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「蒼夜、今日勝手に帰ったよな」

ギクッと身体を揺らしおそるおそる振り返る。
本性が出ている比奈山が蒼夜を見てニヤリと笑った。
すっかり比奈山から逃げていた事を忘れてしまっていた蒼夜は獅子に睨まれ 身体が動かない。

「えっ…とぉ」

言い淀む蒼夜の腕を素早く掴んだ比奈山は声低く命令した。

「理由を言え」
「……っぅ!!だってさ、だってさ!」
「お前は子供か」
「う〜」
「唸るな。この間みたいに何か起きてからじゃ遅いんだぞ」
「……も、もしかして心配したとか?」

言ったあと馬鹿な事聞いたかもと後悔している蒼夜は、ああという肯定の言葉が聞こえてきて 思わず顔を上げ開いていた口をキュッと閉じる。
生徒会に理不尽に協力させられていても先に帰ってしまった 蒼夜が悪い。

「…ごめん」

だから蒼夜は素直に謝罪した。

「もう先に帰ろうとするなよ」
「うん」
「生徒会としても蒼夜を無理矢理巻き込んでいるのは悪いと思っている。事実こちらの読みの 甘さ故に怪我をさせてしまった」
「大丈夫!分かってるって!澪姫をギャフンと言わせればいいんだろ?そうしたら田中のような事が 起きなくなるしな」
「………」

田中の事を考えた蒼夜はしょうがないと溜息を零す。

「まあ、後少しなら我慢して協力してやるよ」

少しだけだからなと蒼夜は念を押した。
比奈山は頷く。

「化学室に呼び出されてひどい事をされた田中の為にも蒼夜にはもう少しだけ 協力してもらうよ」
「ん…?陽一、化学室じゃないだろ。田中が襲われたのは技術室だぞ」

その瞬間、比奈山の顔から一切の表情が消えた。
穏やかだった空気が一瞬にしてひんやりと冷えたものに変わる。
無表情のまま目を細め探るように蒼夜を見た。
当然、そんな比奈山に蒼夜は困惑した。
だが次の台詞を聞いた途端蒼夜は自分の失言を悔いることになる。
比奈山はゆっくりと口を開き一字一句はっきりと言った。

「なぜ、蒼夜が技術室で田中が襲われた事を知っているんだ。田中の事は一切、蒼夜には話しては いなかった」

蒼夜の身体からサッと血の気が一気に引いた。
ゴクッと嚥下する音がやけに大きく耳に聞こえた。
比奈山は視線を蒼夜から外さずにもう一度蒼夜に言う。

「田中の事を知っているのは生徒会の者と一部の信用たる騎士団員、田中を襲った加害者、 そして…」

比奈山の目が鋭く光る。

「田中を助けた正義の悪魔」

まずいっと心の中で叫んだ。
言い訳も考えられないくらい蒼夜は焦っていた。
技術室で田中を襲った生徒達と澪姫が繋がっていた事を霧島から聞いていたが まさか比奈山から言い逃れる為に田中に関する全てを教えてもらっていた事にするなんて出来ない。
田中の事は公にしていない極秘の情報だ。
言った途端に霧島の責任問題になって迷惑がかかってしまう。
田中から聞いた事にしてもそんなの本人に聞いたらすぐバレる。
こうなったら逃げるが勝ちだと 掴まれている腕を振り払って尖塔の螺旋階段へと走りだした。
後ろから追いかけて来るんじゃないかという恐怖に二段飛ばしで勢いよく駆け下りる。
最後の階段に足が大きく音をたてて着地した。

そして廊下へと踏み出そうとバッと身を出した、その時。


―ガツンッ!!!


頭に衝撃が走る。
比奈山から逃げる事だけしか考えていなかった蒼夜は思いっきり舌打ちした。
頬に血がつうっと流れ落ちていく感覚を感じていると直ぐに第二撃が側頭部にやって来た。
ぶれる視界に生徒がバットを構えているのが見える。
バットで簡単に人の頭を叩きやがって!パーになったらどうすんだ!と叫ぼうとしたが目に血が入り 視界が遮られその隙に第三撃が違う方向から襲ってくる。
あーかっこ悪ぃ…と思いつつ自分が倒れる音を聞きながら蒼夜の意識は深く沈んでいった。










蒼夜が正義の悪魔なのか。
しばらく振り払われた手をジッと見ていた比奈山だがグッとその手を握る。
そして螺旋階段を下り始めた。
メガネを外すのを嫌がるのはそのせいなのか。
考えに耽っていた比奈山は廊下を数歩進むとピタリと止まった。
目を細め辺りを見渡す。
何の変化もない廊下。
後ろには螺旋階段。
だが比奈山は何か違和感を感じ取った。
注意深く見ると綺麗に磨かれている廊下にシミの様なものが点々と付いている。
膝を付いてしゃがむと指でそれを触った。
赤く色付くそれ。
指の腹で擦るとまだ乾いてなく時間が経っていない事が分かった。
素早く周囲に視線を移すと廊下の隅にレンズの厚い黒ブチメガネが。
こんな野暮ったいものは蒼夜しか愛用していない。
それを手に取り比奈山は王子らしからぬ舌打ちをした後、急いで携帯を取り出し蒼夜に掛けるが 電源を切っているのか通じなかった。
焦る気持ちを抑えて二宮に連絡を入れた。

