決して大きくはない、とある村が王都から遥か東に位置する。
そこは魔物も棲みつかない幻影の森の中心にあり、かつて英雄とその仲間達が世界の脅威〈暗黒の陰〉と最終決着を付けるため、旅の途中で立ち寄った場所でもある。
英雄達によって人々の平和な日常が戻った今日、幻影の森のせいで外界から遮断されている『ウェルク村』は世の中が混乱に陥っている時も、そして現在も変わらず、のんびりとした生活を過ごしていた。
ここ最近の事件といえば、シャラムさんの家のヤギが脱走したとか、村長に初孫が出来たとか、そんなものである。
凶暴化した魔物が多く出現し、この世の終りが来るかもしれないと世界中の人々が怯えている中、外部からの情報伝達手段がないこの村では英雄達が訪れるまで何も知らなかったのだ。
しかし知ったところで、村は凶暴化した魔物どころか、一般の魔物も立ち入らない森に囲まれているので実感は薄く、村人達の危機感はまったくなかった。
そんな『ウェルク村』の村人が大騒ぎになる事件が起きた。








「なんだ、この子は」
「幻影の森に倒れていたそうだよ」
「この子供、何か奇妙じゃないか?」
「ああ、そうだ。奇妙だな」
「もしかしたら……」
「そうかもしれない」
「かわいそうに」

『ん……?』
目を覚ますとすごく痛ましい顔をしている人達がベッドに寝ている自分を囲んでいる。
だ、誰?
ふくよかな年配の女の人が俺の手を握って言葉を話した。
何を言っているのか分からない。
俺の知っている言語じゃないぞ……。
どうやら励まされているように感じるけど。

「もう大丈夫だからね!安心していいからね!」
『……あ、ここは?』

身体はなぜかだるく、ずっと寝てたような掠れた声が出た。
それがどうも俺を弱々しく見せてしまったようで手を握っている女の人は瞳を潤ませて身に付けているエプロンで目元をそっと拭った。
いろんな人が俺に向けて何か言っているけど……全く分からない。
マジでここどこだよ。
場所が分からない、言葉が通じない以外にもう一つすごく気になる事があった。
この場にいる老若男女全員の頭と尻に人には通常ないものが付いている。
良く見たが間違いなく……犬耳とシッポがついていた。
なぜだ?それ以外は普通なのに。
なにかのイベントの最中なのか?
巷ではコスプレというものが流行っていると会社の先輩からは聞いてはいたけど……初めて見た。
全員が同じ形や色ではなく、ちゃんと個性がある。
垂れている耳やピンっと立っている耳。
丸まっているシッポ、長いシッポ。
クリーム色や赤茶色、黒色等様々だ。
しかも本物のように動く。
どうやっているんだろうと考える俺はかなり冷静だ。
本当ならパニックを起こしてもいい状況なのにそうならないのは、これが現実ではないと考えているから。
……つまりこれは俺が見ている夢なのだ。
獣のコスプレをしている人達のイベントという奇妙な夢を見ている原因にも心当たりがある。
俺は社会人一年目の新人で、新人歓迎会の飲み会に参加していてる時、隣に座ったのがコスプレの事を教えてくれたアニメ好きの先輩だった。
その先輩から今一押しのタイプの違う獣の耳とシッポを付けたかわいい女の子達と男の主人公の交流を描いたアニメの話しを永遠とされたのだ。
残念ながらいくら、萌え〜萌え〜と身をくねらせながら言われても共感できる所はなかった。
同期達からの憐れんだ視線をすごく感じた。
助けてくれよ、薄情者め!
途中から記憶がないから多分寝てしまったのだろう。
目を覚ましてまたあの話しをされるよりはこの夢を体験した方がずっと良いと思ってベッドから出ようとした。
するとすぐに元の位置に戻される。

「ダメよ!大人しく寝てなきゃ。ね?」
『あの、すみません。言葉が分からないです。ここはどこですかね?』

身振り手振りで聞くと、周りにいる人達がひそひそと話し始める。

「言葉が通じないわ」
「違う国から捨てられたんだわ」
「わざわざここに?」
「幻影の森があるからよ」
「酷い」
「いくらないからといって」
「この子のせいじゃないのに」

