前編 最近、バニーの様子がおかしい。どんな感じにおかしいのかというとだな。 例えば、アポロンメディアの部署内での出来事だ。 バニーが雑誌を読んでいたから何を見ているのか気になって背後から身を乗り出して覗きこむと。 「ちょっと、いきなり何ですか!?」 「え? いや……」 「雑誌が見たいんですか? はい、どうぞ」 押し付けるように俺に雑誌を渡したバニーはイスから立ち上がってどこかに行ってしまった。 ……単に何を見てんのかなーって思っただけなんだが。 手元にある雑誌をチラッとみてうーんと唸った。 例えばトレーニングルームでの出来事だ。 トレーニングが終わって何気なくバニーの肩に腕を回して話しかけた時、明らかにバニーの身体が硬直した。 どうしたんだ? と心配になっていると腕を払われて遠ざかられた。 フレームを押し上げながら俯き加減で横を向いているバニーが感情を抑えるように震えている。 「バ、バニー?」 バニーは何も言わずその場を立ち去った。 一体、何があったんだ。 こんな感じな事が最近続いてるもんだからさすがに気になってしまい、俺に何か原因があるのかと考えてしまう。 でも不思議な事に出動要請があって犯人たちを捕まえたりしている時はバニーにこんな態度は見られないし、お互い協力し合ってポイントも多く取っている。 なので余計に俺は混乱した。 そんなある日。 一人で行きつけのバーのカウンターで酒を飲んでいると後ろのテーブル席にいる若い女の子達の盛り上がっている声が耳に聞こえてきた。 グラスを傾けながら何気なく聞いていると、思わず振り返ってしまうほどその内容に衝撃が走った。 一人の女の子と目が合い、我に返ってそっと身体を前に戻したがその子達の会話を漏らさず耳に入れようと集中する。 なぜなら、そこにバニーが俺に対しておかしな態度を取っていると思われる答えがあったからだ。 「えー、マジでー」 「そうなのっ! もー最悪なんだから」 「でもさー、満員電車の中とか逃げ道がないよねー」 「隣にいた日には朝からぐったりだよ」 「そのおじさん自覚してないんじゃないの?」 「かもねー、ああいうのって人に言われないとなかなか気付かないのかなー」 「あんた、面と向かって言ってやったら? 加齢臭が酷いんですけどって」 「それが言えたらこんなに悩んだりしないわよー」 「それもそっか」 女の子達の話しはそれで終了になったらしくまた別の会話ではしゃぎ始めた。 衝撃を受けた俺はまさか……と冷や汗を流す。 空のグラスを握りしめている俺にバーテンダーが酒を勧めてきたが頭を振り、金を置いてバーから出た。 その後、どうやって家に帰ってきたのか記憶にない。ただ、ソファーに座って呆然としていた。 「か、加齢臭……」 俺の頭の中でその言葉がずっとぐるぐる回っている。 だからか……。 だからバニーは俺が近づくと逃げるのか。 じゃあ、ヒーローの時は? と考えてハッとする。 そうだ、ヒーロースーツを着ているから匂いが直接しないんだ。 そういう事だったのかっ。 頭を抱えて項垂れていたがいつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。 なんとか対策を練らないと……。 取り合えず、風呂に入って身体を洗った。 特に臭いを発生させるといわれている頭や耳の後ろなどはいつも以上に念入りに洗う。 そして寝る時に枕の匂いをチェックしたが……特に臭うって事はない。 これは自分が嗅いでいるから分からないだけなのか? と思って枕カバーを替え就寝した。 次の日、出社するとすでにバニーがディスクで仕事をしていた。 俺はおそるおそる近づいて行く。 大丈夫、大丈夫だ。 念のため朝も風呂に入ってきたんだからな! ごく自然に肩にポンッと手を置き、おはよう! と元気良く声を掛けた。 バニーが振り返って挨拶を返してくる。 おおっ、いいんじゃねーか? よし、とパソコンを覗きこむようして何を見てんだ? と顔を近づけた瞬間。 ガタンっと音を立ててバニーが立ち上がった。 え……? バニーは唇を震わせながら時折言葉にならない声を漏らしている。 「バニー?」 「ぼ、僕に不用意に近づかないで下さいっ!!」 バンっと机を手のひらで叩いたバニーは部署を出て行ってしまった。 取り残された俺はポカンっと口を開けて固まってしまう。 そしてガクッと項垂れた。 あぁ……。 まだ、臭うのか……。 ヘコんでいると後ろにいる経理のおばさんから仕事をしなさいよ! という注意する声がしたがそれどころじゃない俺はそのまま会社をふらふらと出て行った。 通勤時間はとっくに過ぎているがそれでもそれなりに人が多く道を歩いている。 なるべく俺は人と距離を保つように気を付けた。 あからさまに嫌な顔をされたり臭いだなんて直接言われたら立ち直れねえ……。 はあ、と溜息をついた時、見知っている人物が。 