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うっすらと目を開けた蒼夜の目に木目のある天井が映った。
ぼーっとそれを見ているとすぐ近くで自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
それはとても良く知っている声。
顔を横にすると心配そうに蒼夜を見下ろしている霧島がいた。

「あお、い?」
「蒼夜!大丈夫!?」
「俺…?」

何で敷き布団に寝てんだろ?と考えて…そう言えば広大に広がる水の中に落ちた事を 思い出す。
すると反対側の方から笑いを必死に堪えている声がする。
見てみると由良が腹を抱えてうずくまっているではないか。

「ふ、ははははっ!!あーははははっ!!お、俺、初めて池でおぼれたヤツ見た!!」
「…い、池ぇ?」

噴き出して笑い転げている由良に蒼夜は戸惑うばかりだ。
よく分かっていない蒼夜に霧島が説明してくれる。
藤堂の部屋から飛び出した蒼夜は見事に池の中へとダイブしておぼれて気を失ったらしい。
綾音や近江、藤堂でさえも呆気に取られていたが真っ先に我に返った藤堂が蒼夜を池から 救出して今に至る。
そして池は深い所でも立って腰の下くらいの深さだったという。

「えっと、つまり蒼夜はそのまま立てば良かったんだよね」

霧島が言いにくそうに蒼夜へ的確な意見を言った。
蒼夜はガバッと布団を頭まで引き上げて顔を隠した。
恥ずかしいっ!と顔が熱くなる。
ぽんぽんと霧島が布団を優しく叩いた。

「とにかく無事で良かったよ」
「葵…」

そっと布団から顔を覗かせると心から安堵している霧島が天使のようなほほ笑みを浮かべていた。
感極まって上半身を起こした蒼夜は霧島に抱き付く。

「葵〜っ!!」
「うわわっ」

驚いた声を上げる霧島を抱きしめたままムッとした顔で笑い過ぎて涙を拭っている 由良を振り返った。
いやー、笑った笑ったと言って立ち上がった由良は霧島を見つめて塚森に話す事あるんだろ? と問い掛ける。
霧島は俯いた後、うんと頷いた。
由良はそのまま部屋を出て行き、12畳程ある客室に蒼夜と霧島は二人っきりになった。
コチコチと時計が鳴る音だけがしている。

「そ、蒼夜」
「ん?」
「僕、蒼夜に、聞いてもらいたい事があって」
「うん」

霧島は蒼夜の顔を不安そうに見た後ゆっくり語った。

「もう、分かっていると思うけど…僕と竜司の家は普通の家とは違うんだ。 獅門会って知ってる?」

よくテレビのニュースでどこの組と抗争があったとか聞いた事があったので蒼夜は 知っていると肯定した。

「その獅門会の12の組織の中に霧島組があるんだ。僕の家はヤクザなんだ」

力無くそう言う霧島は悲しい目をしていた。
蒼夜に何を言われるのかと怯えて視線を逸らし下を向いている。
そんな霧島を見て蒼夜は上を見上げ天井の木目をジッ見ながらしばらく考えた後、眉間にしわを寄せ 鼻からフンッと息を吐く。

「葵が今、そんな辛そうな顔をしているのって過去に何かあったせい なんだろ?」

霧島は唇を震わせて声を出した。

「ぼ、僕がまだ小学生の時に家の事を仲の良かった子に話したんだ。そうしたら…次の日から 目も合わせてくれなくて…近寄るなって…。それにクラス中に家の事が知れ渡っちゃって転校しなきゃ いけなくなって、竜司はしなくて良かったのに一緒に転校してくれて…」
「葵…」
「次の学校でまた仲の良い友達が出来たんだ。でも家の事は黙っていようと思ったんだけど… ある日揉めていた組が僕を攫おうとした時にその子もいて…怪我をさせちゃったんだ。 その事でまたバレちゃって、学校にいられなくなって。そうしたら竜司も…また一緒に転校して くれて」

坦々と語るがどれだけ悲しくて辛い目にあったのか涙に揺れる目を見れば一目瞭然だった。
蒼夜はくしゃくしゃと霧島の柔らかい髪をかき混ぜた。

「な、葵。俺が目つきを誰にも見せないように黒ブチメガネで隠している時、 うっかり葵にバレちゃった日の事覚えてるか?」

霧島はきょとんっとボサボサになった頭で蒼夜を見上げた。
なぜ、今その話しをするのだろうかという疑問を感じているのが分かった蒼夜は ニッと笑って先を続けた。

「俺が目をメガネで隠す理由を話した時にさ、葵はこう言ったんだ。『僕の事、その人たちと 同じに見えた?』って。俺も同じ言葉を言うぜ」

霧島の瞳にふわりとほほ笑む蒼夜がいっぱいに映った。

「俺の事、そいつらと同じに見えたか?」

瞳に映った蒼夜がじわりと溶けていなくなる。
何も映らない。
ただ熱い水滴が頬を伝って流れ落ちて行く。
今感じるのはぐいぐいと指で涙を拭ってくれる 感触。
そして。

「葵がヤクザの家の子だとしたって葵は俺の親友だ。 学校の連中に葵の家の事を俺から言うわけないだろ?」

耳に聞こえてくる力強く優しい言葉。
その中に葵が幼いころから憧れて切望してやまない言葉が 聞こえて来た。

「親友?」

聞き間違えでない事を確かめるために聞き返すと蒼夜が慌てた声を上げた。

「あ、ごめん!勝手に親友とかって…」
「か、勝手じゃないよ!」
「へ?」
「ぼ、僕も蒼夜とずっと親友になりたかった!親友だったらいいなって どれだけ思ったか!」
「葵」

パチクリする蒼夜の顔が満面の笑みに変わる。
それはとても目を奪われる魅力ある笑顔だった。

「じゃ、これで俺と葵は親友同士って事で一つよろしく…って何かあらためて言うのも 変か」

へへへっと蒼夜が照れれば同じく葵も照れた。
照れの延長線上で蒼夜が着ているものを手で弄って…… あれ?浴衣だと呟いた。
そんな蒼夜に霧島が着ていた服は濡れてしまったので洗濯して乾かしていると教えてくれた。
礼を言った時、部屋にある掛け時計がポーンポーンと音を奏でる。

「げっ!?」

時間を見た蒼夜は顔を引き攣らせて潰れた声を出した。
なぜなら時計の針は20時を指していたからである。
蒼夜の脳裏に恐ろしいレイ子の姿が。
慌てて携帯を探すがとてもいやな予感に襲われて血の気が引く。
確か、確かでなくても携帯はズボンの中に入れていた。
辿り着く答えは…。

「あ、葵さん、俺の携帯はもしかしなくても…」
「蒼夜の携帯?」

それならと蒼夜の手にタオルに包まれた携帯が渡された。
どんなに力をいれて電源をオンにしようがうんともすんとも言わない。
すなわち。

「壊れちゃった…ね」
「俺の携帯がーーーーっ!!」




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