冷たくて硬い感触を頬で感じながら目を開けた。
ーっぅ!
頭いってぇー。
ガンガンと頭を叩かれるような頭痛に顔を顰めながら上半身を起した。
うす暗くて湿気があり肌寒い。
石の壁と石の床、外に出れないように囲んでいるのは鉄格子。
どう見ても牢の中に俺はいた。

「なんで俺がこんな所に」

髪止めを黒服の男達に渡しに行っただけなのに何でこんな目に遭うんだよ!
あっ!!
上着のポケットに手を突っ込むが髪止めがなかった。
くっそー、人攫いが奪ったのか!?
俺は鉄格子を掴み叫んだ。

「おーーーいっ!!俺をここから出せー!!バカヤロ―!!髪止め返せー!!」

何度も叫ぶが声が牢に響くだけで誰も来なかった。
はあっと溜息を吐いた時。

「ひっひっひっ。坊主、捕まったのかい」

うわっ!ビビった!
突然聞こえて来た声に俺は驚いた。
薄暗くて良く見えないが目を凝らしてよーく見ると通路を挟んで向かいにある牢の中に 小さい人影があった。

「だ、誰…?」
「坊主、ワシじゃよ。骨董市でワシから髪止めを買ったじゃろ」
「あ…。あーーー!!あの時の婆ちゃんか!?」

んっ?
何で婆ちゃんがここにいるんだ?

「どうして…」
「ふんっ。昨日雨が強まって来たから店じまいをして家に帰っている途中に 黒服の男達が髪止めを返せと言って来よった。だが坊主に売ってしまった後だったから 無いと言ったら無理矢理連れ去られてここに放り込まれたんじゃ。坊主の特徴を聞かれて 答えないと殺すと脅されてしまっての」

なんだって!?
じゃあ、俺をここに連れ去ったのは…っ!

遠くの方からカツンカツンと足音が聞こえてきた。
ハッとその音に身構える。
…やっぱり。
俺の目の前に髪止めを教会へ持って来るようにと言った黒服の男達が手にランプを 持って現れた。

「起きたのか」
「髪止めは持って来ただろ!?何でこんな事を!」
「あの髪止めが外に出た事が知られるとまずい事になる」

牢の鍵が開けられ黒服の男が入って来た。
そして懐に手を入れる。
ゆっくりと手を抜くとナイフが握られていた。

「まさか…俺を殺すのか」
「まだ寝ていれば何も知らずに死ねたのにな」
「バ、バレたら捕まるんだぞ…!」

声を震わせる俺に黒服の男は笑った。

「誰にバレるんだ?ここには俺達とお前が死んだ後に殺される老婆しかいないのに」
「俺が帰らなかったら家族が不審に思うだろ!」
「安心しろ。お前は暴漢に襲われて殺された哀れな少年としてその辺に捨て置いてやる」

こ、こいつら正気かよ!
俺はじりじりと壁に追い詰められ逃げ場がなくなる。
婆ちゃんが黒服の男に向かって叫んだ。

「止めぬか!まだ子供じゃぞ!」
「婆さんもこの後殺してやるから静かに待ってろ」
「このバカ者がぁっ!精霊さまのバチが当たるぞっ!」

黒服の男はうるさそうに顔を顰め鋭いナイフの切っ先を俺に向けた。
絶体絶命のこの状況に身体の末端が一気に冷たくなっていく。
嫌だ…っ。
殺されたくなんかない。
俺が今ここで死んでしまったらもうみんなに会えなくなる。
サザにも会えないんだ…っ。
そんなのは嫌だ!
ずっとずっとサザと一緒にいたいんだ!!

「じゃあな」

黒服の男がナイフを振り落とした。 
俺に向かってくるナイフがスローモーションのようにゆっくりと近づいて来る。
そんな不思議な感覚の中で昔のサザと幼い頃の俺の声が脳裏に響いて来た。

『坊ちゃん』
『なぁに?』
『坊ちゃんにとっておきの呪文を教えましょうね』
『じゅもん…っ!?』
『そうです。この事は私と坊ちゃんの秘密ですよ』
『うんっ!!』
『もしも、坊ちゃんが困った時、どうしようもならなくなった時、誰も助けてくれる人が いなかった時に唱えるのですよ』
『うんっ!!』
『その呪文は…』
『そのじゅもんは?』


『「ウィスプレイル」』


過去のサザの声と今の俺の声が重なり合ったその瞬間、全てを呑み込む程の眩い光に包まれる。
ギュウッと目を瞑っていたが少し経っておそるおそる瞼を上げた。
目の前で宙に浮いている光輝く紋章に俺は目を見開いた。
これは…。
その紋章はマルティナの家の家紋と同じだった。

「あっ…!」

だんだんと光が弱くなっていき紋章は消えてしまった。
辺りを見渡せば黒服の男達は石の床に倒れていて動かない。
そっと近づいて様子をみる。
どうやら気を失っているようだ。
俺は黒服の男の傍に落ちている鍵を拾うとそれを使って牢から出た。 そして向かいの牢の鍵を開け気を失っている婆ちゃんを揺さぶって起こす。

「婆ちゃん、婆ちゃん、起きて!逃げるぞ!」
「…うむ?」
「ほらっ立って!今のうちに逃げるの!」

状況を把握できていない婆ちゃんの手を引いて牢から出た。
薄暗い通路を進むと階段がありそれを上ると地上に出れた。
外はすでに夜になっていて月と星が綺麗に輝いていた。
俺と婆ちゃんが出て来た所をみると四角い両開きの鉄製の扉を石のブロックが囲んでいる。
その周りは草むらだ。
少し離れた所に大きな屋敷がありいくつもの明りが窓から灯っていた。

「大きな屋敷じゃの」
「出口はどこだろ?」

婆ちゃんと一緒に出口を探していると犬の吠える声がして来た。
え?な、何だ!?

「坊主、まずいぞ。番犬が騒ぎ始めておる」

や、やばいっ!
早く敷地の外に出ないと!
焦る俺の目の前に勢いよく一匹の黒い犬が駆けて来た。
無駄な肉を削ぎ落としているスリムで大きいその犬は威嚇するように俺達へ鋭い歯を 剥き出しながら唸っている。
そしていつでも飛び掛かれるように構えた。
動いたら噛まれると思う恐怖に身を竦ませている間に二匹、三匹と犬の数が増えていった。

「精霊さま〜お助け下され〜」
「婆ちゃんっ精霊に祈っている場合じゃないって!」

手を合わせて拝み始めた婆ちゃんに突っ込んだ時、さっきの呪文を思い出した。
そ、そうだっ。
俺にはとっておきの呪文があるんだ!
犬なんて怖くないぞ!
俺は犬達に向かって叫んだ。

「ウィスプレイルっ!」

……。

シーーーーーン。

えええええ〜っ!!?
ちょっ、ちょっと!
何も起こらないぞっ。
発音が悪かったのかと思い、何度も何度も言うが結果は同じだった。
そうこうしているうちにギラリと目を光らせた犬が口を大きく開けて襲い掛かって来た。
俺は咄嗟に腕で顔を庇ってギュッと目を瞑った。

「―――っ!!」

身体に痛みが来る事を覚悟していたがきゃうんっという犬の情けない声を聞いてそっと目を 開けると…。

え?
どうして?
何で、ここに?

「サザ…?」

返事の代わりに金色の長い髪が風にふわりと揺れた。




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