<プロローグ>



王都から離れた最果ての村の山奥にひっそりと建てられている簡素な屋敷の一室で一人の女が癇癪を起しながら暴れていた。
本来なら今頃、このリヴァディガル王国の王妃として、贅沢な生活を毎日、豪華絢爛な城の中で送っていた事だろう。
しかし、それも今は叶わなかった女の夢でしかない。
現実は、見張りの兵士に囲まれ、自由のない質素な生活。
侍女などは一人もおらず、産まれた頃より何もかも人の手でしてもらう事が当然の暮らしをしていた女にとって、着替えを自分でする事すら屈辱だった。

「お着替えを」

冷たい声で、金切り声を上げている女に指示を出した兵士長はソファーにあったクッションを投げつけられる。
片手でそれを阻止し、感情のない目で女を見た。

「たかだか一般兵ごときが私に指示をするなんて……っ!」

まだ何か言っていたが最後まで聞かずに牢獄という名の女の部屋を出た。
外の扉の前で見張りの兵士が敬礼する。
それを見て兵士長は労いの言葉を掛けた。

「いつもごくろう」
「ハッ。ありがとうございます」

女の為にこんな辺鄙な場所で見張りという仕事をしなければならない己の部下に同情をする。
しかしそれも現王妃の願いの為だ。
リヴァディガル王国に春をもたらせてくれたかけがえのない王の伴侶。

「よう、元気そうだな。ヒューイ」
「ゲオルド将軍っ。いつこちらへ?」

思い耽っていたヒューイは城にいるはずの将軍の声を聞いて驚いた顔をした。
大剣を武器にするゲオルドはそれに見合った体格をしていて、そこにいるだけで存在感がある。
すぐに周りの兵士達も気付き、姿勢を正した。
兵士長のヒューイも当然、リヴァディガル王国の将軍であるゲオルドに敬礼をする。

「ああ、そんなのは良い。姿勢をくずせ。お前らもな」

周囲にいる兵士に聞こえるように大きな声を出したゲオルドはヒューイの肩に腕を回して引き寄せ、小声で話した。

「あの宝卵はどうだ?」
「いえ、産まれる兆しは見られません。なにせ言祝ぎをしていませんから。エリザは産んだ宝卵を一度も抱くことなく、己の不幸を日々嘆き、そして癇癪を起しているだけです」

ヒューイの報告にゲオルドは舌打ちをする。
リヴァディガル王国では子は何よりの宝だ。
三か月ほどで産まれる手のひら程の卵は宝卵と呼び、それから殻を破って産まれて来るまでの七か月は両親の愛に包まれて言祝ぎを聞きながら宝卵の中で成長していく。
しかし、稀に宝卵を放棄する親がいる。
すると、産まれる月になっても殻を破る事がなく死んでしまうのだ。

「今、どれくらいだ」
「あとひと月で産まれる月です」
「そうか」

ヒューイから離れたゲオルドはおざなりにノックをして悪女と評価しているエリザの部屋に入った。
絨毯など敷かれていない木の床には、ヒューイが先程、渡した服が落ちている。
この部屋の主は奥にあるベッドの上で夜着のまま嘆いていた。
人の気配に気付き、顔を上げると表情が険しくなり、ゲオルドを非難した。

「勝手に私の寝室に入り込んで、なんて野蛮な男なの!?まったくあの時から変わってませんわ!」
「おうおう、それはこっちのセリフだ。アンタも変わってねぇなぁ」
「これ以上、近寄らないで!なぜ、こんな男に王は将軍の地位をお与えになったのかしら!」

汚いものを見るような蔑んだ目で見て来るエリザにゲオルドは笑った。
エリザがゲオルドを露骨に嫌うのには理由がある。
それはゲオルドの生まれが一般市民だからだ。
エリザは王族と縁のある大貴族で幼い頃より大事に育てられ、他家の貴族や使用人に跪かれるのは当たり前の事だった。
その上、一般市民は家畜同然だと考えていたのでゲオルドがどんなに優秀な人物であろうと目の前にいる事自体がエリザにとって許せるものではなかった。

