「はぁ……」

満月の綺麗な夜、ほろ酔い加減で住宅街を歩く俺は自分の家の前に着くと俯きながら溜息を吐いた。
大学の飲み会で幹事が連れて来た女子大のかわいい女の子達と盛り上がったというのに、 その一人から携帯の番号も渡されたっていうのに、俺の心は深く沈んでいる。
なぜだろうなんて考えなくても原因はすでに分かっている……。
俺はのろのろと顔を上げ隣の家を見た。
正確には二階にある幼馴染みの部屋の窓を。
そしてまた溜息を吐いた。

「あーくそっ!」

自分で言うのもなんだが俺の容姿は整っている方だ。
高校の時は弱小部だったがバスケ部のキャプテンをしていて 女子からはキャーキャー言われててちょっとしたファンクラブみたいなものもあった。
もちろん告白だってされた事はある。
彼女もいたしさ。
それなのに……。

「あれー?由也じゃん」

突然の声にドキッと心臓が跳ね上がる。
声のした方向を振り返ると……。
制服姿で肩にスポーツバッグを掛けている幼馴染みの護が街灯の下にいた。
目の前まで来た護は俺を見下ろす。
幼い頃は3つ年下というのもあって俺より小さかったのにこいつが高校生になったくらいから 急に身長が伸び始め、今じゃ10センチくらい差がある。
別に俺が小さいわけではない。
こいつがでかいだけだ。

「おい、護。いつも言っているが俺を呼び捨てにするな」
「えー、だって由也は由也だろ?」
「昔は由也兄ちゃんって言ってただろ!」
「いいじゃん由也で。そんな事よりさー」

そんな事だと!?
まがりなりにもコイツは俺の通っていた高校でバスケ部のキャプテンをしている。
上下関係が厳しい運動部でこんな軽い態度の護が後輩達をきちんと指導しているのか キャプテンを担っていた俺はとても心配になってきた。

「ん?お前、何してんの?」
「え?家に入ろうとしてんだけど」

きょとんっとした顔で護は俺の家の門に手を掛けている。

「護の家は隣だろ!そこは俺の家!」
「そんなの知ってるよ」

ものすごく呆れた顔をしている護に思わず蹴りを入れようとしたがなぜかこいつのカバンから 俺の家の鍵が出てきてドアを開けたところを見た瞬間、空ぶった。

「おいおいおい、何でお前が俺の家の鍵を持ってんだよ!」

勝手に家に上がり込んだ護を急いで追いかける。
しかし護は軽い足取りで二階に上がって行き、俺の部屋に入ると荷物を置いた。

「はい、これ」

渡されたのはさっき使った家の鍵。
俺の横を通り抜けて部屋から出た護が振り返る。

「由也、何か飲む?」
「あー、ウーロン茶」

はいよーっと返事をしながら階段を下りて行く。
いやいやいや!ちょっと待て!!
ここは俺の家!!
突っ込む事が多過ぎて若干、頭の中が整理できていない。
それに酒も入っているから平衡感覚が鈍っている。
また追いかけるよりもここで待機して護を待ち構えていた方がいいだろう。
ベッドにダイブして少し休憩する。
うつ伏せに倒れていると首筋に冷たいものが触れて思わず反射的に顔を上げた。

「冷てっ!!」
「ほら、ウーロン茶」

ご丁寧に氷まで入れてくれているグラスを受け取る。
ベッドの上で一気飲みをした。
すると酒がまわっている頭が少しすっきりする。

「……で?護はどうして鍵を持ってたんだ?」
「あー。朝、おばさんに渡された」
「お袋が?」
「うん。俺の母さんと父さんが田舎の結婚式に行っててそのまま向こうに泊るって聞いたらしくてさ、 じゃあ、由也も家に一人だし一緒にいてあげてって」

確かに親父は出張中で看護師のお袋は今夜、夜勤があるから家に帰って来ない。
だが、俺は小学生じゃないんだぞ。
もう大学生2年だぞ。
しかも今日俺が家に戻って来なかったらって考えなかったのか?
なんかお袋も護と似たところがあって考え方が自由奔放だしな。
カップアイスを頬張っている護をジッと見ていたらスッと目線をこちらに移してきた。

