ロナ、ロナ、と俺を呼ぶ声が聞こえる。
夜遅くまで飼い猫探しをしていた俺は、もう少しベッドで眠っていたかったので、聞こえないふりをした。

「寝たふりをしても駄目だよ、ロナ。今日は朝から、ドムじいさんのところで店の手伝いをするって、言ってたでしょ?」
「あ〜、そうだった」

嫌々、上半身を起こして、眠い目を擦る。
ギシリと音を立てて、ミケラがベッドに座り、俺の肩を引き寄せて、頬にキスをする。

「おはよう、ロナ。朝ごはんが出来てるよ」
「……ん」

返事をしてベッドから下りた。
欠伸をしながら、にこにこ笑っているミケラを見る。
俺は昔、このオルドニア王国、王都ダルトで騎士になる為に田舎から、はるばるやって来て、試験を受けていた。
幼い頃、占術者に、お前は世界を救う者になる、と言われ、信じてしまった七歳の頃から剣術を学び、試験が受けられる十六歳から毎年受験していたけれど、二十二歳になっても夢は叶わずにいた。
そして五年前の二十三歳の時も不合格。
そろそろ現実を見ようと思っていた時、王都の路地裏でボロボロになって倒れていたミケラを拾った。
ミケラはこれまで酷い扱いを受けて来たようで瞳は絶望の色に染め、人間に対する憎悪が身体から溢れていた。
歳を聞けば、十三歳だという。
俺はすぐにミケラを抱えて、宿屋に行き、風呂で綺麗にして、食堂でご飯を食べさせた。
数日が経つと、血色も良くなって、体重が増えていった。そして徐々に心も開いてくれるようになった。
その頃になると絶望で濁っていた蒼の瞳は澄んだ色に変わり、人間に対する憎悪も消えていった。

「ロナ、どうしたの?ご機嫌だね」
「うん」

良く笑うようになったミケラに、嬉しくなってしまって、自然に俺も笑っていたみたいだ。
頬を触りながら洗面所へと行こうとすると、後ろから抱き締められた。

「何で今、笑ったの?」

俺の行動一つ一つが気になるミケラは、己に分からない事があると、こうやって拘束して、その理由を知るまで離さない。

「ミケラが笑うようになって嬉しいって思っただけだ。あの時に出会えて良かった」
「本当にそうだね。もしもロナに拾われなかったら、きっと俺はこの王国や世界を呪って、全てを破壊し尽くしていたと思うよ」
「何を言ってんだよ。王国の騎士師団長様が」

ミケラは俺がなりたかった騎士の夢を継いで叶えてくれた。
しかも十六歳の時、初めての試験で合格して、十八歳になった今年には、国王から剣を直々に下賜された。
第五騎士師団長にも選ばれて、華々しい未来を歩んでいる。
小さかったミケラは大きく逞しく育って、俺の身長を軽く追い越し、今では見上げる程、高くなってしまった。
すっぽりと抱きこまれている身体に密着する、ミケラのしなやかな筋肉に嫉妬する。
いくら鍛えても俺は筋肉がつきにくいのだ。

「また、何か考えている」
「ほら、遅れたら俺、ドムじいさんに怒られるから」
「だめ」

きゅっと眉間に皺を寄せて、抱き締める腕に力を入れ、後ろから覗き込んでくる。
顔を横に向けると、間近で蒼眼と目が合った。
大天使様と老若男女から騒がれている、美しい顔がすぐそこにある。
艶のあるハニーブロンドが窓から入って来る朝日に当たってキラキラと輝いている。
高くて美しい鼻が俺の頬を突っつく。これは俺に甘えているのだ。ミケラは十八歳になっても甘え癖が直らない。
十三歳の時から養ってはいたが、ミケラが騎士になり、俺以上の給金を貰っているので、独り立ちを勧めると、貯めた金で立派な屋敷を買った。
メイドや料理人、執事付きだ。
そこまでは良かったのだが、なぜか俺の部屋まで用意されていて、攫われるように連れて来られ、結局、今日も一緒にいる。
機会をみながら俺から離れる事を説得しているのだが、その途端に捨てられたような顔になってしまうので、つい強く言えないのが現状だ。

「ミケラ」

ちゅっと音を立てて、すぐ傍にある頬にキスをした。
ミケラの蒼眼が丸くなる。独り立ちを勧めてから、俺からキスをする事は、ほとんどなくなったので、驚いたのだろう。
腕が緩んだその隙に、ミケラから離れた。

「また勲章を貰ったんだってな。おめでとう」

騎士服の胸元についている勲章が一つ増えていた。
精鋭揃いの騎士師団長の中で、一番活躍した者に与えられる輝かしい章の証しだ。

「勲章なんてどうでもよかったけど、まさかロナからキスをしてくれるなんて……」

ミケラは顔を両手で覆って感極まっている。

「どうでもいいって……お前な。そんな事を他の騎士には言うなよ。ほら、ミケラ。食堂に行くぞ。仕事に遅れる」
「ロナ。また、勲章を貰ったらキスしてくれる?」

否定すればいつまで経ってもこのまま動かなそうだったので頷いておいた。




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