「まーだ、なぜ自分がここにいるのか分かっちゃいねぇんだなぁ」
「なぜここにいるのですかって!?」

ゲオルドの呟きにしては大きな声に即座に反応したエリザは盾代わりに抱いていた枕に爪を立てた。

「あの、いやしい女が私の王を騙したからじゃないの!絶対にあの女の刻印は偽物よ!私こそが!私こそが王の伴侶なのにっ!」

エリザの左の手の甲には王と同じ刻印がある。
それは伴侶の証。
王妃になる事を疑いもしなかったのだが、同じ刻印を持つ者はエリザだけではなかった。
もう一人、現王妃であり、元巫女のマリエルもまた王と同じ刻印があった。
そして王が現王妃を伴侶に選ぶとエリザはすぐに色々な手段でマリエルの命を狙った。
しかしそれが失敗に終わると次に王と既成事実を作り、子を孕もうという強行手段に出た。
身体を重ねる事は出来なかったが一時的に王の意識をなくす機会を得たエリザは周囲に褥を共にしたという嘘を流した。
そしてしばらくして宝卵を授かったと言ってのけたのだ。
本当に妊娠してたので城内は騒然となった。
だが、三ヶ月後、宝卵を出産したエリザの元には王ではなく、ゲオルドが兵士と騎士を連れて現れ、罪状を読み上げた後、王都から最も離れている山の中の屋敷に幽閉された。

「あんたは王の怒りに触れちまったんだよ。王妃の命を狙ったばかりか、今までの行いを謝罪すると言って王を騙し、薬を盛り、しかも王の乳母兄弟を誑かして子供を作り、王の子だと虚言した」
「……っ!あの女が悪いのよ!あの女さえいなければ私はこんな事になっていなかったのに!」

何を言ったところで本気で己に否は無いと思っているエリザを見てゲオルドは溜息を吐いた。
ベッドに伏せて恨み辛みを言っているエリザを一瞥してある場所に視線を移す。
それは宝卵が乗せてある揺り籠だ。
まだこの世の穢れに触れていないような純白の宝卵の傍に行くとそっとゲオルドは手を当てた。
この宝卵を見るのは二度目だ。
一度目は産まれた直後。
その時はまだ手のひらの大きさだった宝卵も今は大きく成長し、両手でなければ持てない程になっている。
先程、兵士長のヒューイから聞いた話しでは一度も言祝ぎをされずにあとひと月で生まれ月になってしまうという事だ。

「なんと哀れな……」

当てていた手を滑らせ宝卵を撫でる。

「産まれて来い。この世界がお前にとってちっとばかし厳しいかもしれねぇがどうってことないぞ。それ以上に素晴らしいもので満ちているんだからな」

いくら子は宝だとは言っても兵士達も己の王と王妃に不敬を働いた女の宝卵を気に掛ける事はない。
それを不憫に思いゲオルドなりの言祝ぎをした。

「王に長らく見つからなかった伴侶がようやく見つかった。美しくて優しい王妃だ。そのおかげで厳しい冬の季節が終わり、春が来たんだ。王国が華やかに色づいてすごく綺麗だぞ。後は、そうだな……王都の馬の蹄亭って所の飯と酒と女は最高……おっと」

ゲオルドは途中で口を噤んだ。
産まれて来る子が女の子だったらと考えたのと、もう一つ。
王妃の温情で生かされているが、産まれて来た子はこの屋敷から出る事は叶わないだろう。
自分勝手な母親の罪のせいで。
せめて幸せだと感じてもらえる生活が出来たらと思っていると僅かに手に振動が伝わった。

