後編




店を出た後、駅前で今度はお前らの馴れ初めを聞かせてくれよなーと 言われ拒否する前に坂上は人ごみの中へと消えて行ってしまった。

「馴れ初めって…」

東条の馴れ初めは良いものではない。
ファーストフード店で輪廻がどうのとか意味の分からない事を言われ困惑する壱を 強制的に今のマンションへ連れて行き無理矢理身体を繋げた。
だがその後、不思議な事に東条の傍を離れないと約束してしまったのだ。
時折、前世の自分の声が聞こえてくる事がある。
前世の東条の名を呼び愛を囁いていた。
その未知な感覚に恐怖をしないのは覚えてなくてもそれを知っているからだ。
ああ、そんな事があったなと。

「帝人の昔の名前ってまだ分からないんだよな。俺の名前がリフで要さんがレイドで…」

本人に聞けばいいと思うが壱は出来たら自分で思い出したかった。
『いつもお前は記憶を持たず俺を忘れる』という東条の悲痛な声が壱の心に残っていた。

そんな事を考えている壱の耳に知っている声が聞こえて来た。
改札口の方を見ると大学生と思われる数人の男女の中に甘い声を出している石倉がいる。
待ち合わせている雰囲気からして例の飲み会ではないかと推測した。
石倉達の元に別の数人の男女がやって来る。
壱の大学ではないA大の名前が出てきて別の大学生だと分かる。
石倉がA大の一人の男に話しかけている。
男の中でも一番顔が良く背も高くてもてそうな感じだった。
何気なく見ていると壱の携帯が震えた。

「あ、帝人だ…」

東条からの電話に出ると「今どこにいる」との声が。
壱が駅のロータリーにある時計に視線を向けると19時になろうかというところだった。

「駅前だけど…」
『誰かと一緒なのか』
「いや、一人」
『早く帰って来い』

お前は母親かと思いながら分かったと返事をしようと思った時、ドンっと誰かにぶつかった。
慌てて前を見るとさっきの石倉達のメンバーだった。

「あ、すみません」

ぶつかった相手が謝罪してくる。
壱もすみませんと返した。
視線を上げて壱よりも背の高いその相手を見上げ目が合った途端。

「ーーっ!!」

壱の血の気が一気にザッと下がる。
ドクンドクンと血の巡りが速くなって視野が狭くなり足元がぐらりとふらついた。
石倉が壱に気が付き、あら宮森君じゃないと少々嫌な感じで名前を呼ばれるが 急激に気分が悪くなった壱には会話をする余裕なんてなかった。

「石倉さんの知り合い?」
「あ、そうですぅ」
「彼、顔色が悪いけれど…」

男は顔色が明らかに悪くなっている壱を心配して肩に手を置いた。
だが、壱は説明のつかない恐怖に襲われてその手を勢い良く振り払った。

「ちょっ、ちょっと!宮森くん、佐伯くんに何て事するの!?」

石倉が驚いた声を上げる。
普段の壱ならもちろん振り払うなんて事はしない。
だが今は一刻も早くこの場を去りたかった。
この顔立ちの良い男、佐伯から逃げたかった。
ふるふると震える壱はジリッと一歩後退する。
今にも倒れそうな壱に佐伯は手を伸ばす。
壱の頭の中に声が聞こえた。

『私に、触らないで!』
「俺に、触るな!」

佐伯の手が触れる前に壱は身を翻して走って逃げ去った。
そんな壱の行動に石倉はなんなのーぉと怒って佐伯に大丈夫?と窺う。
佐伯は伸ばした手を下ろしながら壱の走り去った方をジッと見続けていた。




壱は携帯を握りしめてがむしゃらに走っていた。
上手く息が出来なくなっても視界がぐらついても恐怖が足を動かす。
止まるな、止まってはいけない。
走れ!あの男に捕まるな!

