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通話を切った蒼夜は寮の管理室を出る。
管理室は一階にある談話室の隣にある。
そっとその場から自室に戻ろうとしたのだが……。

「蒼夜、終わったのか?」

開け放たれていた談話室のドアからこの学園の白王子が現れた。
みんながうっとりとしてしまうような笑み付きで。
しかし目が笑っていない事は明白だった。
思わず後ずさりしてしまう程に。

「えっと、さ。お前ここにいたら……騒がれるだろ?だから……」
「じゃあ、さっきの話しの続きを蒼夜の部屋で聞かせてもらおうか」

本来ならこんな第三等寮に姿を現すはずのない白王子は蒼夜の話しなど耳を貸さず 表面上だけは穏やかに、しかし内に激しい感情を渦巻かせながらしっかりと手首を掴んで 引っ張っていく。
蒼夜はまるで裁かれる罪人の気持ちになったように項垂れながら引きずられるように歩いて行った。
ゴールデンウィークもまだ残っているのでほとんどの生徒が家から戻っておらず誰にも会うことなく 自室へと辿り着く。
中に入ればやはり人の気配を感じさせず、同室の藤堂もいない事が分かる。

「ちょっと、陽一!」

自分の部屋に入った途端、ベッドに押し倒されてTシャツの首元を引っ張られ、肩口を出された。
長い指がつっとある痕をなぞる。

「……で、これは誰がやった?」

蒼夜は首を動かしてそっと見た。
肩に付いている噛み痕を。
それは霧島家に行った時、藤堂に押し倒された際に噛まれたものだった。
当初よりは大分痕が薄くなっているがまだはっきりと分かるくらいに残っている。
どうしよう……と蒼夜は内心冷や汗を大量に流した。
藤堂に噛まれたんだけど、だなんて気軽に言っていい状況ではない事は明らかだ。
しかしいつまでも黙っている訳にはいかない。
目の前の男はすでに待つことの限界が越えそうな状態だ。

「喧嘩したんだよ……」
「喧嘩?」
「そ、そう。ちょっと絡まれて」

藤堂とのアレは実際喧嘩みたいなものだ。
嘘はついていない。
しかし比奈山は半分疑うような目つきで蒼夜を見ている。

「痛かっただろ?」
「え、ああ。まぁ……。お、おい」

噛み痕に比奈山の唇が撫でるように触れる。
そして口が僅かに動いた。

――許さないな、と。

本当に小さな声だったので蒼夜には聞き取れなかった。
なんか言ったか?と思った次の瞬間、肩口から焼けるような痛みがして目を見開く。

「いっ!!ちょっ、陽一っ!!な、にしてんだ!!」

噛み痕の上から比奈山が噛みついたのだ。
あまりの痛みに離れようとするが圧し掛かられていて身動きが取れない。

「陽一!!」

比奈山の名前を叫ぶと、ようやく口が離される。
感情を押し殺しているような暗い目をした比奈山が血の付いた唇をペロリと舐めた。
どす黒い闇に包まれているような雰囲気に一瞬、呑まれそうになるがズキズキと痛む肩が それを押しとどめ蒼夜は眉を釣り上げて怒った。

「お前っ!何考えてんだ!!」
「……何を考えているかって?俺は蒼夜の事しか考えてないよ。で、これは誰がやったんだ?」
「そ、それは……分かんない……」

明らかに蒼夜の視線がキョロキョロと動いて比奈山と目を合わせようとしない。
嘘丸見えな行動に比奈山は息を吐いた。

「蒼夜。これ以上俺を怒らせないでくれ。庇わなくてはいけない相手なのか?」
「し、知らないって言ってるだろ!」

頑なに拒否をする。
どれだけ比奈山が怒ろうが後々の自分の為に口は割らないぞと決心していると二人しかいないはずの 部屋からカタンっという音が聞こえた気がした。

「蒼夜、もう一度言うが……。蒼夜?」

蒼夜がどこか別の一点を見つめながら、身体を震わせている。
突然一変した蒼夜の様子に比奈山は怪訝な顔をする。
どうした?と問うと……。

「いる。……いる!ヤバイ!いるって!!」
「いるって何がだ」

それは必死な様子で訴えて来る蒼夜は自分でも気付かないうちに比奈山にしがみ付いた。

「お前、聞こえなかったのかよ!今、音がしただろ!?」
「音?」
「いる!」

比奈山はもしかして……と思い、いるとは幽霊の事か?と確認するとしがみ付く力が明らかに強くなった。
まさか幽霊類を蒼夜が苦手だとは思わなかったのでこんなにも怖がっている事に目を瞬かせ思わず笑いが漏れてしまった。
この目の前の愛おしい相手のかわいい行動に嘘のように先程会った怒りが消え失せて行く。

「おい、陽一!笑っただろっ!」
「大丈夫だ。幽霊なんて存在しない」
「バカ野郎!俺も今まではそう思ってたんだよ!でもいるんだって!さっき……」

一旦言葉を切ってごくりと嚥下した蒼夜は真面目な顔して比奈山をジッと見る。
そして意を決したように話し出した。

「俺は見たんだ……。いつまでも恋人を待っている霊をっ」




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