「ん?」

今まで置物のように動かなかった宝卵に変化が見られた。
内側から反応があったのだ。

「お?俺の声が聞こえているのか?」

ゲオルドの問い掛けに答えるように活発に動く。
口角を上げたゲオルドはそっと大きな手で宝卵を抱き上げた。

「俺の名はゲオルド・デュセル・エヴァランスだ。この国、リヴァディガル王国の将軍を拝命している。お前が産まれて来る事を待ち望んでいるからな」

元気良く動いている宝卵にほほ笑んでそっと揺り籠に戻した後、踵を返し、エリザに背を向けて部屋を出て行った。
その時、エリザがどんな目で自ら産んだ宝卵を見ていたのか、ゲオルドは気付く事が出来なかった。

「まったく、何も変わっちゃいねぇなぁ」

部屋の外に出たゲオルドが頭を振り、独りごちる。
そうそう簡単に人が変わる事はないと分かってはいるが、ほんの僅かでも変化が見られないのは実に残念だった。
今こうしてエリザが生きていられるのは王妃の温情があるからだ。
宝卵に言祝ぎをする母親がいないのは哀れだと王妃が王に訴えたからこそエリザは生かされた。
心を入れ替え、宝卵を慈しみ、改心した態度を見せればこのような最果ての地の牢獄のような屋敷にいつまでも幽閉される事はなかっただろう。

「この先もあのままだな」

やれやれと溜息を吐いて、一歩前へ踏み出した――が、突然エリザの部屋から何かが割れる音が聞こえてきた。
その瞬間、ゲオルドは部屋のドアを開き、中へと素早く入る。
目に映ったのは、窓の傍で佇むエリザと、その足元には飛び散っているガラスの破片、そして窓を割ったであろう装飾品の置きものが転がっていた。

「ゲオルド将軍、何が……これはっ!」
「ヒューイ、待て」

ゲオルドはエリザに近づこうとしたヒューイを手で制した。
駆け込んできた兵士達にもその場にいるように指示をする。

「おい、宝卵をどこにやった」

ゲオルドの抑揚のない冷たい声に初めてヒューイは揺り籠にいつもあった宝卵がなくなっている事に気付いた。
ざっと視線を動かして探したが見つからない。
まさか、と嫌な予感がヒューイの脳裏をよぎった。

「う、ふふふっ、ふふふ!そうよ、あんなものがあるからいけないのよ。だから王は私を伴侶にしないんだわ」
「それで、宝卵をどうしたんだ」
「宝卵?あの元凶の事?捨てたわよ」
「捨てただと?」
「そうよ。ああ、これで私は王都へ帰れるわ。そして王の伴侶になるの」

うっとりと笑ったエリザにゲオルドは怒りのあまり吠えた。
それは部屋の全てのガラスを割る程の破壊力を持っていた。
兵士達でさえも竦み上がってしまう程だ。
エリザは呆けた顔でその場にへたり込んでいる。
己を制するために大きく深呼吸したゲオルドは歯ぎしりをしながら兵士長に質問した。

「ヒューイ、その窓の下は?」
「下は谷になっています」
「兵士達を連れて宝卵の捜索に行け」
「ハッ!」
「それとこの女は地下牢に放り込んでおけ。俺は王都へ飛ぶ」

屋敷から出たゲオルドが咆哮すると、たちまち光りに包まれ、何十倍もの大きさの黒竜になった。
そして言葉通り、両翼を羽ばたかせ一気に飛び去った。
目指すは王のいる王都。
この事態を報告するために。
飛翔したゲオルドの眼下に小さくなった屋敷が見える。
すぐ隣には谷が森を二つに割り、それは遥か先まで続いていた。
あの高さから落とされた宝卵が助かる可能性がない事は、あそこにいた誰もが感じてただろう。
だが、無事でいろ、無事でいてくれと願わずにはいられなかった。
母親から放棄された宝卵。
ゲオルドの言祝ぎに元気良く反応を返してくれた宝卵。
あとひと月でこの世に誕生するはずだった命は結局、懸命な捜索もむなしく、ついぞ見つける事が出来なかったのだった。




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