前編




「……暇だ」

今日何回目となるか分からない同じセリフを俺は自分の部屋で一人寂しく呟いた。
ジルは仕事なのか俺が起きた時にはすでにベッドにはいなかった。
ヴィーナもレイグも用があるのかこの屋敷にはいない。
キオはセバスさんとヴァルタの勉強中でジュリーはお昼寝中だ。
つまり俺一人だけ暇人なのだ。
外に出て街へ散歩に行きたいけどドリード将軍の時のように連れ攫われたらみんなに迷惑が掛かるし…。

「うーーーーん」

でも暇なものは暇なんだよ。
ソファーの上でだらけていた身体を起こし、窓の外を見る。
ジルのお母さんが使用し、今は俺が使わせてもらっているピンク調の貴族部屋は最上階にあるので 見晴らしがよい。
眼下には絵のような素晴らしい芸術的な庭が一望できる。
外の空気を吸おうと扉式の窓を開けた途端。

「うわっ!!」

ビュウッと勢いよく突風が部屋の中に吹き込んできた。
そのせいで紙やら軽い置き物はふっ飛ばされてしまった。
小物が音を立てて真っ白なチェストの後ろに落ちてしまう。
慌てて窓を閉め、チェストと壁の隙間に手を伸ばし落ちたものを拾っていく。

「あと一個…」

なかなか手が届かなかった小物を掴む事に成功して手を引っ込めた時、カチッとまるで鍵が開いたような音がした。

「何の音だ?」

訝しんでいるとゴゴゴ…と低い音が響いて来た。
ななな、一体、何だ!?
あ、壁が!
人が一人、通り抜けるくらいの空間がチェストの裏の壁にぽっかりと開いたのだ。

「もしかして…これは、隠し通路?」

最初は驚いていたけどだんだんとわくわくした感覚に変わり、暇だった俺は自分のやるべき事を見つけたと目を輝かせて目の前の『さあ、ここを進みなさい』と言っているかのような現象に躊躇う事もなく 中へと飛び込んだ。
なんだか冒険心をくすぐられるようだぜ!
少しひんやりしている通路は明かりもなく真っ暗だ。
壁に手を付きながらそろそろと歩いて行く。
どこに繋がっているのだろうか。
ドキドキしながら進んでいくと少し先に出口が見える。
期待をしながらそっと顔を出口から出すと――。
そこには薄暗い部屋があった。
カーテンは全て閉められていて大小の様々な形のランプが乱雑に置かれているものを 照らしている。
特に実験器具のようなものが多く散乱していた。

「何だここ?」

こんな部屋あったか?
ジルの屋敷の部屋にしては違和感を感じる。
なぜならどこの部屋も掃除が行き届いていてとてもきれいだからだ。
セバスさんがこの部屋を放っておくわけがないと思うんだけどな。
机の上にごちゃごちゃに置いてある何に使うか分からないものを弄っていると 向かい側から目から上だけを出している誰かにジッと見つめられている事に気が付いた。
しかも目は長い前髪に隠れていて良く見えない。

「―――――っ!!?」

なんだ、アレだよ、驚き過ぎて言葉も出ないよ!!
めちゃくちゃコエ〜!!
バクバク音が鳴っている胸を押さえていると相手がスッと立ち上がる。
体格で男と分かったがその格好は一見近寄りがたい。
整えられていないボサボサの長い黒髪は顔をほとんど覆い隠していた。
着ているローブのような服は所々汚れていてよれている。
なんて声を掛けたらいいか分からない。
すると向こうから先に話し出した。

「んー……なるほど、うん。確率は60か。だがこれは一回限りだな。 さらに研究を重ねなければ」
「え?」
「君、紅茶を入れて」
「え??」

男に指を差されている方向を見ると三角フラスコの中に紅茶らしき液体が入っている。
……まさか、これって。
いやいや、それはないだろ。

「早く入れて」

催促された俺は一応確認した。

「えっと、これ紅茶ですか?」
「それ以外に何に見えるんだ?」
「……」

ま、まあ、本人が入れろって言うんだからいっか。
えっと、カップ…カップ。
カップがない。

「あの、ティーカップとかはどこに?」
「そこにあるじゃないか」
「ん?」

そこにあるのは……ビーカーだ。
しかもこれ洗ってないぞ。
何かが入っていたものがこびり付いている。
絶対危険だ!

