中編




「じゃあ、肉と野菜を混ぜろ。それくらいなら出来るだろ?」

真剣に混ぜているタカノの姿を確認した俺はソース作りに取り掛かる。
ロゼ酒を鍋に入れた後ゆっくりとかき混ぜながらアガバナの血を入れた。
その後にカロワの葉を一枚入れ鍋の中で弱火で煮込む。
拳大のまっ赤に熟れているポルモを手で潰しながら混ぜ合わせ 調味料や香辛料を入れてさらに煮詰めていく。
すると甘酸っぱい良い匂いが鼻腔をくすぐった。
味見をした俺は一端火を止めてタカノの様子を見た。

「混ぜたか?」
「はい、どうですか?」
「よし、いいだろう。次はこれを丸めていくんだ」
「はい」

タカノは覚束ない手つきで歪な不揃いの肉団子を作っていった。
まあ、最初はこんなもんか。

「出来ました!リック先輩!」
「じゃあ、次はそれを揚げるぞ」
「はい!」

楽しくなって来たのかタカノはうきうきした顔で、たくさんの肉団子を乗せたトレイを 傾けて熱した油の中へ一気に投入しーって馬鹿か!!
一気に入れたら油が跳ねるだろ!!

「あぢーーーーーーーーーっ!!」

いわんこっちゃない。
タカノに油が跳ね返ったようだ。
俺は急いでタカノの手を掴み水で冷やす。
手の甲が一部、まっ赤になっていた。
まあ、これくらい最初は良くある事だ。
身を持って体験すれば次は気を付けるだろう。

「しばらく冷やしとけ」
「う〜、ひりひりするよ」
「後で薬を塗ってやる」
「すみません…」

タカノが手を冷やしている間に俺は肉団子を揚げ、作ったソースに絡ませて賄い料理の一品を 仕上げる。
その他にも余った材料で二品作った。
それを厨房台の上に乗せて終了だ。
後は手が開き次第、料理人達が勝手に取って各々食べるのだ。
火傷したタカノの手を手当てした後、皿を渡す。

「ほら、飯まだだろ?」
「俺、食べていいんですか?」
「これは俺達が食べる為に作ったんだからいいんだよ」

やったーっとタカノは取り分け皿に肉団子を乗せ頬張る。
すると俺を振り返り、顔を綻ばせてうまいです!と絶賛した。

「リック先輩!すげーうまい!!」

うまいうまいと言いながら俺を褒めちぎる。
まあ、褒められれば悪い気はしない。
出来は悪そうだが素直な性格をしているのでこれからゆっくり教えてやればいいかと タカノの口についているソースを布巾で拭ってやった。

「これはアガバナを使っているからな」
「アガバナ?」

肉団子を見ながらタカノは首を傾けた。
もしかしてアガバナを知らないのか?
…良いとこの坊ちゃんな感じがしたんだが。

「アガバナっていうのは魔界三大珍味の一つだぞ」
「魔界三大珍味!?もしかしてフォアグラとかキャビアとかトリュフレベル!?」

フォアグ…?
なんだ?
タカノから聞いた事のない言葉が出てくる。

「アガバナって高級食材ですか!?」
「ああ、そうだ」
「俺、世界三大珍味をまだ食べた事ないのに先に魔界三大珍味を食べちゃったよ」

感動したようにタカノはフォークに刺した肉団子を上へ掲げている。

「賄いでこんな高級なものが食べられるんですか?」
「いや、普通はない」

じゃあ、何でと聞いて来るタカノにセルファード公の伴侶の方の事を教えてやった。
俺の父さんはここの料理長で奥様に召し上がってもらう食材を選んでくるのだが 作る前にセバスさんの選定がありそこで良いと言ってもらえたものでないと 使えない事。
なぜなら奥様は繊細な方なので食材を選ぶのは注意が必要である事。
たとえ高級食材で料理人として食べてもらいたいと思っているものでもこうして選定で 落とされる事。

「ん?どうしたんだ、タカノ」

タカノの動きが止まっている。

「いいい、いいえ。その、えっと、食材をセバスさんが選んでいたんですね」
「そうだ。セバスさんはこの屋敷をセルファード公に任されているからな」
「でもなんで選んでいるのかな」
「だからそれは奥様が繊細な方だからって言っただろ。受け付けない食べ物とかあるんじゃないか?」

以前、父さんにただ単に好き嫌いが激しいだけじゃんと言ったところ、大目玉を食らった。
あの時の拳は今まで生きてきた中で第一位に輝いた。
そして危うく厨房の出入りを禁じられるところだった。

