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「レイ子さん!?」

携帯を買いに行くと言って帰って来たレイ子を出迎えた正芳は驚いた声を上げた。
なぜなら駆け込むようにリビングに入って来たレイ子が余裕のない顔でキャビネットの引き出しを 床の上にひっくり返し始めたからだ。

「どうしたの、レイ子さん」

正芳が聞いてもレイ子は床に散らばった紙や封筒を見ては違うこれじゃない と呟き、四つん這いになって必死に何かを探していた。
そしてまた違う引き出しを開け、ひっくり返す。
尋常じゃないレイ子の行動に後ろから正芳は抱き締めた。

「レイ子さん!落ち着いて、何があったの?」
「正芳さん、離して!あの子が、蒼夜がっ!!」
「蒼夜君がどうしたの?」

レイ子は突然力が抜けたように項垂れた。

「あの男が駅のホームで蒼夜と接触したのよ……」
「なんだって?それで蒼夜君は?」
「あの男は見送っただけだと言ってたけど、でもそれが本当かどうかは分からないわ! だってバレてしまったのよ!蒼夜が、あの男の子供だって!!」

レイ子の悲痛な叫びがリビングに響く。
正芳は蒼夜君に連絡を……と言おうとして蒼夜が携帯を持っていない事を思い出した。
そこでレイ子の探しているものが分かり抱き締めている腕を離した。

「僕も探すよ。蒼夜君の寮の連絡先」

レイ子は無言で頷いた。
そして二人で探し始め、連絡先が書いてある紙が見つかるとすぐにレイ子が電話を掛けた。
その隣には支えるように正芳がいる。
数コールの後、事務的な声が聞こえてくる。
レイ子は蒼夜を呼んでもらえるように頼んだ。
お待ち下さいと言われた後、クラシックの音楽が流れてくる。
レイ子は早く早くと心の中で蒼夜を急かした。
5分程待たされた後、ようやく音楽が途切れてめんどくさそうな声が聞こえてきた。

『何だよ』
「何だよじゃないわよ!!バカ!!」
『え?』

もしかしたら恭吾に連れて行かれてしまったかもしれないと考えていたレイ子は安堵のあまりその場に崩れ落ちそうになるが正芳が身体をしっかり受け止めてくれた。

「寮に着いてるなら連絡を入れなさい!」
『だって、携帯ねぇじゃん』
「寮の電話があるでしょ!」
『どうしたんだよ……何かあったのか?』
「あんた……あの男に会ったでしょ」

受話器の向こうで蒼夜が、げっ何で知ってんの?と声を上げた。
そしてもごもごと言い訳するように逃げようとしたが失敗してメガネを取られた事を 正直に話してきた。
その後、隙をみて電車に滑り込んだ事も。
蒼夜の話しからどうやら自分の父親があの男だとまだ知っていないと分かったレイ子は そっと息を吐く。

「他に何かされた?」
『いや、別に……ってか恭吾って何なんだよアイツ』
「……。知りたい?」
『え?教えてくれんの?』
「蒼夜には知る権利があるから」
『権利って……』

蒼夜はう〜う〜唸って迷っているようだ。
レイ子はここで知りたいと言えば恭吾が蒼夜にとって何者なのか教えようと思っていた。
しかしそれだけだ。
そこまで至った経緯を話すには、レイ子の心の整理が付いていない。
自分の罪を蒼夜に告げる覚悟もまだ出来ていなかった。
告白した後の自分に対する幻滅や糾弾、もしも蒼夜が離れて行ってしまったら……と、不安に駆られながら思考を巡らせていた時、受話器から蒼夜の返事が返って来る。

『いいや!』
「いいやって、知らなくていいって事?」
『世の中には知らない方がいいって事もあるんだよ』

変に大人びたセリフにレイ子が小さく笑った。

『笑うなよ!俺はそれを学んだばかりなんだ』
「そう、分かったわ」
『あ。そうだ、携帯!買ってくれた!?』
「買ったわよ。もう壊すんじゃないわよ」
『分かってるよ』

レイ子は今度帰って来る事になったら家に連絡を必ず入れる事、 絶対に学園から抜け出したりしない事を約束させる。
もちろんブーイングが蒼夜から出たが携帯を餌に黙らせた。
そして最後にまた恭吾に会ったら何がなんでも逃げなさいと何度も言い聞かせて 通話を切った。

「蒼夜君、無事に着いていて良かったね」
「ええ……」

蒼夜の無事を確認出来たがレイ子の心は深く沈んでいた。

「レイ子さん?」

心配そうな声を出す正芳に抱きつきながらどうやって蒼夜を恭吾から護るか考え始める。
恭吾に常識という言葉はない。
だから何をしでかすか分からない。
レイ子の脳裏にあの夜の出来事が蘇る。
おぞましい赤い記憶。
そっと見上げると正芳が優しくほほ笑んだ。
まだレイ子は正芳に全てを話した訳ではない。
恭吾が蒼夜の父親だと、それしか打ち明けていなかった。
それ以上の事を語ろうとすると声が喉につっかえて出て来なかったのだ。
無理に話そうとすると正芳はレイ子を制して首を振った。
その優しさにレイ子は卑怯だと自分を罵りながらも甘えた。
ふと、元気付けるように正芳がレイ子の額にキスをする。

「レイ子さん。僕はレイ子さんの夫であり、蒼夜君のお父さんでもあるから もし、二人を不幸にするなら蒼夜君の本当のお父さんでも立ち向かうからね」

正芳はさらりとそう言った後、しゃがんで床に散らばった紙類をかたずけ始める。
レイ子の顔が綻んでいく。
広い背に抱きついて耳元でありがとうと囁いた。




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