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「お邪魔しました。泊らせてもらってありがとうございます」

しっかり黒ブチメガネを装着した蒼夜はとても広い玄関で綾音にペコリと頭を下げた。
その隣には霧島もいる。

「もっとゆっくりしていけばいいのに。まだ昼前だよ」

霧島が蒼夜を引き止め、綾音もねぇと同意した。
似た雰囲気のかわいらしい二人に言われると頷いてしまいそうになるが蒼夜にはレイ子という 恐ろしい母の存在があるのでゆっくりだなんてしてられなかった。
母が心配していると思うので……と言うと綾音はそれは仕方がないわねと諦めてくれる。

「葵ちゃん、近江に車を用意させてあるから」
「分かった。それじゃ蒼夜、行こうか」
「うん。あーえっとー…お姉さん、色々ありがとうございました」

綾音さんと呼ぼうか迷ったが初対面に近い女の人の名前を口にするのは抵抗があったので 綾音を霧島のお姉さんだろうと想定してその呼び方にした。
すると綾音は両手を頬に当て蒼夜を凝視している。
もしかして俺、何か間違った?と焦り始めていると綾音の顔がみるみる綻んで満面の笑みになる。

「まあまあ!なんて良い子なのかしら!」
「え?」
「蒼ちゃんは将来きっと良い男になるわね!」
「は?」

訳が分からなくて助けを求めるべく霧島を見る。
霧島は少し考えて納得したように、ああと声に出した。

「蒼夜の事だからまた勘違いしていると思うんだけど」

またって何だよと蒼夜は突っ込んだ。

「綾音さんは僕のお姉さんじゃないよ」
「じゃあ、まさか葵のお母さんとかそんなオチじゃないよな?」

ふるふると首を振って否定する霧島に、だよなぁと蒼夜は笑った。
こんなかわいらしくて若い女性が高校生を持つ母だなんてあるわけない。

「僕のお母さんじゃなくて――のお母さんだよ」
「……ん?誰のお母さん?」

良く聞こえなくてもう一度聞き直す蒼夜に霧島はさらりと事実を言ってのける。

「だから竜司のお母さん」

蒼夜の頭にその言葉の意味が浸透するまでしばらく時間が掛かった。
百獣の王様の藤堂を思い浮かべながら目の前にいる綾音をジッと見つめて…… えええーーーーーっ!!!と叫んだ。

「え!?だって、ええぇ!?どうやったら、どうしたら竜司が!?葵だったら分かるけど竜司ぃ!?」
「なんだい、騒がしいねぇ」

パニックになっていると蒼夜の耳に凛とした声が。
廊下から和服姿の美女が顔を出した。
綾音はニッコリ笑って笙華ちゃんと呼ぶ。
そして霧島は笙華を見て……。

「あ、お母さん」

蒼夜の目が点になる。
点になった目で霧島と笙華を見比べる。
笙華ももちろん綾音に負けず若く見えて子供がいるようには思えない。
しかもめちゃくちゃ色気のある女性と霧島が親子だなんて信じられずまた叫んでしまった。
すぅっと目を細め蒼夜を見据える笙華の眼光は鋭い。
その辺の男ならビビってしまうだろう。
しかし蒼夜はレイ子と同じくらいの恐さだな……と冷静に考えていた。
なので視線を逸らさず笙華を見返していたのだが……。

「ふーん。あんた昨日の坊やだろ」
「え?」
「客室で竜司とちちく……」

ちちくりあっていたという言葉を最後まで言わせずに蒼夜は、だーーーーーーーーっ!!! と叫ぶ。
そして霧島の腕を引っ張り早く早くと急かしてその場を後にする。

「それではお世話になりました!さようならぁーーー!」









車を用意してくれているという事で蒼夜は霧島に付いて行った。
見覚えのある裏門を抜けると竹に囲まれている所に出た。
そこは昨日、ここへ強制的に連れて来られた蒼夜が車から降り立った所だった。
綺麗に敷かれている砂利を踏みしめながら歩いて行く。
すでに黒い外車が何台か止まっていた。
蒼夜達が近づくと一台の車の運転席から近江が出て来て 一礼される。

