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「はぁー」

危機一髪で案内されたトイレに駆け込み小用を足した蒼夜は安堵して息を吐き出した。
友達の家で漏らしてしまうという失態は回避できた。
良かった良かったとトイレから出ると……ドアのすぐ近くで蒼夜を横抱きにしてきた男が立っていた。
それに近江も。
二人の視線が蒼夜に集中する。

「あの……」
「お前は誰だ」

近江が上から押さえ付けるような迫力で蒼夜に聞いて来る。
その言葉にキョトンっとしながら首を傾げる。
誰って昨日あんだけ絡まれたのに……とそこまで思って蒼夜はバッと自分の目元を触った。
ない。
メガネがない。
しまったーっ黒ブチメガネをつけてくるのを忘れてたー!と心の中で叫んだ。
そうですよね、これじゃ分からないですよね、と項垂れ、 連続で同じ失態を犯してヘコんだ。

「あの……塚森です」
「あ?」
「昨日会ったばかりの塚森蒼夜です」

一瞬、間を開けまじまじと蒼夜を見た近江が確認する。

「塚森蒼夜…?」
「そうです。こんなですけど」

文句あるかと驚いた風の近江を堂々見返す。
じゃあ、俺は部屋に戻るんでと歩き出そうとした時、ガシリと 肩を掴まれた。
振り向くと男がニコリと笑っている。
表面上は人の良さそうな笑みを浮かべているが油断しているといつの間にか雁字搦めにされて 気付いた時には息の根を止められていそうな感じが男からした。
まるで蛇が蒼夜の腕を這ったようなぞわりとした感触がして苦笑いしながら男から距離を取ろうとした――が、肩を掴まれているので動けない。

「私にもご説明して頂けますか?」

丁寧な言葉だったが脅迫されている気分になるのはどうしてだろうか。
別に秘密にしておかなければならない事でもないのでさらりと説明した。

「えっと、俺は霧島君と藤堂君の友達です。昨日おじさんから泊っていいって許可もらったんで 泊らせてもらったんですけど」
「おじさん?」

男は訝しんだ顔で聞き返した。
蒼夜が頷くとどこのおじさん?と質問された。

「どこって……ここの、霧島君と藤堂君のお父さんですよ」

男は言葉を失った様な表情を見せその後に肩が震え出し腹を抱えて大笑いした。
なぜそんなに笑うのか分からず近江を見ると蒼夜を凝視している。
そんな二人の反応に戸惑いながらも部屋に戻ろうと踵を返したが。
またもや肩を掴まれる。

「あの……俺、部屋に」
「あははッ……いててっ腹が……!あー久しぶりに笑ったな。いやいや済みませんでした。 うちの組長を普通の家のおじさんみたいに呼ぶだなんてさすが若の友人ですね」
「組長?」

男からそう言われてハッとする。
そうだ、霧島組の息子が葵と竜司ならその父親は当然組長じゃん!!と今になって気付いた蒼夜は 確かに貫録あると思ったんだよなーと己の間抜けさに肩を落とす。
その反応を見た男はまた笑い出し蒼夜の背を押して部屋まで自分が送りますと申し出た。
一瞬、え?と思ったが一人で戻れますか?と言われ……すぐに頭を振った。
近江も付いてこようとしたが舎弟に呼ばれてどこかに行ってしまい部屋までの戻る間、 たわいのない会話をして男と二人で廊下を歩く。
そこで男から自己紹介をされた。

「俺の名前は新垣太一と言います。何をやっているかっていうと……まあ簡単に言えば主に 雑用ですかね」
「はあ」

雑用と言っておきながらあの近江と張り合えるのだからそれなりに上の方だと思ったが正式に言われてもきっと分からないし知りたいとも特に思わないのでそれ以上の事は聞かなかった。

「塚森さんは若たちと同学年なんですか?」
「あ、はい。そうです」
「そうですか、学校では若たちはどんな感じですか?」
「えっとー、葵は……っと霧島君は」
「ははっ、いつもの呼び方で構いませんよ」
「じゃあ……葵はなんていうか癒し?安心できるっていうか、いつも助けてくれるしマジ感謝してる。 竜司は、何て言うか……」
「いいですよ、正直に言って」
「百獣の王さまって感じ。つるむの嫌いだし俺様だし」

ぶつぶつと愚痴をこぼす蒼夜ににこにこしながら新垣は聞いている。

「若たちは寮に入られていますからどんな風に学校で過ごされているか気になっていたんですよ」
「二人から聞かないんですか?」
「俺はいつもこの屋敷にいるわけではないので会う事はあまりないですからね。特に 若……竜司さんは家に帰らないので」
「そうなんですか、今回帰りましたね」

良かったですね、会えますね……あ、会いましたか?と聞くとまだですと首を振った。
話しを聞くと今さっきこの屋敷に来たようだ。
そこでバッタリ蒼夜と遭遇したらしい。
蒼夜は疑問に思った事を聞いてみる事にした。

「あの、さっき俺を見てなんであんな事になったんですか?」
「いやいや先程は失礼しました。どうかお忘れ下さい」

歩みを止め深々と頭を下げられては、はいとしか言いようがなくそれ以上何も追求できなかった。
また歩き出すと今度は蒼夜の事を聞かれる。
いつから二人と知り合ったのですか?学校は楽しいですか?とかごく普通の質問だった。
今年の4月から転入になった事を伝えると二人と知り合ってまだそんな日が経っていない事に 驚かれる。

「あーそうなんですよね。俺も一年くらい経っている気がしてならないです」

きっとこの一ヶ月間の過ごした内容が濃すぎたせいだな……と過去を振り返って目を細めた。
新垣はそうですか……4月に転入と呟き、それでは親御さんも心配でしょうと言われたが 蒼夜はそんな事ないですよと手をパタパタ振った。

「塚森さんのお母さんはどんな方なんですか?」
「えー……なんというか……怒るとチョ―こえ〜」

昨日レイ子に連絡をして一方的に電話を切ったので家に帰った時のレイ子の反応を想像し 遠い目をした。
そんな蒼夜に笑う新垣はでは、お父さんはどんな方なんですか?と聞いて来た。
蒼夜はお父さんと言われ正芳を思い浮かべる。
再婚と言われて初めて会った時、レイ子とやっていけるのか?と心配したが なんだかんだで仲良くやっている。

「父さんは、うーんハムスター?」
「ハムスター?」
「うん、こう、ほんわかしてる感じ」
「なるほど。……あ、部屋はあそこです」

新垣が指を差す先に蒼夜が泊っていた客室があった。
迷路のような廊下に蒼夜一人では行き同様、帰りも絶対迷ったに違いない。
ありがとうございましたと礼を言って歩を進めた蒼夜だったが、なぜか廊下の隅の方へ 連れて行かれて一つ、お願いがありますと突然真剣な目で見られた。
一体何をお願いされるんだろうかと思いつつ首を傾げる。

「俺の事を新垣と今、呼び捨てで呼んでもらえませんか?」
「呼び捨てですか?」
「はい、お願いします」

はあ、と返事をした蒼夜はまあいいかと自分より余裕で背の高い新垣を見上げ、 望み通りに呼び捨てで名を呼んだ。

「新垣」
「……っ」
「うわ!?」

痛みに耐えるような顔をした新垣は長い腕で蒼夜を抱き込んだ。
いきなりの事に目を瞬かせ蒼夜は固まる。
新垣に声を掛けても無反応のままだ。
大丈夫ですか?と手を新垣の背に回して触れようとした、その時。
後方に勢いよく引っ張られ瞬く間もなく蒼夜と新垣の間に藤堂が立っていた。




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