「何?」
「えっ?あ、えーっと。そうだ、お前夕飯は?」
「大丈夫。先生が差し入れ持ってきてくれたから」
「そっか。今度の試合勝てそうか?」

俺の言葉を聞いて護は不敵に笑った。
誰に言ってんの?という顔をしている。
惜しくも俺が引退した3年の時、そして護が入部した1年の時からバスケ部はどんどん力を 付けていき次の年には県大会出場まで果たした。
あんなに弱かったバスケ部が今では全国大会も夢ではなくなっている……。
護が丸めたカップをゴミ箱に投げた。
もちろん綺麗に弧を描いて中に入る。
おもむろに立ち上がった護は疲れているのか目を細めてゆっくりと息を吐き、 風呂に入って来ると言ってスポーツバッグを手に取り部屋を出て行った。

「帰ったか」

ベッドの上に胡坐をかいていた俺はそのまま倒れてごろりと横になった。
そして今まで護がいた場所を見つめ、呟いた。

「……生意気だ」

あの態度も、強くなったバスケ部のキャプテンをしている事も、この俺を……振り回している事も。
いつもは少年のような護がふとした瞬間に男の顔を見せるようになった。
いつからだろう。
そんな護を見て心臓がドキドキと鳴り始めたのは。
護はかなりのイケメンだ。
身長もあって県大会も出場しているキャプテンだからやはり女の子にキャーキャー騒がれている。
本人の前では言わないが俺以上にモテている。
いつからだろう。
護が女の子と二人っきりでいるところを見るとすごく悲しくなったのは。
もちろんそんな自分自身に驚いた。
だって相手は男だぞ。
しかも年下の幼馴染みだ。
護に向けている感情を認めたくなかった。
だから俺を好きだと言ってくれた女の子と付き合った。
きっとその子を好きになると思って。
だけど……。

―私の事、何も想ってないでしょ?他に好きな人がいるんじゃないの?

女は鋭い。
肯定も否定も出来ない俺に平手打ちをしてその子は去って行った。
その時の痛みまで思い出してしまいそっと頬を撫でる。
認める事が出来たらどんなに簡単か。
自分の気持ちを否定し気付かない振りを続ける毎日を送っていたが 確実に認めてはいけない感情は大きくなっていった。
心の中が一杯になって苦しくて痛くて涙が出そうになる程に。
楽になりたい。
もう言ってしまおうか。
でもそうしたらきっと護との繋がりは切れるだろう。
幼馴染みとして築いてきた関係は一瞬にして消える。
それを考えたら破裂しそうな心がぎゅーっと鷲掴みにされてまた涙が出そうになり目を瞑った。

「キモイか……」

今日の飲み会で女の子に見向きもされなかった友人二人がふざけて 抱きついてお互いを慰め合い、だんだんエスカレートしてキスをする真似までした。
するとみんながキモイと騒ぎ出した。
自分が言われたわけではないのにその言葉にダメージを受けた。
その影響で俺の顔は引き攣っていたんだと思う。
誰かが由也もドン引きしてるぞ!と大声を上げた。
勘違いをしてくれて助かったが……それからずっと気分が重しを付けたように沈んでしまった。
だからこそ二次会に行く気分にならなくて俺はみんなと別れて家に帰って来たんだが まさかそこで護と会うなんて……。

「ねぇ、寝ちゃったの?」
「うわっ!!」

目を閉じていた俺は間近で聞こえてきた声にビックリして飛び起きた。
ベッド脇に立っているのは風呂上がりの護。
Tシャツにハーフパンツの格好で首にタオルを掛けている。

「お、お前……家に帰ったんじゃ」
「風呂に入って来るって言ったじゃん」

手に持っているペットボトルのスポーツドリンクを開け 喉を鳴らして飲み始めた。
筋肉が綺麗に付いている身体はほんのり上気していて、きちんと乾かしていない黒い髪の先から水滴が嚥下して動いている喉仏の近くを伝って鎖骨のくぼみに流れ込む。
その光景に目が離せなかった。
ふと護の目が細められて俺を見た。
や、やべっ。
慌てて目を逸らしたがやっぱり見てた事はバレていた。

「ジーッと見られてると飲みづらいんだけど」
「み、見てねぇよ」
「見てたじゃん。ガン見で」
「見てねぇ」

護はベッドの上に手を付き俺に顔を近づける。
そ、そんなに近寄んな!

