前編




はぁ〜、父さんはいつになったら俺に料理を作らせてくれるんだろ。
セルファード家の厨房で見習いのコミとして何年も働いているが未だに洗いものや、料理の下ごしらえ ぐらいしかさせてくれない。
たまに屋敷で働いてるみんなのご飯を作る時、手伝わせてもらえるけどやはり 主が口にするものをこの手で作りたい。
そろそろオードブルぐらいは挑戦したいんだ。
そしてこの屋敷の主であるセルファード公に食べてもらえたら…。

「痛っ!」
「おい、リック。何やってんだよ」

野菜の皮を剥いている最中に考え事をしていたせいで包丁が滑り指を切ってしまった。
血が出た指を咥えている俺をロランが呆れた顔で見下ろしている。
厨房の片隅で木箱に座りせっせと野菜を剥いている俺とは違いロランは歳があまり変わらないのに 今の俺が目標としているシェフ・ド・パルティだ。
パルティになればオードブルだってどんな料理だって作る事が出来る。
うらやましさと妬ましさからジトッとロランを見上げた。

「なんか用っスか?」
「うわーかわいくない態度〜」

低い声で平坦に言う俺にロランは大げさに肩を竦めた。

「ブレーズさんがお前の事呼んでるぞ」
「え…っ?父さんが?」

さっさと行けよと告げてロランは自分の仕事に戻って行った。
父さんはこの屋敷のシェフ・ド・キュイジーヌ、つまり料理長で 厨房の全てを統括する責任者だ。
父さんの父さん、俺のじいちゃんも前シェフ・ド・キュイジーヌだった。
俺の家系はずっとセルファード家の料理人なのだ。

「一体、何の用なんだろう…」

大抵、父さんが俺を呼ぶのは叱る時だ。
でも今日は別に何も叱られたりする事はしていないはずだ。
―あ…っ!
もしかして。

「この時が来たのか…?」

俺のコミからパルティへの昇格が!!
やっと長年の努力が認められたのか!
働く料理人の間を縫って父さんの元へと急いだ。

「と、父さん!…痛っ!」
「厨房を走るな。仕事中は料理長と呼べ、馬鹿者が」

出来上った料理をチェックしていた父さんは俺の頭に拳を落とした。
大きいフライパンや鍋を難なく使いこなせる父さんはガタイが良く腕も太い。
俺なんかよりも遥かに力が強いのでかなりのダメージを受ける。
しゃがみながら頭を押さえ痛みに耐えていると話しておく事があると言って来た。
バッと顔を上げ、目を輝かせながら父さんを見た。
いよいよだ!
俺のシェフ・ド・パルティ…。

「今日からお前と同じくコミとしてこの厨房で働く者が来る。
色々面倒見てやれ。いいな」
「え…?」

父さんはそのままその場を離れ厨房を出て行った。
残された俺は見当違いな内容にガクリと項垂れ、料理人達の賄いを作るために持ち場へ とぼとぼと戻る途中、ロランに呼びとめられる。

「また怒られたのかよ」
「うるさい、ロラン」
「ほらよ」

ロランがニヤニヤしながら俺に賄い用の材料を手渡した。
その日その日余ったり使わなかった材料が俺達の胃に収まる訳だが…。
あれ?
受けとった俺はその中に高級食材のアガバナを見つけた。
アガバナは魔界三大珍味の一つでケドシーの心臓だ。
両手で持っても余裕ではみ出るくらいの大きさを初めて見た。
新鮮な証拠に今もドクンドクンと動いている。

「おい、ロラン。アガバナが入っているぞ」
「いいんだよ。賄いに使って」
「は?」
「それ、選定でダメだってさ」
「ダメって…」

これがダメ?
こんなおいしいものがあの方はダメなのか!?

「えー…もったいない」

セルファード公が伴侶を迎えた話しは少し前に知った。
その時、誰もが驚きそして祝福した。
まあ、セルファード公に淡い恋心を持っていた者達はがっかりしてたけど。
セルファード公といえば長身で眩しいくらいの美貌を持っている。
とにかく男から見ても溜息が出る程かっこいいんだ。
きっと魔界一だと俺は思っている。
その方が選んだ伴侶の方に誰もが興味を持った。
だけど一部の上の者だけしかその姿を見た事がない。
俺らみたいな下っ端は会う機会がなかった。
なぜなら屋敷の中で自分の仕事に関係のない場所は勝手にうろついてはいけないのだ。
それも最上階、セルファード公や伴侶の方の部屋は特別に許可を得た一部の侍女と侍女長、そして 直属の僕である者しか入る事が出来ない。
でも料理長である父さんは伴侶の方の部屋に行き直接本人に会った事がある。
それは父さんが伴侶の…セイジ様の料理を全て手がけていて紹介される機会があったからだ。
セイジ様はとても繊細な方で食べ物にもかなり気を使わなければならない。
料理を作る前に執事のセバスさんの厳しい食材のチェックが必ず入る。
そこで食材が選定されるのだ。
まだ父さんも何がダメなのか分からないらしくて今まで何回か賄いに流れていった 食材があるがまさか三大珍味のアガバナまでもがダメだとは。
太い血管が浮き出ているこの心臓に思いっきり噛み付けば中から濃厚な血が口の中に 溢れ、そして拍動を感じながら厚い肉を噛みちぎって味わう。
想像しただけで涎が出てくるのに。
料理人のみんながご飯を食べる時間はもう少し後だ。
その間にアガバナの鮮度は下がってしまうだろう。
そのまま食べるのは無理だ。