「俺、別に好き嫌いとかないんだけどな」

タカノの言葉に俺はプッと笑った。

「タカノじゃなくて奥様の話しだよ」
「え、ああ!そうですよねー」

タカノは不自然に笑いながら水を飲む。

「父さんが言うには奥様はすごくかわいい方らしいぞ」
「ぶーーーーっ!!」
「うわ、汚ねーな」

いきなりタカノが水を噴き出しゴホゴホとむせている。

「かわ、かわいいって…ゴッホ、ゲホ」
「大丈夫か?おい。俺の父さんだけじゃなくて他にも奥様を実際に見た上の方達からも かわいいって聞いているから間違いないと思う」
「マ、マジで…」

そうだ、釘を刺しておかないとな。
好奇心で奥様を見に行こうだなんてしたらこの屋敷に居られなくなるどころか 存在自体を抹消されかねない。
セルファード公が溺愛する奥様に万が一、邪な心を持って近づいたりすれば 有能な直属の僕である者達に捕えられて…。
恐ろしい想像をしてしまった俺はぶるりと身を震わせた。

「ま、お前もコミとしてこの屋敷に入る時セルファード公に血を差し出しただろ?」
「血?」
「そうだよ。契約の血だ。お前まだ胸に呪を刻んでもらってないのか?」
「呪って…」
「契約に反する行動を取ると…ここがボン!だ」

俺は親指で心臓を差した。

「マジかよ。じゃあ、リック先輩も?」
「あたりまえだろ。俺はこれをしてもらえた時すごく嬉しかったのを今でも思い出すぜ」

タカノはキョトンとした顔で嬉しいの?と聞いて来た。
セルファード公の下で働けるというだけでとても自慢できる事なのだ。
直接セルファード公と血の契約を結んでいるヴィーナさんやレイグさん、セバスさんなんか 俺らみたいな者からしてみれば羨望の眼差しだ。
下っ端の俺らは間接的に血の契約をしている。
間接って言っても契約を施すのはセルファード公本人だ。
実際に目の前に立たれた時は極度の緊張で足がガタガタに震えていた。
俺の血を舐め、その後呪を口にして胸にセルファード公の指が触れた途端、 心臓を鷲掴みにされたような苦しさに襲われた。
それは一時的なもので少しすると苦しさは無くなっていく。
これで契約は終了だ。
あの時以来、セルファード公にはお会いしていないけれど俺が料理長になれば その機会は何度だって訪れる。
そしてセルファード公が溺愛する奥様にも。
お二方に俺の作った料理がおいしいって言ってもらえたら俺は…俺はっ!

「こっちってやっぱ理解に難しいところがあるよなー。契約違反したらボンだなんて 俺は嫌だけどな」

タカノがぶつぶつ言っているがかわいい奥様においしいわリックと 言われているところを想像している俺には聞こえなかった。
トントンと肩をタカノに叩かれ現実世界に戻される。

「リック先輩、呼ばれていますよ」

タカノが厨房の入り口を指差す。
コミが作業する場所とは真逆にあるため結構入口までは距離がある。
イスから立ち上がり大きい声で返事をする。
早足で近づくと俺を呼んだ父さんの横に俺よりも年下の少年がいた。

「父さん、この子…いてっ!!」
「仕事中は料理長と呼べと言っているだろう」

頭を擦りながら俺より頭一個分低いその子を見下ろす。
少し緊張している顔で俺に挨拶をした。

「は、初めまして!リックさん!今日からコミとして働く事になりました、ルイス・アリスンです。 よろしくお願いします!」

元気のよい声で自己紹介をしたルイスに俺は挨拶も返さず茫然と立ち尽くす。
これではさっきのタカノと同じではないかだなんて自分自身に突っ込む余裕は一切無かった。
父さんが挨拶をしろと俺を叱るがそれどころではない。
だって新しく入ったコミならさっきまで俺がすでに面倒をみて賄い料理を一緒に作ったんだぞ。
一体、どういう事だ!?