『助けて!助けてっ! ――― !!』

自分が今どこを走っているのかも把握してない壱は急に腕を引っ張られた。

「離せっ!」

腕を掴んだ相手は抵抗する壱の名前を呼んだ。

「いっちゃん!落ち着けって、一体どうしたんだよ!?」

ただ事ではない壱の状態に海堂は必死に暴れる壱を押さえ込む。
壱と海堂がいるところは繁華街で通行人達が何事かと通りすがりに横目で見ていた。
海堂は舌打ちをして壱を引きずり細い路地に小さい看板を出している店のドアを開ける。
その中へと入ると若者たちが騒がしい音楽が流れる中で酒を飲んでいたり踊っていたりしていた。

「お、海堂さんじゃん。久しぶりっすね」

入り口のカウンターに座っていた若者が海堂を見て嬉しそうに声を上げた。
だが海堂に押さえられている壱を見るなり顔つきが険しくなる。

「何ですかそいつ」
「気にするな。奥借りるぞ」
「どうぞ、どうぞ」
「悪いな」

フロアで各々楽しんでいる若者たちの間を通って海堂は奥のドアを開ける。
六畳程の部屋には物が乱雑に置かれ端にある大きめのソファーに暴れる壱を強引に座らせた。

「いっちゃん、こっちを見ろ!」
「触るなっ!離せ!」
「いっちゃん、俺だ、要だ!」

海堂は壱の頬を両手で固定し自分の方へと顔を向かせた。
うろついている壱の目がゆっくりと海堂を見る。

「そうだ、俺を見ろ。俺は誰だ?」

そう問いかけると壱の口が微かに動く。

「レイ…」
「…っ!」

レイと呼ばれた海堂は目を大きくして壱を見た。
前世のレイドの名をレイという愛称で呼ぶのはリフだけだった。

「リフ」
「レイっ!あいつがっあいつが…っ!」

真っ青な顔で海堂に壱は縋りつき訴える。
震えている壱を抱きしめ背を撫でてやる。

「あいつ…?」

海堂は嫌な予感がした。
こんなにも壱を怖がらせる相手は。

「まさか。あいつもこの時代に転生しているのか」

最悪だと恐怖で怯えている壱を見て内心大きく舌打ちした。
フロアの音が微かに聞こえてくる部屋の中にヴヴヴ…とバイブの音が響いた。
音の発信源を見ると壱の手に握られている携帯からだった。
海堂は東条からの電話だと分かるとそれに出た。

「よお、俺だよ。あ?だから怒んなよ。別に何もしてねえって。ってかすぐ迎えに来い。 いっちゃんが具合悪くなっちゃってさ…って何で俺のせいになるんだ。場所は繁華街の…そう そこ…あ、切りやがった」

そう時間が掛らない内に壱と海堂がいる部屋のドアが勢いよく開く。
そして冷たく海堂に視線を向ける美しい男が入って来た。
壱が海堂の腕の中にいる事が分かるとさらに視線は冷たくなりそれだけで人ひとり 殺せそうな威力を持っていた。
海堂は何もしてないぞと両手を上げる。
壱の腕は海堂の胴に巻き付いていた。
それを見てピクリと東条の眉がつり上がる。

「壱」

東条が壱の名を呼ぶとのろのろと海堂の胸に埋めていた顔を上げる。
その顔色の悪さに東条が驚きそっと壱に触れようとした時。

「ジェイ!!」

壱が叫びながら東条の胸に飛び込んだ。
東条は一瞬固まったが壱を受け止め腕の中へと抱き込む。

「壱…?」
「ああ、ジェイ、ジェイっ!」

記憶を持たず生まれ変わってくる壱に前世の名を呼ばれた事に目を見開いた東条は視線を海堂に向けた。
教えてはいないと首を振る海堂に再び壱に視線を戻し顔を上げさせる。

「壱、俺の名は帝人だ」
「ジェイ…」
「帝人だ」
「…帝、人」
「そうだ」
「帝人、帝人」

東条の名前を何度も繰り返し呼ぶ壱はいつの間にか安心するように身をゆだね寝息を立てて寝てしまった。
愛おしく壱を見ていた東条は目線はそのままに低い声で海堂に問うた。

「何があった」
「俺が繁華街歩いていたら顔色悪いいっちゃんが歩いて来てさ保護してここで休ませてただけ。 多分、貧血でも起こしちゃったんじゃないの?誰かさんが毎晩無茶な事させちゃったりしてるから〜」

