっ!!
言いたくなければ言わなくていいよと言われたけどとても好奇心にあふれている 目を向けられている。
どうしよう。
ちょっとだけ…話そうかな。

「んー、アシルはウィスプレイルにサリュート家の加護をしてほしいと頼んだけど やっぱりしてほしくないと思ってしまったと」

たどたどしく途切れ途切れに説明した俺の言葉を風の精霊がまとめた。
キスの部分は触れずに話せてよかったと胸を撫で下ろす…が。

「で、なんでしてほしくないと思ったわけ?」

えっ。
そこは聞かないで!
それ以上俺は何も言えなくてソファーに座ったまま俯いた。
心配そうにしている水の精霊がギュッとズボンを握りしめる俺の手の上にそっと手を重ねた。

「ねえ、アシル。嫌だったら話さなくてもいいけれど…でも、もし話してくれたら私達が 解決してあげられるかもしれないわ」

優しくほほ笑む水の精霊を見た俺はしばらく考えた末に話してみようかなという気になった。
こうして一人でぐるぐる考えるよりもサザと同じ精霊のみんなに相談する事によってサリュート家 のキスが回避できるかもしれないと思ったんだ。

「え、と。サザからサリュート家へ加護を与えてほしいけど…でも…」

水の精霊が頷き俺の言葉を促す。

「キスをしてほしくないんだ」

俯きながら胸の内を告白すると部屋の中が静まりかえった。
ああ、呆れられたのかな。
これって俺の我がままだもんなぁ。
おそるおそる顔を上げると…。
みんなきょとんっとした顔で俺を見ている。
そんな中、闇の精霊の顔が強張りひくひくと口元が引き攣り出した。

「お、おい。キスって…?」
「え?だから直接加護を与える時にするだろ?」
「するって?」
「キスだよ。口にキス!」

恥ずかしいけど俺がはっきりそう言うと闇の精霊の口が大きく開きー。

「あいつーっ!!また…むぐっ!!」

何かを叫ぼうとしたみたいだけど後ろから風の精霊に手で口を塞がれてしまった。
バタバタと暴れる闇の精霊を身体が細いのに難なく羽交い締めにする風の精霊に質問された。

「それってウィスプレイルに言われたの?」
「言われたっていうか…」

されたというか…。
その時の事を思い出したせいで顔がカアッと熱くなってしまった。
風の精霊はニコニコ笑いながらうんうんと頷く。
あれ?闇の精霊がぐったりしている。
もしかして息が吸えてないんじゃないか?
大丈夫かな。

「よーっし、じゃあ。アシルの悩みを解決してあげよう!」

風の精霊は闇の精霊をパッと離すと俺の目の前に来てズイッと顔を近づけ、チュッと頬にキスをした。
一瞬の事で避ける事が出来なかった俺は目を丸くして叫んだ。

「うわーーーーっ!!」
「あははは!ほらほらみんなもしてして」

他の精霊達の周りをふわりと風が吹くと火の精霊はやれやれと苦笑いをし、水の精霊と土の精霊は お互い顔を見合わせた。
火の精霊の大きい手が俺の前髪を掻き上げた。
パチパチと瞬きをしながら火の精霊を見上げていると、額に唇を落とされる。
俺が固まっている間に水と土の精霊が火の精霊と入れ替わりに来て右と左の手の甲にそれぞれ キスをされた。
一体、精霊たちは何を…。
困惑している俺をよそに風の精霊が酸欠で倒れている闇の精霊を無理矢理起こして 耳元で何か囁く。
すると急に意識が戻った闇の精霊と目がバチっと合った。

「ほら、ダルク。君もしてして」
「………っ、するかっ!!」

拒否した闇の精霊は風の精霊の手を振り払い影の中に消えてしまった。
風の精霊はやれやれと頭を振った。

「まったく、天の邪鬼というか恥ずかしがり屋というか。ま、これでアシルの悩み事は 解消されると思うよ」
「え?」

解消って…。
今ので?

「さて、日が落ちて来たし、アシルをそろそろ家に帰さないとウィスプレイルが心配するからね」

家まで送るよと風の精霊に手を差し出された時、俺の足元から出現した影に襲い掛かられ て闇の精霊の影の中へ連れ込まれる。
目の前にいる闇の精霊にいつもいきなり引きずり込むのはやめろと怒ったが、 完全に無視をされ、送って行くとそっけなく言われた。
闇の精霊は虫の居所が悪いのか最後まで黙ったままだった。
そして歩が止まる。
どうやら家の近くまで着いたようだ。
影がギュルギュルと渦を巻き始める。
その様子を見ていた俺は闇の精霊が近づいて来た事にまったく気付かなかった。

「おい」
「え?」

頬に柔らかい感触がした。
何が起きたのか把握する前に影から出され俺だけ家の前にポツンっと立っていた。
そっと頬に手を当てる。
今のって…今のって!?
バッと辺りを見るが闇の精霊の姿はどこにもなかった。

「坊ちゃん!!」

バンっと家の扉が開き慌てている様子のサザが飛び出してきた。
俺を腕の中に抱き込む。

「サザ…っ」
「こんな遅くまでどこに行っていたんですか!!」
「遅くってまだ日が落ちたばかりだろ」
「とにかく中へ…」

俺を家の中へ入れようとしたサザだが急に動きを止め低い声を出した。

「坊ちゃん、一体どこへ行っていたんですか?」

あ、あああああ…。
大変だ〜。
サザからウィスプレイルになろうとしている。
なんでそんなに怒っているのか分からない。
黙っていると手を掴まれて俺の部屋へと連れて行かれた。
そして何かを唱えたサザはチッと舌打ちした。
俺は思わずビクっと身体が揺れる。
こ、恐い…。




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