前編




上流階級御用達の高級レストラン、モルドモンテはセルファード公が治める領地、イクニスのルーヴェにある。
そこで選りすぐりの料理人達が各地から集い、日々己の腕を磨いている。
メニューはあるがほとんどのお客様は自身が選んだ料理人にコースを任せている。
なので指名された料理人は何を出したら喜ばれるか常に考えて最高の作品をお客様に提供 しなければならない。
そんなモルドモンテでシェフ・ド・パルティとして働き始めてからしばらく経った頃、 俺の元に一通の手紙が送られてきた。
何気なく手にとって……固まった。
質の良い封筒を止めているのは赤の蜜蝋。
それが意味するものとは……差し出し人はレヴァの一族という事だ。
そして、蜜蝋に印されている家紋はセルファード家のもの。

「え、……な、……んで?」

何度も確認するがやはり間違いではない。

「お、俺、何かしたっけ?」

まさか、解雇通知とか?
ザッと血の気が引く。
震える手で封を切る。
ごくりと喉を鳴らしてそっと手紙を開くと――。

『リック先輩へ。
お元気ですか?読めない字があったらごめんなさい。ようやくマシな字を書けるようになってきたんだ。 本当はもっと早く手紙を出そうと思ったんだけど、なかなか上手くならなくて……時間が思ったより掛かってしまいました。そういう訳で急な話しなんですが、今度の祝日(血の祭典)にジルと一緒にモルドモンテに行きます。会えるのを楽しみにしています。聖司』

俺の為に一生懸命、書いてくれていると分かる字に感動しつつ、しかし読み間違えでなければ 今度の血の祭典の日にモルドモンテにセイジ様が来る。
セイジ様が来る……。

「……えっ?セイジ様が来る!?ち、血の祭典って、ああああ明日じゃんかぁっ!!」

パニックになっている俺はあっちへウロウロこっちへウロウロ。
セルファード公の屋敷でコミとして働いていた時よりも、料理の腕はかなり上達したと思っている。
成長した自分を聖司様に見て頂けるチャンスだ。
俺は手紙を握りしめて厨房にいるモルドモンテのシェフ・ド・キュイジーヌの元へ走った。

「レンザク料理長!!」
「厨房は走るな!!」
「いてぇっ!」

レンザク料理長は祖父くらいの年齢だが、セルファード家の料理長を務める父さんと同じように体格ががっしりしている。
太い腕から振り落される拳はものすごく威力が強くて頭にそれを受けた俺はしばらく悶絶した。

「お願いがあって……」
「なんだ、早く言え。俺は忙しいんだ」
「明日の血の祭典の日にとても大事な方がいらっしゃるんです。俺にその方の料理を作らせて下さい!」
「明日?客の名は?」
「あ、えっと……」

俺は言い淀んで、もう一度、手紙に目を通す。
モルドモンテに来るのはセイジ様、そしてジルという者だ。
セルファード公は一緒ではないらしい。
そうなると……まだ世間にセルファード公の伴侶だと公表していないセイジ様がセルファードの名で予約を取っているという可能性はないと考えた方がいい。
セルファードの血を引く者は現在のセルファード公しかいないというのはイクニスに住んでいる者なら皆知っている事だ。
もし、その名を使ったらすぐいろんな噂が駆け巡るだろう。
それだけならいいが一番恐ろしいのは反総統の一味にセイジ様の存在が知られる事だ。
モルドモンテは守秘義務が徹底されているがどこでどう漏れてしまうかは分からないから俺が安易に名を出して危険に晒してしまうなんて事態は絶対に起こしてはならない。
それと……ジルとは誰だろうか。
一緒に来ると書いてあるが俺が向こうにいた時はジルという人物はいなかった気がする。
俺がこっちに来てから新たにセルファード家で働き出した者なのか?

「リック、そこに立っているな。邪魔だ」
「あ、ヨルド統括長……。あれ?料理長は?」
「料理長ならあそこだ」

レンザク料理長はいつの間にか俺の所から離れて料理人達に支持を出していた。

「今日のお前指名のお客様の予約時間リストだ……おい、聞いているのか」
「よ、ヨルド統括長!」

俺はリストを渡して来ようとしたヨルド統括長に明日の予約のお客様のリストを見せて下さいと お願いした。
すると訝しげに目を細めて理由を聞いて来る。
うう、やはり簡単には見せてくれないか。
ヨルド統括長は若い外見なのだが、かなり昔からここにいる大ベテラン。
このモルドモンテ全体の総指揮者だ。
怜悧で端整な容姿のこの人目当てにモルドモンテに来る女性客も少なくない。