色々聞こえて来るが一体なんの事だか。
どうやら話しがまとまったみたいで皆、お互いの顔を見合わせて頷く。
そして代表で先程のふくよかなおばさんが俺に話し掛けて来た。

「私はイルエよ。あなたの名前は?名前よ、分かる?」

おばさんは指を己に向けてイルエと言っている。

『ィ……ルエ』
「イルエ」
『イルエ』
「そう、イルエよ。じゃあ、あなたは?」

今度は俺に指を向けて来た。

『俺は、川中聡です。サトル』

「サトォル?」
『サトル』
「サトルね」

にっこりとおばさんが笑う。
そしてなぜか頭を撫でられた。
……どうせなら言葉が通じる設定が良かったな。
自分の夢ながらうまくいかないものだ。

「これは安眠効果があるネネム茶よ。これを飲んで、もう少し寝ていなさい。ここはあなたを排除するような者達はいないから安心してね」

おばさんから飲み物を貰った。
飲むとほのかに花の香りがして甘かった。
味覚が随分とリアルだな。
こんな事は初めてだ。
横になっていると徐々に眠気がやってくる。
夢の中って寝れるもんなんだなーと感心しながら眠ってしまった。







俺は感動していた。新築の家の前で俺は泣きそうになるくらい感動していた。

「いやいや、サトルがこの村に来てもうすぐ一年か」
「はい。いちんねんです」
「しばらくサトルを十三歳くらいの子供だと思ってたからなぁ。言葉が通じて来た時に年齢を知って驚いたよ」

わはははっ!と豪快にマッチョな大きい身体を揺すって笑っているのはイルエ母さんの夫で、ダダン父さん。
職業は大工だ。
二人は大恋愛の末に夫婦になったが子供には恵まれなかった。
なので俺を養子にと希望してくれたんだ。
いやいや、この世界を夢だと思っていたのだが、いつまで経っても目が覚めない事に疑問を感じ、だんだんと焦り始めて動揺のせいか足をもつれさせて転んだ時の痛さといったらまるっきり現実のそのものだった。
手足から血が流れていく様を見ながら茫然自失になって、しばらく自分の中で色々落ち着くまで時間が掛かった。
それまではイルエ母さんをとても心配させてしまって悪かったなぁと思っている。
俺が二十三だと知った今も十三歳の子供を相手するように接してくる。
だから、十六歳になった男は自分の家を建て、一人で暮らすというこの村のルールに文句を言っているのだ。
俺がいるウェルク村は幻影の森の中心にあって、外界とはほとんど接触がない。
その理由は幻影の森にある。
入ったら最後、右も左も分からなくなって出て来れなくなる恐ろしい森だ。
ただ、ウェルク村の狩人は森を熟知しているらしい。
俺を見つけてくれたのも狩人だった。
それを聞いて運が良かったと胸を撫で下ろしたのは記憶に新しい。
この世界は魔物が存在しているが、その魔物でさえあの森にいないそうだ。
もし、一人で目覚めて森を歩き続けていたら……と想像するとゾッとする。

「早く嫁さんを貰ってイルエを安心させてやれ」
「う、うん」

子供のように頭を撫でて来るダダン父さんを見上げる。
幸い、元いた世界とここの世界の時間や年齢、寿命は同じだ。
ただ、成人とみなされる歳はこっちの方が早い。
十六歳になれば大人の仲間入りだ。
いつでも結婚できるように家を建てるのだ。
この村では平均四、五人の子供がいる。
だから家は最初から大きく造る。
俺がダダン父さんに建ててもらった家もかなり広い。
もしかしたら大きめに造ってくれたのかもしれない。
子供をたくさん作れという事なのだろうか。
そもそも、種族が違うのに……その辺は大丈夫なのか?
……そう、俺は勘違いしていてコスプレだと思っていた村人の犬耳やシッポは、実は本物だったのだ。