「どうぞ」

近江がドアを開けて霧島が後部座席へ先に乗り込んだ。
蒼夜もすんませんと頭を下げて乗り込もうとしたら後ろから声が聞こえてきた。

「おい、坊主」

振り向くと隣に止まっている車のスモークガラスが下がっていく。
中から闇医者の千場じぃが腕を窓枠に掛け少し身を乗り出した。

「今、元気か?」
「は?」
「元気かって聞いてんだよ」
「あ、うん。元気だけど?」

困惑気味に答える蒼夜に千場じぃはニイッと笑う。

「そうか、ならいい。じゃあな、坊主」

スモークガラスが閉まり千場じぃを乗せた車が動き出す。
なんだったんだろうと去っていく車を見ながら突っ立っていると近江に車に乗るように促される。
乗り込んだ蒼夜へ隣に座っている霧島がまた遊びに来てくれる?と聞いてきた。
それに対して蒼夜は頷き掛けて……いや、待てよと少し考える。
また今回みたいに同じような事が自分の身に起きる可能性があるなら遠慮したい。
しかし不安そうに見つめてくる霧島に断る事なんて出来なくて また遊びに来るよとほほ笑んだ。
霧島のとても嬉しそうな顔を見ながら藤堂がいなければ大丈夫かと蒼夜は心の中で頷く。
なにせ一連の出来事は藤堂と関わって生じたものだ。

「そういえば竜司ってどこに行ったんだ?」

いつの間にが姿を消し見送りにも来なかった藤堂の事を聞くと霧島も分からないみたいで さぁ?と言われた。

「朝食を食べ終わってからどこかに行ったみたいだけど」
「そっか。それにしても竜司のヤツいつにも増して機嫌悪かったな」

霧島家にいた藤堂はどこか苛立っているように思えた。
その変化に気付いた蒼夜を運転している近江はバックミラー越しでチラリと見る。

「もともと竜司は家にいるのが好きじゃないからね」
「なんで?」

霧島の言葉に首を傾げて藤堂の立場になって考えてみる。
愛人の子だと言っていたが特に虐げられてはいなかった。
兄弟の霧島と仲は良いしその母親同士だって憎しみ合っているようには見えない。
それぞれの息子に対して母親達からの接し方も悪くはない。
組長である父親もわざわざ池に落ちた息子達の友人である蒼夜の様子を見に来てくれたくらいだ。
息子に関心がないわけではない。
じゃあ、他に何が?と唸っていると霧島が答えを導いてくれた。

「竜司ってさ、何て言うか我が道を行くタイプでしょ?」
「ああ、うん」
「自分のやる事に対してあれこれ言われるのをすごく嫌うんだ」
「うん」
「それにめんどくさがり屋だし」
「うん!」
「集団行動とかまず無理だよね」
「うん!」

勢いよく肯定する蒼夜に葵は苦笑いをする。

「家にいるとそれが竜司に押し寄せてくるからさ」

霧島はチラリと運転席にいる近江を見た。
上層部の者達は時期後継者に藤堂を押す者が多い。
近江もその内の一人だ。
しかし藤堂にはやる気がない。
だからどうにかして継がせようと皆、必死になっている。
今回、帰る予定なんて全くなかった藤堂が家に戻ったのは綾音の竜ちゃんに会いたいの 一言だった。
それを聞いた近江はまるで綾音に大変な事が起きたように藤堂へ連絡をした。
まんまと家に戻った藤堂を出迎えたのは元気一杯の綾音だったのだから機嫌が急下降するには 時間は掛からなかった。
帰ろうとする藤堂を力ずくで家に押し留めていたが隙をついていなくなった。
そして家から遠く離れた駅近くで藤堂を発見してまた連れ戻そうとしていた時に蒼夜が現れた。
家に来た蒼夜を見て霧島は本当に驚いたのだ。

「葵?」
「あ、ごめん」

考えに耽っていた霧島は苦笑いをした。

「お話しの途中、申し訳ありません。もうそろそろ駅に着きますが、家まで送りましょうか?」

近江の言葉に蒼夜はもう着くんだと呟いた後、あー……駅まででいいですと自宅までは断った。
乗っている外車から降りたところをもしレイ子に見られたら説明するのがめんどくさいと 思ったからだ。




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