ビシッとスーツを着こなし長い髪を後ろに縛って颯爽と歩いているのは俺もよくお世話になっている、ヒーロー管理官兼裁判官のユーリ・ペトロフだ。 向こうも俺に気付いたようで意外そうな顔で近づいて来る。 「おや、こんな所でお会いするなんて」 「あ、どもー。いつもお世話になってます」 「こちらこそ。今から外回りなのですか?」 「ええ、そうなんですよ!」 さすがに会社を抜け出して来たなんて言えない。 俺の言葉に頷いている裁判官殿にそういえば……と話し掛ける。 「珍しいですね。こんなオフィス街にいるなんて」 「そうですか?」 「なんだろ、いつも司法局にいる感じがするから」 俺がそう言うとクスリと笑う。 「いつも司法局にいるわけではありませんよ。必要となればこうして貴方と同じように外に出る事もあります」 「そうですよねー」 あはははー、と愛想笑いをしつつ一歩後ろに下がった。 だってよ、いつもなら気にしない距離感だが今の俺は重大な問題を抱えているからさ。 相手に不快な気持ちをさせないための配慮だ。 それなのに裁判官殿はなぜか一歩前に出る。 あれ? と思ってまた後退すると同じ分だけ近づいて来る。 そうしている間に建物の壁に背中が当たった。 「えっと、その……」 「どうされたんですか?」 「いや、あの……」 臭うので近づかないで下さいとも言いだせず。 不思議そうに俺を見ている裁判官殿がさらに顔を近づけて来たので慌てて押し返す。 「ッダ!! だだだダメですって! これ以上は近づかないで下さい!! 貴方の為です!!」 「私の為?」 「そうです!」 壁伝いに横へ移動をしていくとガシッと腕を取られてしまった。 驚いていると、まるで法廷にいる時の強い視線で真っ直ぐ見られ、私に関与するのでしたらどうかその理由を、と嘘など吐く事は許されない雰囲気が俺を包み込む。 俺は逡巡した後、口を開いた。 「え、えっと……言いにくい事なんですが」 「はい」 「俺、今臭うんですよ……」 「匂う?」 裁判官殿は首を傾げ、すんっと鼻を動かした。 うおっ! 嗅がないでくれっ!! 反射的に逃げようとするが掴まれている手が以外にも強くて離れず、逆に引き寄せられた。 ドンっとお互いの身体がぶつかる。 ひーーーっ! 勘弁してくれ! これでものすごく嫌な顔をされたらと想像すると傷ついている心がもっと深く抉られてしまうじゃないか! しかしそっと窺うと、裁判官殿はなぜか笑んでいた。 「ええ、匂いますね」 「―――っ!!?」 それって笑って言う事か!? まさかの不意を突いた攻撃に俺の心は一瞬にしてゴナゴナに砕けた。 ものすごくショックを受けた顔をしている俺にどうしたんですか? だなんて聞いて来やがった。 どうしたんですか? じゃねーよ!! 俺はやけになって臭いんですから離れて下さいよと未だに密着している裁判官殿を押した。 すると臭い? と聞き返してくる。 なんだよ、あんたがさっき臭うって言ったじゃねーか。 「臭いだなんて……貴方からはいい匂いがしますよ」 「は?」 「石鹸のいい匂いが」 するっと白い手が俺の頬を撫でる。 いい匂い? まさかっ。半信半疑の俺は本当に? と確認を取るとニコリと笑って頷いた。 「そもそもなぜそんなに匂いを気にしているんですか?」 「えっと……その」 俺はバニーの名を出さずに最近友人に近づくと避けられるからもしかしたら加齢臭が原因じゃないかと悩みを打ち明けた。 ふむ、と少し考えた裁判官殿が俺の腕を取り、人気のない細い路地の方へと引っ張っていく。 「あの?」 「貴方は自分から加齢臭がしているのではないかと悩んでいるのでしょう?」 「そ、そうですけど」 「私が確かめましょう」 「ちょっと、裁判官殿っ!」 俺がそう呼ぶと首筋へ顔を寄せた裁判官殿が呆れたような声を出した。 「裁判官殿はないでしょう。私の名前はご存知ですよね?」 「あ、ユーリ・ペトロフ……さん」 「ユーリ、と」 怪しく目を細めたユーリが鼻先を俺の耳の後ろへそっと付けた。 こ、これは一体なんなんだ。 硬直している間に髪に手を入れられて撫でられる。 ツッと項に指が這ってゾワッと総毛立った。 ひぃっ!! 思わず突き飛ばしそうになるがその前にユーリが俺から離れる。 「大丈夫ですよ。やはり貴方からは石鹸の匂いしかしません」 「ほ、本当ですか?」 「ええ」 不安そうな顔を浮かべていると、ユーリが思い出したようにあっと小さく声を上げた。 「そういえば加齢臭は胸からもするというのを聞いた事があります」 「胸?」 「はい」 俺は自分の胸を見下ろしてシャツを掴んだ。ここからもするのか。 顔を上げるといつの間にかすぐ目の前にユーリが。 そこも確かめましょうか? と聞いてきた。 自分で嗅ぐにはちょっと鼻が届かないよな。 どうしようかと迷っているとまだ肯定してないのに手が伸びて来てネクタイに指が掛かり緩められた。 main next |