「大丈夫だ、きっとお前を好きになってくれる人は現れる。耳やシッポがなくてもこれがあるだろ?」

ダダン父さんがそう言って触ったのは……。
あまり言いたくないが、俺の犬耳だ。
ちなみにシッポも付けている。
もちろん、本物ではない。
偽物だ。
なぜ俺の頭に犬耳、尻にシッポを付けているかというとだな、村人が少しずつ自分の毛をくれて作ってくれたんだ。
すごいだろ、本物の毛なんだぞ。
本当は必要なかったんだけど、村人の犬耳やシッポの禿げている箇所とか見つけちゃったら断れなくてさ。
それ以上にそこまでしてくれた事に感動したよ。
今は俺も見た目はこの世界の住人だ。

「が、がんばる、ます。まず、ことば、ちゃんとはなす。がんばる」

まだ会話はきちんと出来ないでいる。
聞き取るのは結構できるんだけど、話すとなるとアクセントが難しくて発音が出来ないんだよな。

「そうだな。ナグじいさんの畑仕事もがんばるんだぞ」
「うん」

ナグじいさんはベテランの農家で広大な畑にいろんな野菜を作っている。
家族で営んでいるのだが俺が農業に興味があるとダダン父さんから聞いて、それ以来手伝わせて貰っている。
なぜ農業なのか。
それは、野菜がめちゃくちゃおいしくて感動したからだ。
しかし、不思議な事にこの世界は料理というものがない。
基本の焼く煮る蒸す揚げるはあるのだが、いろんな食材を調味料を足して組み合わせるという事をしない。
まぁ、元の食材が単体でこんだけおいしければ満足してしまうのも無理はないだろう。
でも、料理を知っている俺としては、もっとおいしくなる可能性があるって分かっている俺としては、作らない訳にはいかないだろう!
でも、残念ながら台所はイルエ母さんのもので一歩も踏み入れさせてはもらえなかったのだ。
俺が成人していると分かったと同時に新しい家を建てると決まり、これから一人で料理する予行練習するから台所を貸してと頼んだ時も怪我するからダメ!と言われてしまった。
ダダン父さんは過保護だなぁと笑っていたけど……まさか俺が一人新しい家に住む事になったら作りに来る気じゃないよね。
それがちょっと心配だ。

「今日から一人暮らしだが、困った事があったらいつでも相談にくるんだぞ」
「うん」

頭を撫でていた手をそっと離した。
ダダン父さんの犬耳が少し垂れている。
白髪交じりのブラウンの髪と同じ色の耳。
俺との別れを寂しいと感じているのだろう。
大抵、犬耳とシッポを見れば相手の感情を知る事が出来て結構便利だ。
俺の場合は偽物だから動かす事は出来ないけど。

「養子だがサトルは俺とイルエの実の子供だと思っているからな」
「ダダンとうさん、ありがと」
「俺とイルエはずっと子供が欲しいって願っていたんだ。だからサトルがいて毎日すごく幸せだ」
「おれも、しあわせ!ありがと。たくさんありがと!」
「ははは!じゃあ、俺は家に戻るぞ。後でイルエが来るから」
「わかった」

ダダン父さんやイルエ母さんを含めた村人全員、俺が親に幻影の森に捨てられたと勘違いしていた。
成人していると分かると今度は自殺しようとしていたのではと推測されたが、俺はそれを否定してそれ以前の記憶がない事にしている。
やはり犬耳やシッポがないとこの世界では差別対象になるようだ。
全員がそうではないが先天性で欠如している子供は圧倒的に捨てられる率が高いらしい。
イルエ母さんがダダン父さんに我が子を捨てる親に憤っている姿をこっそり見た時がある。

『俺はこの村に拾われて良かった〜』

新しい自分の家のソファーに座って大きな溜息と共に言葉を吐き出した。
差別が当たり前のところだったらどんな扱いを受けていた事か。
そう思うと、みんなの為に何か自分は出来ないものかとシッポを撫でながら考える。

『う〜ん、……よし!』

悩んだ末の考えついたのは、料理だった。
元の世界の料理をみんなに振舞いたい!もっとおいしい料理が作れる事を知ってもらいたい!
決意も新たに、家に来たイルエ母さんがこれから一人で暮らす俺に心配そうな顔をして帰っていった後、レシピをノートに書いていった。





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