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早朝の駅の改札口前で蒼夜はレイ子と正芳に見送られるところだった。

「蒼夜、忘れ物はない?」
「ないよ」
「じゃあ、気を付けてね!昨日も言ったけど、あの男に会ったら」
「逃げればいいんだろ?」

大きく頷いたレイ子は小さい紙袋を差し出して来る。
何これと聞くと餞別と言って手に持たされた。

「蒼夜君、また帰って来るんだよ。お友達とは仲良くね」
「あー……うん。じゃあ」

蒼夜は手を振って改札を抜け構内へと入って行く。
学園方面のホームへと向かい電車を待つためベンチに座った。
さすがに始発なので人がほとんどいない。
手に持っていた紙袋をスポーツバッグの中に押し込む。
夜中から起きていたせいか今頃になって眠気がやって来て、 ふあーっと大きな欠伸をしていると隣に誰かが座った振動が伝わって来る。
黒ブチメガネの隙間に指を入れて涙を拭いながら何気なく横を振り向いて――ギクリとした。
蒼夜を遥かに超す長身にガタイの良い身体、彫りの深い顔にサングラス。
もしかして霧島家の関係者ですか?と尋ねたくなるような雰囲気を出している男がいた。
顔をそっと正面に戻してスポーツバッグをギュッと抱える。

「なぁ」
「……」
「なぁ」
「……」

も、もしかして俺に話しかけてきてんのか?とちらりと見ればバッチリ目が合った。
ビンゴー!!じゃねぇっと己に突っ込みを入れる。

「聞こえてんだろ?」
「……は、はぁ」
「蒼夜ってお前だろ?」

蒼夜の脳内で緊急会議が開かれた。
素直に返事をした方がよいのか。
ここは警戒を解かずにこの場から立ち去った方がいいんじゃないか。
でもコイツは恭吾ではないから逃げる必要はないし。
いや、俺の名前を知っている時点で十分怪しいよな。
どうする……?どうするよ!?俺っ!!

「名前、蒼夜で間違いないよな?」
「イ、イエ。ソウヤデハアリマセン」
「あ?人違いか?いや、でもなー……昨日遠くからだが見たしなぁ。そのダサいメガネを掛けてる やつなんてそうそういないしなぁ」
「おっ!……」
「お?」
「ナンデモアリマセン」

危うく、俺だって好きで掛けてんじゃねえよ!と言い返しそうになる。
蒼夜は警戒を高め知らぬふりをする事に決めた。
そしてヤクザみたいな長身の男から距離を取ろうとした。
しかし腕をガシリと掴まれて身動きが取れなくなる。

「ま、いいや。あいつに確認させるからよ」
「あいつ……?」
「ん?あ、来た」

蒼夜が振り返った先に黒いパーカに身を包んでいる美しい男がこちらへゆっくり歩いてくる。
被っているフードから目を覗かせて真っ直ぐ蒼夜を見ていた。

『あの男に会ったら逃げなさい』

頭の中でレイ子の言葉が蘇る。
蒼夜は掴まれている腕を振り払って逃げ――られたらどんなによかったか。
長身の男に掴まれている腕は簡単には外れなかった。

「ちょっと、おっさん!離せよ!」

蒼夜が怒鳴ると、あはははっと笑う声が。

「おっさんかー。安慈、おっさんだってぇ」
「坊主にしてみれば俺はおっさんだろうさ」

空いている方の手でカチッと煙草に火を付けた安慈は煙を吐き出す。
蒼夜は思わずここ禁煙だぞと注意すると安慈は片眉を上げる。
そしてまたあはははっ!と笑う声が。

「恭吾、笑い過ぎだ」
「いやー。だって蒼夜がおもしろいからさぁ」
「何だ、坊主。やっぱりお前が蒼夜だったんじゃねえか」

嘘がバレた蒼夜はこの後の行動の為にスポーツバッグを肩に掛けた。
そして安慈に回し蹴りを繰り出す。
安慈は手で蒼夜の蹴りを受け止めた。
ダメ―ジは与えられなかったが今はそれが目的ではない。
本当の目的は掴まれていた手を離させる事だ。
自由になったところで蒼夜は駆け出した。
恭吾から逃げるために。
しかし――。
足に何かが絡まって派手に転んでしまった。

「いってーー」

蒼夜の両足首に重りの付いた紐が巻きついていた。
起き上がろうとする蒼夜の元に恭吾が近寄って来る。
必死に紐を外し走り出そうとした瞬間、後ろから安慈に羽交い締めにされた。