いやだねーとおどけたように言う海堂を睨みつけ東条は壱を抱き上げて部屋を出て行った。
バタンとドアが閉まる音と同時に海堂は、はあーっと脱力してソファーに仰向けに倒れ込んだ。

「あれは納得してねーな。だけど…お前に本当の事言う訳にはいかないんだよ、帝人」

目を閉じれば幸せだった時のリフとジェイの姿が浮かび上がる。
その幸せは一人の男によって打ち砕かれた。

『絶対にジェイには言わないで…絶対に…』
「分かっているよ、リフ…だけど」

スッと目を開けた海堂は天井を睨みつける。

「だけど、あいつがいっちゃんと帝人の幸せを壊すようなら、その時は」

近くにあった灰皿を掴み投げるとテーブルの上にあったビンが音を立てながら砕け落下した。










暖かいぬくもりに抱かれながら壱は目を開けた。
身じろぐと名を呼ばれる。
顔を上げれば東条が壱の額にキスを落とした。

「…帝人、俺…」
「気分はどうだ」
「気分…?」

東条が真剣な目で壱を見る。
壱はなぜ自分が今ベットに寝ているのかが分からなかった。
記憶を辿るとファーストフード店で坂上と話していた事は覚えているのだが それ以降が曖昧だ。
無理に思い出そうとするとずきりと頭痛がした。
思わず顔を顰め頭を押さえると東条に心配される。

「頭が痛いのか」
「ん、平気」
「病院に行くか」
「大丈夫」

壱はギュッと東条に抱きついた。
今はこの居心地の良い東条の腕の中から離れたくなかった。

「何だかとても怖い夢を見た気がするんだ」
「怖い夢?」
「うん、内容は忘れちゃったけど…。でも帝人が助けに来てくれたんだ」

だから嬉しかったと壱は笑った。
それにフッと東条はほほ笑み壱の頭を撫でる。

「昨日壱は貧血を起して倒れたんだ」
「貧血起こしたの?うわ、そんなの初めてなったよ」
「お前を見つけたのが海堂だ」
「え?要さんに迷惑掛けちゃったかな」
「いや、あいつなら喜んでお前の面倒をみるさ…」

そう言った東条に少し睨まれた。

「え?何…?」
「べったりとあいつに抱きついてたな」
「えっ!?」

会話がだんだんと雲行きが怪しくなって来た。
記憶がない壱はただ驚くばかりだ。

「記憶が無くなる前に覚えている事は?」
「えーっと坂上と一緒にファーストフード店にいたけど…それから駅前で別れてあ、帝人電話しただろ?」
「ああ」
「そこまでは覚えてるんだけどその後貧血になったのかな」
「急にお前の声がしなくなって心配した」
「ごめん」

壱を抱きしめる腕に力が入る。
名を呼ばれ顔を上げると東条の視線が険しくなって壱を見ている。

「坂上とは誰だ」
「ぅえ!?さ、坂上は女の子じゃないからな!」
「…男の方が問題だ」
「俺を相手にするなんて帝人しかいないって!」

どうみても普通な容姿の壱に愛しているのなんだのと言う変わり者は東条しかいない。
それに坂上はかわいい恋人がいる。
その恋人の話しを聞いてあげてただけだ。
やましいことなんてない。
その事を伝えると本当か?と怪しまれる。

「そうだよ。後、相談にのってもらっただけ」

壱は強く頷いた。
だが…。

「相談?なぜ俺にしない」

壱が東条ではなく他の別の男に相談をした事が気にくわなかったようだ。
東条に言えるような相談ではなかったから坂上に恥ずかしながらも聞いた壱は だって…と口ごもった。
そんな壱の心情なんか知らない東条は機嫌が下降した。

「そろそろ大学に行く時間だな。帝人も用意しないと遅れるぞ」
「…話すまで休講だ」
「は?」

ぐるんと壱は東条の下になり押さえこまれた。
どう足掻いても抜け出す事は出来ず。

「帝人、どけって、マジで遅刻する!」
「じゃあ、話せ」
「〜っ!!」

絶対に白状なんかしない!と決めた壱はこの後、もがいてもがきまくる事になったのであった。







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