「セ、セルファード公の……予約って入っていないですよね?」
「セルファード公?」
「はい」

念のため聞いてみればやはり予約リストを確認するまでもなくヨルド統括長はないと言う。
すでに頭には全ての予約者の名前が記憶されているのだろうがそれ以上にセルファード公が 今まで一度も領地内外の外食店に行ったという話しは聞いた事がない。
予約があれば、きっとレンザク料理長もヨルド統括長も今よりも緊張感を身に纏っているだろう。
万が一、領主の不興を買う事になったらモルドモンテの評判はガタ落ちになってしまうからだ。

「セルファード公から連絡が来たのか」
「い、いえ。そうではないのですが」
「驚かせるな」

眉を顰め、息を吐いたヨルド統括長が俺に今日の予約リストを渡して来た。
それを受け取り、目を通す。
俺を指定してくれるお客様が働き始めた当初の頃と比べて少しずつ増えてきている。
あ、この間、作った料理を褒めてくれたお客様だと頬を緩めながら予約名を目で追っていった先に……。

「ん?セイジ・タカノ?」

目を瞬かせてもう一度じっくりと見る。
セイジ・タカノって。

「セイジ様!?」

どどどどういう事だ!?
ジルという者と明日来るんじゃないのか!?
ちょっ、どうなってるんだ!?
慌ててヨルド統括長にこの方は明日の予約ではないかと何度も確認したがはっきりと今日だと言われた。
来店する時間を見ると20時だ。
モルドモンテはランチが11時から14時、ディナーが17時から23時までだ。
今の時間が9時。
ちょうどランチの仕込みの準備をしている最中だ。
俺も、やらなければらない事はたくさんある。
だけど頭の中はセイジ様の事で一杯になってしまった。
それでもなんとか料理に集中し、ランチの時間が過ぎて今度はディナーの仕込みの時間になった。
コミにあらかじめディナーに使う食材などを用意させておくのだが、セイジ様に出す料理がまだ決まらない。

「どうしたんですか?そんなに唸って」
「あ、ユリル」

振り向くとユリルが近くに立っていた。
ユリルは俺と歳が同じくらいの給仕の女の子だ。
栗色の長い髪を纏めてお団子にしている。

「いや、俺を指名してくれた方の料理が決まらなくてさ」
「珍しいですね。いつもならパパッと決めちゃうのに」
「う、ん。そうなんだよな」
「大事な方なんですか?」
「え?あ、まぁ」
「誰でも好きな方だったら慎重になってしまうものですよね」

そうだよなぁと納得しかけてハッとする。
セイジ様にはセルファード公がいるんだ。
俺なんかが好きになっていい方ではないのだ。

「だ、誰も好きとか言ってないだろ」
「そうですか。うふふ」
「だからっ」
「そういう事にしておきますね」
「ユリル!」

笑いながらユリルは立ち去ってしまった。
そうこうしているうちにディナーの時間になって何組かのお客様に出す料理を作り始める。
気持ちを切り替えて一つ一つ丁寧に期待を裏切らない料理を仕上げていく。
そうして給仕から呼ばれ、お客様の元へ行き、笑顔を向けられ賛辞を送られる。
この時が何よりも嬉しい。
もちろん、毎回、褒められる訳じゃない。
初めはすごく落ち込んだけど、今はそれも自分に必要なものだと受け止めている。
厨房に戻り、時間を確認するとセイジ様が来る時間だった。

「たたた大変っ!!」
「うわっ!」
「きゃっ、ごめんなさい!あ、ヨルド統括長は!?」
「あそこだけど?」

ユリルが慌てた様子でレンザク料理長と話しているヨルド統括長の元へ走っていく。
人の事を言えないけど厨房を走っては……。
ほら、二人に注意を受けている。
しかしユリルが何かを言った途端、レンザク料理長もヨルド統括長も顔色を変えた。
料理人達も空気の変化を感じ取って徐々にざわつき始める。

「おい、何している!料理に集中しろ!手を疎かにするな!」

レンザク料理長が料理人達を一喝する。
気にはなるがセイジ様の為の料理に取りかからなければいけないので作り始めようとしたのだが。

「リック、ついて来い!」

ヨルド統括長、ユリルと続いてレンザク料理長も厨房から出て行こうとした時、振り返って俺を呼んだ。
理由は分からないが包丁を置き、小走りでレンザク料理長の後を追いかけた。
モルドモンテは完全個室でその中でもビップ扱いの特別室へと向かう。
特別室は何室かあるのだが俺が入ろうとしているこの部屋は今日は予備室になっていたはずだ。
明日みたいな血の祭典の日だとそうはいかないが普段は突然のお得意様の来店に対応できるように特別室を含め何室かは予備室として空けておいているのだ。
急な来店に特別室を用意したって事は身分が高い者か常連なのだろうか。
でもレンザク料理長とヨルド統括長が顔色を変える理由にはならないよな。
誰が来たんだろうと思って入ると……。

―――っ!!?

声に出さなかっただけでも自分を褒めてやりたい。
そこにいたのは稀な美貌を持つ……セ、セルファード公と、伴侶のセイジ様だった……っ!





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