「タ、タカノは?」
「どうした、リック」

様子のおかしい俺を見て父さんが怪訝な声を出す。

「俺、厨房の外の裏口でタカノにあったんだ。見た事ないやつだったから、だから新しいコミだと 思って…」

タカノがいる方を振り向きながら指差した。
すると一瞬にして厳しい顔つきになった父さんがタカノに向かって駆けた。
厨房では走るなと散々俺にうるさく言ってたからこれはとんでもない緊急事態だ。
俺はこの屋敷を小さい頃から出入りしているので働いている者達の顔はほぼ把握している。
その俺が見た事がないと言えば客人かそれとも歓迎されない侵入者か。
客人なら屋敷の裏側に位置する厨房の外の裏口などに用はないだろう。
そうなれば答えはただ一つ。
タカノは侵入者だ。
何てことだ。
俺は自ら侵入者を屋敷の中に入れてしまったのだ!
あの無邪気な笑顔は演技だったのか!
俺も急いで父さんの後へと続く。
他の料理人達が何事かと驚いた顔で俺と父さんを見ていた。
先にタカノの元へ行った父さんが固まったまま動いていない。

「父さん?どうしたの?」

父さんはタカノを真っ直ぐ見つめたまま茫然と呟いた。

「貴方は…っ」
「あ、ブレーズさん!こんにちは!」

タカノが父さんに気付き挨拶をする。
え?
タカノと父さんは知り合い?
じゃあ、侵入者ではなかったのか。
ホッと胸を撫で下ろした。
しかし父さんを見ればみるみる顔色が悪くなっている。

「父さん、大丈夫!?」
「なぜ、このような所に貴方が…」

父さんは俺の言葉なんて耳に入っていない。
ただタカノがいる事に驚いて困惑している感じだった。
タカノはバツの悪そうな顔で言い淀む。

「えっと…ちょっとした好奇心というか。この屋敷全体を把握しようと 一人で探検してたら迷っちゃって…」
「では、貴方がここにいる事は誰も知らないのですね?」

タカノは目を泳がせ、えーあーうん、と歯切れ悪く答えた。

「これは…?」
「ん、ああ。これですか?」

父さんが指摘したのは野菜の皮を剥いた時に包丁で切った指と肉団子を揚げた時に出来た火傷だ。
タカノは肉団子を指差してちょっと恥ずかしそうに頬を掻いた。

「それを作った時にやっちゃって」
「作った…?」
「はい。リック先輩に教えてもらいながら作ったんですよ」

ねっと同意を求められる顔で笑いかけられた俺だがゆっくりと振り返った父さんの顔を見て とんでもない事態が起きている事を本能が感じ取り一歩後退した。
父さんから発する声が怒りで震えている。

「リック、お前…」
「と、父さん?」

それはもう殺されるのではないかと思うくらいの気迫だ。
な、なんだよ。
タカノがどうしたっていうんだよ。
戸惑っているといきなり父さんが料理長の証でもある料理人の中で一番高いトックブランシュ を頭から取りタカノの足元で土下座をした。

「父さん!?」
「ブレーズさん!?」

俺とタカノは同じように驚いた声を上げる。
他人にも自分にも厳しく妥協を一切許さない誇り高き料理人、セルファード家の シェフ・ド・キュイジーヌの父さんが床に額をつけているなんて…。
その姿に俺はショックを受けて言葉が出ない。
それは俺だけではなくロランや他の料理人達もそうだった。

「どうか、どうか私の愚息であるリックをお許し下さい。貴方のたおやかな手に傷を付けたと なれば、どんな制裁を受けようとそれに対して異を唱える事など出来ない身。ですが、 どうか息子の命だけはお許し下さい!」
「ブレーズさん、顔を上げて下さい。別に俺、女の子じゃないし、こんな怪我どうって事 ないですよ。というか作ってて楽しかったし、料理を作るってこんなに大変なんだって分かったし」

タカノは父さんを立たせようとぐいぐいと引っ張っている。

「いつもおいしい料理をありがとうございます。ブレーズさん」
「…セイジ様」

ニッコリ笑って礼を言ったタカノに父さんは感極まった様子で目に涙を滲ませている。
父さんが泣いている事にも驚いたが…今、タカノの事をセイジ様って言わなかったか?
聞き間違いだよな。
なにがなんだか分からなくて混乱していると、タカノと目が合って困ったようにほほ笑まれた。
その瞬間、心臓がドキンッ!と高鳴る。
お、おかしいぞ…なんだ?
さっきの表情がとてもかわいいと思ってしまった。
タカノはどこにでもいる普通の男なのに…どうしちゃたんだ、俺!!
ドキドキしている胸を押さえながら父さんと話しているタカノを見つめていると何かに 気付いたようにタカノが後ろを振り返った。
すると。

「あ、ジル」

!!!??
驚いたのは俺だけじゃないはず。
まさか、まさか。
その姿を見たのは契約時のみ。
次にお会いするのは俺が料理長となった時だと思っていたセルファード公が突然現れた。




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