『陽ちゃん、何か用?』
「緊急事態だ。蒼夜が拉致された」

呑気な声を出していた二宮だが、一変真面目になる。

『どこで拉致された?』
「実習棟の北第三塔の廊下だ。時間はそんなに経っていない。蒼夜は負傷している可能性がある」

あの血が蒼夜のものだとは言い切れない。
しかし転がっていたメガネが物語るのだ。
絶対にメガネを外さなかった蒼夜が落としたとしても拾い忘れるなどという事はあり得ない。
ならば不祥の事態が起きて拾う事すら出来なかったとしたら。
その場合血痕は蒼夜のものの可能性が必然と高くなる。

『陽ちゃんがいながらなぜそんな事態に陥ったのかは今は聞かないよ。直ぐに騎士団を動かす』
「ああ、頼む」
『他の生徒会メンバーには俺から連絡を入れるから陽ちゃんは塚森を探して』

比奈山はその言葉に頷くと黒ブチメガネを握りしめて廊下を駆け出した。









実習棟の校舎裏。
そこは林になっていて普段は人気のない所だ。
だからこそ人と群れることを嫌う藤堂にとって都合の良い場所だった。
大抵、授業を出てない時はここにいた。
新緑鮮やかな木々の中の一本の木に寄りかかるように座り目を閉じていたが微かな物音を聞き取り ゆっくりと鋭い目が露わになる。
目線の先に数人の生徒が布に包まれた荷物を運んでいた。
その数歩後ろには腕を組みながら小柄な生徒が横柄な態度で歩いている。
チラリとそれを見た藤堂は興味がないのかまた目を閉じた。
関係のない事。
それが犯罪を犯していようがいまいがどうでもいいのだ。
例え生徒たちの方から血の匂いを感じ取ったとしても。

だが藤堂は再び目を開ける事となる。
機嫌が下降していくのが分かるように眉間に深い皺が出来る。
ズボンのポケットから携帯を取り出すとヴヴヴヴとバイブ機能が藤堂を長い事呼んでいた。

「何だうるせぇ」
『やっと出た!バカバカバカぁっ!!』
「切るぞ」
『ああっ!ダメ切らないでっ』

血の繋がった兄弟が切羽詰まった声で制止してくる。
何かが起きたのは予想出来るが例えそれが何であろうとも知らぬ事。
家の事なら言うまでもない。
だが藤堂よりも遥かに小さい兄の霧島は数か月しか違わない弟に予想外の事を告げた。

『蒼夜が、蒼夜が澪姫の取り巻きに連れ攫われちゃったんだ』
「……」
『本当はこの事竜司に言っちゃダメなんだけどそんな悠長な事も言ってられない事態なんだ…って 聞いてるの!?』
「だから何だ」
『竜司も蒼夜を探してよ!携帯に掛けても通じないんだよ』
「めんどくせぇ」
『なっ…!蒼夜は竜司の友達でしょ!?心配じゃないの!!?』
「あいつなら自分でなんとか出来るだろ」
『蒼夜、怪我してるんだよ!廊下に血痕が残ってたって!どうしよう……ねぇ竜司、お願いだから 探してよぉ』

霧島の声が震えている。
巻き込んだのは生徒会…否、蒼夜をみすみす生徒会に連れて行ってしまった自分だと思い込んでいる 霧島は責任を感じていた。
だから本当はあまり比奈山とくっ付いて欲しくないのだが安全を守るために霧島は逃げる蒼夜をいつも 比奈山が来るまで教室から出さずに阻止していた。
それなのにここ数日は大人しく比奈山が来るのを待っていた為、まさか今日いきなり教室を飛び出て 行くとは思わなかったのである。
霧島にとって蒼夜は親友になりたいくらいの大事な友人なのだ。
白姫として遠巻きに見てくるクラスメイト達とは違う大事な友人なのだ。

『あっ…』

藤堂が携帯を切った。
そして電源をオフにする。
そのまま音もなく堂々と立ち上がった。
視線を先程生徒達が立ち去った方へと移す。

布に巻かれたもの。
―蒼夜が澪姫の取り巻きに連れ攫われちゃったんだ。

血の匂い。
―廊下に血痕が残ってたって!

藤堂は眼光を鋭くする。

「めんどくせぇ」

そう呟いて煙草に火を付けた。




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