「くっそー、おっさん!離せよ!」
「おっさん、おっさん言うな。坊主」
「……ぅっ」

グイッと首を腕で締め上げられて息が出来なくなった。
苦しそうに顔を歪める蒼夜の目の前に恭吾が立つ。

「あららー、あまり抵抗しない方がいいよ」
「お、俺に……何の用……だっ」
「んー、そうだねー。自分の推測を確かめるため?」
「な…に……言って」

それにしても……と恭吾は蒼夜の黒ブチメガネに興味を示し、なぜこんな野暮ったい ものを付けているのか聞いて来る。
答えないでいると首の締りが強くなった。
蒼夜はたまらずバシバシと安慈の腕を叩く。
すると少し緩んだ。
ごほごほと咳込む蒼夜へ恭吾の手が伸び、黒ブチメガネに触れる。
顔を背けるがあっけなく取られてしまった。
蒼夜は裸眼で恭吾を睨んだ。
考えてみたところで別に恭吾に怯えられようが知った事ではない。
むしろその方が大歓迎だ。
蒼夜の顔を見て何を思ったのか恭吾が先程から微動だにしない。
少し口を開き、茫然とした顔をしていた。

「いつまで人の顔見てんだ!あぁ!?」

恭吾に向けて威嚇したが蒼夜の気迫をものともせず、ずっと凝視したままだ。
ここまで長く見られていると蒼夜の方から目を逸らしたくなってくる。
そうすると負けた気がしてくやしい。
う〜う〜っと心の中で唸りながら睨みつけていると恭吾が茫然とした顔のまま呟く様な声を出した。

「安慈、その手を離せ」
「?いいのか?」
「早く離せ」

安慈の腕が離れ、ようやく蒼夜は拘束から解放された。
今が逃げ出すチャンスと思ったのも束の間、正面から恭吾に抱きつかれた。
振り払おうと思っても蒼夜と同じくらいの体格なのにどこにそんな力があるのか 全く身動きが取れなかった。
一体、何をされるんだと慌てるが特に何をされるわけでもなく、 ぎゅーっとくっつかれているだけだった。
困惑していると恭吾の身体が次第に揺れ始める。

「はははっ……あははっ!ふ、ははっ!」
「おい、何だよ」
「最高だ!ああ、何て最高の日なんだ!!とても素晴らしいっ!!」

興奮している恭吾が再び蒼夜を正面からじっくり見る。
そして顔を確かめるように手で触る。

「何だよ!触るんじゃねえっ離せって!!」

身体を押しやるが離れない。
それどころか恭吾の美麗な顔が間近に迫り 闇夜の色の瞳が蒼夜を映し出す。
美しい人間にこんなに密着されれば頬の一つでも赤らめるだろうが 蒼夜はそれよりも瞳の奥にある狂気に気付きぞわりと鳥肌が立った。
同じだと思った。
この男もまた、比奈山や藤堂と同じでとんでもない獣を内に秘めている。

「君達!何をしているんだ!」

誰かが明らかに怪しい男達に絡まれている蒼夜を見て駅員室に行って伝えてくれたのか バタバタと二人の駅員がこちらに向かって走ってくる。
すると恭吾は蒼夜から離れ人の良さそうな顔で振り返る。
綺麗な顔をした恭吾にほほ笑まれた駅員達は同性にも関わらず顔を赤らめた。
その光景を見ていた蒼夜は タイミング良くホームに来た電車を確認した。
幸い安慈も駅員の方へと意識が向いている。
今がチャンスだと電車のドアが閉まる寸前で走り出し、身体を滑り込ませた。
バシューっと音を立ててドアが完全に閉まり電車は動き出す。
ドアの窓からホームを見ると恭吾が蒼夜へ視線を送る。
そして口角を上げ、声に出さず大きくゆっくりと口を動かした。
蒼夜は顔を顰める。

「……何が『またね』だ。もう会わねーつぅの!!」

これだから美形は嫌なんだよ!と人が誰もいない貸し切り状態の車両の中で ドスッとイスに座った。
はーーーっと溜息を吐きながら顔を覆って……。

「あれ?」

顔を触って気が付く。
黒ブチメガネがない。
記憶を思い返し蒼夜は叫んだ。

「あーーーー!!恭吾に取られたままだ!」

やられた……としばらく項垂れたがふとカンが働いてカバンを開き、中からレイ子に渡された 紙袋を取り出す。
中を見ると小さい箱が入っている。
それはとても見覚えのある箱だった。
無言のまま開けると、愛用の黒ブチメガネが入っていた。
スペアの分まで用意されている。
メガネを装着した蒼夜はどっと疲れが押し寄せて来て再び大きく溜息を吐いた。




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