「もったいないけど…中の血はソースに使って肉はミンチにして野菜とまぜて肉団子に するか」

セイジ様がどんな方か想像しながら血を抜き取りソース作りを始めようとした時、 使おうと思っていたロゼ酒が無い事に気付く。
俺は保存庫へ取りに行った。
いろんな酒が保存されている保存庫は厨房から直接外へ出られるドアを開けると直ぐ目の前にある 小屋の地下だ。
薄暗い中ランプ片手に無事、目的のロゼ酒を見つけ厨房の中へ入ろうとドアの取っ手を掴んだ時、明らかに挙動不審なヤツが俺の目に映った。
小屋の近くでキョロキョロと辺りを窺っている男がいる。
なんだ…?
まさか不法侵入者か?
いや、セルファード公の屋敷は結界に護られているし最近さらに強化したって聞いた からそんな事はないと思うが。

「おい、お前!」
「え!?」

俺が声を掛けるとビクッとそいつの身体が跳ねる。
ますます怪しいな。
ジッと挙動不審者を注意深く見た。
歳は俺と変わらなそうだ。
身長もたいして変わらなそうだな。
顔立ちはどこにでもいるような普通…。

「よよよよ良かったー!!」

俺と目が合ったそいつは嬉しそうに駆け寄って来る。

「この屋敷広くて!迷ってどうしようかと!」

もしかして…こいつ。
父さんが言っていた新しいコミか?
そう思った途端、ライバル心にメラメラと火が付いた。
負けらんねぇ。
後から来たヤツに次のシェフ・ド・パルティの座を奪われてたまるか!
まずはこいつの力量を確かめる必要があるな。

「おい、俺はこの厨房で働いているコミのリック・アヴァロンだ。お前の先輩になるからな。 仕事を教える前にお前がきちんと基礎が出来ているかチェックするぞ」

そいつは口を開けたままポカンとした表情で俺を見ているだけだった。
おい、礼儀がなってねえな!
自己紹介されたら自分もしろよ!
着ている物をよく見れば上質で良いところの坊ちゃんなのか?

「名前!」
「え?」
「え?じゃねえよ!お前の名前だよ!先輩に名乗らせておいて自分は名乗らないとはどういう事だ!」
「あ、ああ。ごめん!」
「ごめんじゃねえ!ごめんなさいだろ!」
「ご、ごめんなさいっ」

口のきき方もなってねえな!
絶対こいつは坊ちゃんで良い暮らしをしていたやつだ。
なぜここに来たのかは分からないが コミとして働く以上、ここでは今まで通り通用しない事を分からせてやる。

「えっと、俺の名前は高野聖司です」
「タカノセ…イジ?長いからタカノって呼ぶぜ」

俺はタカノを厨房に入れ制服一式を渡した。
これに着替えろというとまたポカンとした表情で俺を見ている。
ゴツンっと頭を一発殴った。

「さっさと着替えろ!俺は賄い料理を作っている途中なんだよ!」
「いってー!殴る事ないだろー!」
「うるさい!さっそくタカノにはどれだけ基礎ができるか今から見せてもらうからな」

タカノは「はぁ」とやる気が無さそうな返事をして着替えに行った。
まったく、父さんも良くここで働く許可を出したな。
あ、もしかして…。
セルファード公に縁があるとか?
いや、それはないか。
父さんが俺に何も言って無かったし。
肉をリズム良くミンチにしていると着替え終わったタカノがやって来た。
俺は包丁とかごに入った野菜を渡す。

「何ですか?コレ」
「野菜の皮を剥け」
「えっ!?俺やった事ないんですが」
「はあ!?」

コミとして働きに来ているヤツが野菜の皮を剥いた事がないだと!?
ああ…一気に先行き不安になってきた。
この先、俺が面倒を見るのかよ〜。
勘弁してくれよー!

「とにかくやってみろ」

やらせてみれば予想を裏切ることが無く酷い有様だった。

「どうしてこんなに実が皮にいっぱいくっついているんだ!」
「だって…」
「こっちを見るな!手元を見ろ!」
「難しいな、これ」
「包丁はそんなふうに持つな!指を切るぞ!」
「いてー!」

案の定、タカノは野菜を血に染めた。
しかしその瞬間、芳しい良い匂いがふわりと香る。
え?何だ?
まさかこいつの血の匂い?
半信半疑でタカノの手を掴み引き寄せるとやはりそうだ。
匂いに導かれるままにパクリと俺はタカノの指を咥えてしまった。
途端に口に広がる甘美な味。
同時に身体がぞくぞくと震え 高級な酒を飲んだ時のとても良い酔いが回っている感覚に襲われた。
すごい!こんなおいしい血を初めて口にした。
あのアガバナなんて目じゃないぞ。

「も、もう大丈夫ですから!!」
「…!!」

タカノに叫ばれて正気に戻った俺だったが正直まだ味わいたいのを我慢して口から指を離した。

「舐める事ないじゃないですかー」
「もったいないだろ」
「へ?」
「あ、いや。というか…」

まさかタカノはどれだけ魅力ある血を持っているのか気付いてないのか?
セルファード家の屋敷は安全だから良いけど…大丈夫かよ、こいつ。
外で良からぬ事を考えているヤツに狙われたら直ぐに連れ攫われるぞ。
どこの良家の子息か知らないが危機感ぐらいは身に付けとけよ。
とりあえずそれは後で注意する事にして今はコミとしての仕事が優先だ。
タカノの指を手当てした俺は手本を見せた。
すると、タカノは尊敬の眼差しですげー!すげー!と手を叩きながら興奮している。
それを横目に見た俺はガクリと項垂れ深い溜息を落とした。

新しいコミはライバルになるどころのレベルではなかった。




main next