「見てた」
「しつけえな!もうどうでもいいだろ」

至近距離でジーッと見られているのが限界で視界を遮るために護の首にかけてあるタオルを掴んで 濡れている髪をわしゃわしゃと拭き始めた。

「わ、何すんの」
「お前、濡れ過ぎなんだよ。ベッドに水滴が落ちる」

案外、護はそのままの体勢で大人しく拭かれている。
しばらくしてもういいだろうと動かしていた手を止めたら俺の手の上に護の手が重なった。
そのままタオルごと護の顔の前からどかされると黒髪の間から目が覗いていた。
高校生とは思えない大人びている男の目に見られて思わず固まった。
しばらくお互い見つめ合う形になってしまう。
とても長い時間を感じた後、先に動いたのは護だ。
俺から離れて頭の上に被せてあったタオルを取りベッドサイドに腰掛け直すと 少し間を空けて話しかけてきた。

「由也、今度の試合応援に来てよ」
「し、試合?」
「県大会」
「ああ、あー……」
「何だよ、その返事。前は応援に来てくれたのに最近来てくれないよな」

ちょっと拗ねたように言う護に苦笑いをした。
俺が応援に行かなくなったのはこいつに対する感情を自覚し始めた時からだ。
あそこに行けばこいつに近づく女の子達をうらやましく感じたり嫉妬したりしてそんな自分が嫌だった から。

「宇田先輩がこの間試合の応援に来てさ、由也に会いたいって言ってた」
「宇田が?」

宇田は高校の時の一つ下のバスケ部の後輩で俺が引退した後、キャプテンを務めたやつだ。
そして宇田が3年、護が2年になると初めて県大会に出場した。
俺が成し遂げられなかった事をあいつはやってくれた。

「あいつは凄いよな……」

ポツリと呟くと護は違う!といきなり大きな声を出した。

「な、なんだよ」
「違う!凄いのは宇田先輩じゃない」

まさかこいつ自分が凄いとでも言いたいのか?
確かに護はすごい才能を持っている。
高校生になってバスケを初めてやったっていうのにあっという間に誰よりも 上手くなった。
宇田からキャプテンを譲り受け、バスケ部を全国大会目前までのレベルにしたのは護だ。

「護も凄いよ。良く頑張ってる」

簡単にやっているようで何気に護は努力家だ。
その事を知っているから俺は褒めた。
それなのに唸った護はぐしゃぐしゃと自分の髪をかき混ぜた。

「そうじゃなくてさっ」
「え?」
「いや、宇田先輩も俺も凄いけど……」
「お前、何が言いたいんだよ」
「だから、誰よりも凄いのは由也だよ!」
「はぁ?」

俺のどこが凄いんだ?
思わず間の抜けた声を出してしまったじゃないか。

「宇田先輩の時に県大会に行けたのも今、全国大会目前なのも由也が部員を徹底して 基礎を築き上げてくれたからだ。だから今の俺達がある」

護が真剣な目で俺を射抜く。
思ってもみない言葉に驚いて黙っていると溜息を吐かれた。

「分かってないでしょ。由也は自分の代に部を強く出来なかったって思っているかもしれないけど そうじゃないんだ。結果が目に見えてなかっただけで確実にみんな強くなっていた。 その成果が出たのが由也が引退した後だったんだ。みんな由也に感謝してんだからな!」
「うん……。そ、そうか。で、なんでお前は俺の上に、の、乗ってんだ?」

護が俺を高く評価してくれていた。
本当はすごくうれしい事なんだが……興奮しながら話している護が俺を押し倒して脚の上に 跨ってきてそれどころじゃなくなってしまった。
かなり動揺して言葉がどもってしまう。

「宇田先輩が今の一年にずっと由也の事を話しててさ」
「お、俺の事を?」
「他人にも自分にも厳しくて責任感が強くて悩んだりしていると気さくに相談にのってくれたり 仲間同士でぶつかると後腐れもなく解決するどころかより絆を深めてくれるって」

そこまで褒められると……なんだか照れるな。
顔がにやけそうになっている俺に対してなぜか護の機嫌が悪い。
というかいつまで俺の上に乗っているんだ。
ぶすっとした顔をしている護を手で押した。

「護、お前いい加減にどけよ」
「しかも由也の事、好きだなんて言い出すんだぜ。キモイっつーの」
「……っ!」

キモイ……。
護の口からその言葉を聞いて顔が引きつった。




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