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蒼夜が恭吾から逃げ出して無事に学園に戻り、寮の自室へと入って荷物を置くと、何もする事もなく、 直ぐに暇を持て余した。
その辺を散歩する事にした蒼夜は、自然に囲まれている道を特に目的もなく、進むがままに歩く。
すると、水面が太陽にキラキラと反射している湖に出た。
近くに座り込んでしばらく、ぼけーっとしていると先程まで自分の身に起きた事が嘘のように感じられた。

「はぁ……」

自然に溜息が出てしまった時、ふと声を掛けられた。
隣を見上げると。

「こんにちは」
「あ、ども」

背が低い黒髪の生徒が挨拶してきて、蒼夜も返す。
少し話しをすると学年が一緒だと分かった。

「へー、塚森君は転入生なんだね。だから見掛けなかったんだ」
「うん。小原君はゴールデンウィーク中は家に帰らなかったの?」
「色々あってね」

小原優と名乗った同級生は苦笑いをした。

「そっか」

蒼夜は特に詳しく理由は聞かなかった。
人それぞれ何かしら抱えているものはある。
話したかったら、自分から言うだろうと小原から湖に視線を移した。

「そういえば、知ってる?この湖にまつわる悲しい話」
「悲しい話?」

唐突な話しに蒼夜は視線を再び小原へと戻す。
ジッと湖を見つめていた小原が教えてくれた。
20年ほど前に起きた、生徒の悲恋を。

「ある恋人達がいたんだ。とてもお互い愛し合っていたけど、一人は生徒会長で 親が社長をしているお金持ち。もう一人はどこでもいるような一般家庭の生徒でね、 二人は周りにバレないようにいつも夜になると、ここでこっそりと会っていたんだ。 だけど、一般家庭の生徒がいくら湖で待っても会えない日が続いた。不審に思っていると、 どうやら恋人に婚約者がいる事が分かったんだ」
「え?二股って事か?」
「ううん。勝手に親が決めた婚約者だったそうだよ。その言葉を信じてたんだけど、ある時、ばれちゃったんだ。周りの生徒達に。生徒会長と恋人関係 だって事がさ。生徒会長はすごく人気のある人だからそれは色々な形で攻撃を受けた。がんばって耐えていたけど……恋人に正式な婚約発表があったと知らされて絶望した。身も心もボロボロになっていた生徒はこの湖に身を投げたんだ」
「なんだよ、それ……。生徒会長は恋人が嫌がらせをされているっていうのに何もしなかったのか?」
「一般家庭の生徒が何も言わなかったから、知らなかったんだよ」

蒼夜は顔を顰めて舌打ちした。
もし、自分に恋人が出来たら絶対に全力で相手を護る。
何も言われなかったせいもあるかもしれないが、少しくらいは恋人の様子がおかしい事に気付けた はずだろう、とだんだんイライラとしてきてその気持ちを拡散するように、髪の毛をぐしゃぐしゃにした。

「それからさ、恋人達がここへ来るとその生徒が現れるんだって」
「ん?現れる?その生徒は身を投げて死んだんじゃ……」
「うん。だから幽霊が」
「幽霊!?」

驚く蒼夜に真面目な顔で小原は頷いた。

「幸せな恋人達に嫉妬してどちらかを湖に引き込もうとするらしいから気を付けてね」
「マジかよ……」

幽霊自体を信じていない蒼夜は疑うような目で小原を見る。
小原は苦笑いをした。

「信じるも信じないも塚森君の自由だけどね。あ、俺そろそろ行かないと」
「ああ、またな」
「うん。じゃあね」

蒼夜の元から小原が立ち去った。
その後、しばらくその場にいたが手元にあった石を掴んで湖に投げると立ち上がり、踵を返す。
その時。

「――!!」

足元が何かに取られて身体が傾いた。
咄嗟に手を付き身体を支える。
転ばなかった事に安堵して、顔を上げ……ギクリと固まった。
なぜなら蒼夜の視線の先に制服の上から黒いマントを頭から被っている者がいたからだ。
顔は完全に隠されていて確認する事は出来ない。

「気を付けた方がいいよ……ふふっ、ふふふっ」

黒いマントの生徒は高めの声で愉快そうに笑いながら蒼夜に向かって指を差す。
蒼夜は立ち上がりながら、お前は誰だ、と問おうとした。
しかし、また一歩踏み出そうとした瞬間、再び足を取られてしまう。
なんとかバランスを取って転ぶ事を避けたのだったが……。

「え?いない……」

見晴らしの良い湖には誰もいなかった。
草地を見回しても先程の怪しい生徒はいなかった。
それなのに。

「わ、笑い声?」

強い風が、ざぁっと木々や草を揺らして吹いて来た中に、生徒の笑い声がどこともなく響いていた。
耳にこびりつく笑い声に蒼夜はおそるおそる湖を振り返る。
そして小原から聞いた話しを思い返した。
ごくりと蒼夜の喉が鳴る。

「まさか……嘘だろ?」

蒼夜は顔色を悪くしながら、足早で自分の寮へと帰ったのだった。





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