「これ洗った方がいいと思うんですけど…」
「では洗えばいい」
「……でも洗う所ないですよ?」
「そこにある」

そこって…。
大きい桶に水が入っているけど……すでに色々な器具が入っていて 得体のしれない膜が張っている。
思わず顔が引き攣った。
色々と突っ込みたい事があるんだけどありすぎてまとまらない。
そもそもここはどこで男は誰なんだ?
とりあえず、自分から名乗ろうとした時、スッと手が伸びて来て 口を指でそっと押された。

「君の事に関して何も言わなくていい。もちろんこちらの事も言わない」
「……」
「なぜなら、時間軸上、二度と会う事は今のところないからだ」

あ、なんだろうか、この会話が成り立たない感じ。
とっても身近にいるあいつを思い出すんだけど。
男は俺の口から指を離すと、いつの間にかビーカーの中に紅茶を入れて 飲んでいた。
ま、マジで……?
凝視していると男の視線がこちらを向いた。

「君も飲みたいならそれを使えばいい」

それとはでかいメスシリンダーだった。
これも汚れていて使う気にはなれない。
俺は丁重にお断りをした。
すると、男がニタリと笑った。
長い髪が顔に掛かっているせいで口元しかはっきり見えずそれがとても怖い。

「君もか。私もこの大きさの方が好きなんだよ」

そう言って渡されたのはさっきよりも一回り小さいメスシリンダー。
言わずもがなこれも汚い。
思いっきりメスシリンダーを床に叩き付けたい衝動に駆られたがグッと堪えた。
なぜならその前に突っ込むところがあったからだ。

「君もかってなんですか!俺は一言もこのメスシリンダーの大きさが好きだなんて言ってな―――」
「ここを開けて下さい!!アルティーニ様!!」

俺が言い終わる前に第三者の声がこの部屋のドアの外側から聞こえて来た。
すると男はしまった見つかったと呟いた。

「アルティーニ様!!今日こそはこの部屋を掃除させてもらいますからね!!それと、貴方も 私が綺麗に洗って差し上げます!!」

男はフウッと溜息を吐いた。

「彼は、私専属のヴァルタなのだが……最近セバスに似てきて全く困ったものだよ」

俺は、ん?と首を傾げた。
この男の専属ヴァルタって事は……。

「もしかして貴方はレヴァの一族ですか?」
「おや?知らなかったのか?」
「知りませんよ!って……」

こんな人、ジルの屋敷にいたなら気が付くはずなんだけどな。
どういう事だ?
しかもセバスさんとキオ以外にヴァルタなんていなかったはずだぞ。
ドンドンとドアを叩く音がだんだん大きくなっていく。

「さて、そろそろ逃げようかな。彼がこの部屋に入ってしまったら私の研究が台無しになって しまうからね。君もそろそろ引っ張られる頃だからここでお別れだ」

引っ張られるって何だろう?と思った時、俺の耳にカチッという音が足元から聞こえて来た。
それはこの部屋に来る前に聞いた音と同じだった。
そしてゴゴゴ…と低い音が響いて――。

「え!?」

突然ぽっかりと床に穴が開いた。
もちろん俺はそのまま落下する。
だけど咄嗟に床に手を掛けた。
ナ、ナイスッ!俺の条件反射!!
チラッと下に視線を移すと底が全く見えず血の気が引く。
絶対このまま落ちたら無事では済まない。
それなのに男は俺の手を床から外そうとする。

「ちょっと、何してんだよ!?」
「ああ、早く行きたまえ。このままだと部屋が移動できない」

またわけの分からない事を言っている男に無情にも指が一本一本外されていく。
ギャーー――!!

「誰か―!!助けてーー!!」

俺の叫びも虚しく手が床から外れた。
最後まで諦めない俺は男のローブの裾を掴む。
しかしその拍子にローブの隙間から落ちた何かが俺の顔に当たった。

「いてっ!!」

その衝撃で手がローブから離れて結局、俺は底なしの穴へと落ちてしまったのだった。
マ、マジでぇーーーーっ!!?




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