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その日の午前、新しい携帯を蒼夜に送るため繁華街の携帯ショップに行ったレイ子は帰宅している途中、 歩を止めた。
そして素早く背後を振り返る。
すると、やあと笑う恭吾が姿を現した。
一瞬にしてレイ子の纏う気が鋭くなる。

「何しに来たの」
「んー?君に言いたい事があってさぁ」

蒼夜を早く学校に戻して良かったと思ったレイ子だったが恭吾の手に黒ブチメガネがある事が分かった途端、ザッと血の気が引いた。
あれは蒼夜のものだ。
自分が選んで買ったのだから間違えるはずがない。
不安と焦りがレイ子を襲う。

「あんた、蒼夜に何をしたのっ!?」
「別に?何もしてないよ。ただ見送っただけ」

レイ子は顔を歪ませギリッと歯を噛みしめた。
己の考えが甘かった事を悔いる。
それは恭吾自身からも指摘された。

「自分の息子を俺から隠そうとしてたみたいだけど……最後まで見届けないとね。 改札までじゃなくてホームで電車に乗るまでさ」
「何を言って……!蒼夜は私の子じゃなくて夫の連れ子だって昨日言ったでしょ! 私は子供を生んだ事なんてないわ!」

恭吾は黒ブチメガネを弄りながらニッコリと笑った。
レイ子にはその笑みが薄気味悪く感じ自身の警戒を高める。

「嘘はいけないなぁー嘘はさー。蒼夜の顔を見てすぐ分かったよ。蒼夜は……」
「違うっ!!」

レイ子は恭吾の言葉を遮るように叫ぶ。
そして冷静になれと自分に言い聞かせた。

「蒼夜の顔を見たのね。じゃあ、尚更否定出来るわ!」
「そうかなー?俺は逆に確信が出来たけど」
「え?」

まあ、コレ見てよと恭吾は手を後ろに回しパーカのフードの中を探る。
そこから折れ曲がったA4サイズの封筒が出てきた。

「これ、なんだと思う?」
「そんなの知らないわよ!」

勝ち誇ったように恭吾はニヤッと笑う。

「DNA鑑定書」
「……なんですって?」
「といっても君と蒼夜のじゃないよ、これは俺と蒼夜の」
「――っ!!」

想定外な事が起こり足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。
いつどうやってDNA鑑定に必要な蒼夜の細胞を手に入れたのか。
そのチャンスがあるとしたら今日の朝。
レイ子は一つの確信を持ち震える足に力を入れて恭吾をきつく睨んだ。

「何があんたと蒼夜のDNA鑑定書よ。今日の朝……数時間前に蒼夜と接触したばかりで そんなに早く鑑定が出るはずがないでしょ!」

恭吾は数回瞬きした後、身体を揺らして笑い出した。

「あははっ!うんうん、そうだねー。数時間前だったらそれは無理だよね〜」

笑い続ける恭吾にだんだん苛ついてきたレイ子は話しにならないと黒ブチメガネを奪おうとした。
本当は近づきたくはない。
2メートル程離れている時点でも足が竦んでいる状態だ。
しかしこの男に蒼夜のものを持たせておくのは絶対に嫌だった。
今なら奪えると手を恭吾の黒ブチメガネを持っている手に伸ばした。
もう少しで触れるというところで手首を掴まれる。

「ねぇ。いつ俺が今日の朝、DNA鑑定を依頼したって言った?」

恭吾はレイ子に 誰もが頬を赤く染めうっとりと見つめてしまいそうになるほほ笑みをした。
しかしレイ子は逆に青褪めていく。
その言葉の意味を理解したのか、それとも手首が今にも折れそうなくらい強く握られているからか。
レイ子の唇がかすかに開き、かすれた声を漏らした。

「まさか、前に……あの時に……?」

蒼夜から恭吾とは昨日が初対面ではなくその前に繁華街で会っていたと 言っていた事を思い出し、身体が震え出す。

「あぁ、君は蒼夜から聞いたのかな?その時、気付かれないように 鑑定に必要なものを蒼夜から貰っちゃった。本当は君のも併せてやった方が良かったんだけど生憎、 君のは無かったからさ。ま、俺と蒼夜のでも十分、分かるしね」

恭吾は握っていた手を離し、レイ子の手首に付いた鬱血の痕を見て口角を上げる。
そして蒼白になっているレイ子に甘く囁いた。

「認めなよ。蒼夜は君の子だろ?」

レイ子は己の罪を楽しそうに暴く恭吾に押しつぶされそうだった。
バレてしまった。
この男に。
レイ子は耳を塞いで固く目を瞑った。

「あはははっ、蒼夜は君の子だ!君と――」


しかし残酷にも声は脳に響いて来る。


「――俺のね」














路地裏をご機嫌な様子で歩く恭吾に安慈は後ろから声を掛ける。
するとレイ子にDNA鑑定書だと言った封筒をその辺に捨てながら振り返った。

「何?」
「何じゃねえ。ガキの話しは後で聞くとして、 いつの間にお前とガキのDNA鑑定してたんだ。坊主に初めて会ったのは三日前だがそれでも そんなに早く結果が出るもんじゃねえだろ。 それに鑑定書捨てていいのか?」
「ああ、それただの封筒だもの」
「あ?」

レイ子とのやりとりを影から見ていた安慈は思わず間抜けな声を出してしまった。

「あっさりだまされてくれて良かったよー。カマをかけてみるもんだね」
「お前……」
「でも、もう少し冷静になって考えれば俺が嘘をついているところを見破れたのにねぇ。 さすがに最初蒼夜に会った時は息子だって気が付かなかったし。あの時分かっていれば 今頃俺の手の中だったんだけどなぁ。ま、居場所は分かっているから焦る必要はないけど」

恭吾が以前に語った人物以外の者に執着する姿を初めて見た安慈は内心驚きながらも先程から 疑問に思っていた事を口にした。
それは蒼夜の容姿だ。
恭吾とはどこからどう見ても似ているところはない。
親子です、だなんて言われても冗談にしか思えないだろう。
その上、レイ子という母親もまた恭吾と同じく人を引き寄せる美貌の持ち主だった。
その間から……言っちゃ悪いがアレが?と首を捻るものがある。

「安慈、蒼夜の容姿は俺の家系の血が出ているよ。あの人に瓜二つだ。あぁ、なんて奇跡!」

うっとりとしている恭吾は心ここにあらずだ。
そんな恭吾を呆れた目で見ている安慈は気付かなかった。
恭吾の瞳の奥で闇が蠢いていた事は。




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