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幸いなことに授業終了のチャイムが鳴るまで比奈山との接触はなかった。

「あれ?蒼夜慌ててどうしたの?」

霧島に急いで鞄に荷物を詰め込む蒼夜は聞かれる。

「俺は一刻も早くここから脱出しなければならないんだ」

また明日!と早口で言った後、教室を猛スピードで出て行った。
比奈山が迎えに来る前に教室を出られた蒼夜はよしっと心の中でガッツポーズをして 昇降口まで廊下を歩いていたがその足が止まることになった。
なぜなら…。

「塚森蒼夜。ちょっと来てもらおうか」

うわっ、めんどくせーのが来たと思った事がそのまま 顔に出たがメガネのおかげで気付かれていない。
もう少し経ってから来ると思っていたのだが案外この生徒たちのご主人様は気が短いようだ。
蒼夜を囲むのは5人。

「どちら様でしょうか?」
「こっちへ来い」

あー名前を言う気はないのねと肩を竦めた。
キーキーと騒いでいる小動物たちではなく澪姫の取り巻き達に人の目に付かない中庭の奥の方へ 連れて行かれる。
蒼夜は心の中で第二段階クリアと呑気に思っていた。
遠くに聞こえる噴水の水音に意識を向けていた蒼夜の肩を取り巻きの一人がドンっと押した。

「おいっ!聞いてるのか!?」
「あーはいはい。聞いてますけど」

名前が分からないので勝手に蒼夜は取り巻き5人をA〜Eと付ける事にした。
余裕のある話し方が気に食わなかったのか取り巻きAがキッと睨み胸倉を掴む。
蒼夜は言い方を反省して怯えながら懇願するように取り巻きAに訴えた。

「やや、止めてください」
「俺達は忠告したはずだぞ。比奈山様から離れろと」
「で、でも、僕は」

好き好んでアイツと一緒にいるんじゃねーよ!と本音を言いそうになってグッと堪えた。
今日なんか比奈山の目は隙あらば蒼夜の本質を見破ろうとしているのがヒシヒシと肌で感じられた。
怒りに任せてたら今度こそ誤魔化しなど比奈山には通用しないだろう。
我慢、我慢と己に言い聞かせる。

「平穏な学園生活のために」
「はあ?何言ってんだ、お前」

うっかり言葉に出してしまったらしい。
蒼夜は俯いて弱々しく頭を振った。
取り巻きAは舌打ちして胸倉を引っ張り思いっきり地面に倒すようにドンっと押した。
それにわざと蒼夜は転び尻もちを付いた状態でそろりと顔を上げる。

「お前の事は調べたぞ。塚森蒼夜」

それを合図に他の取り巻きB〜Eが蒼夜を取り囲んだ。

「ただの庶民出のお前が比奈山様と一緒にいるなんて相応しくないんだよ!」
「身の程をわきまえろ!」

あちらこちらから蹴りや拳が蒼夜目掛けて飛んでくる。
蒼夜は丸くなって攻撃を素直に受けている。
だいたい小動物達の攻撃は人の急所を知らないためダメージはなかった。
早く終わらないかなーと思っている蒼夜に取り巻きAが馬鹿にした笑いを浮かべた。

「お前の母親は未婚の上、水商売していたんだってな」
「汚らわしい女から生まれたお前が傍にいると比奈山様が穢れるだろ!」

ピクリと蒼夜の身体が動いた。

「比奈山様を誑かすなんて流石、男に媚びる女から生まれて来ただけはあるな」

蒼夜の手が白くなるまで握られる。
自分の事は良い。
だが、レイ子の事を言われる筋合いはなかった。
確かに未婚で水商売をしていたがそれが何が悪いのだ。
男相手の仕事だったが別に身を売っていた訳ではない。
レイ子はその仕事に誇りを持っている。
蒼夜はそのレイ子によってここまで育ってこれた。
飄々と生きているレイ子にだって人知れない苦労や葛藤だってあっただろう。
女手一つで子供を育てるのはどんなに大変か。
生まれて来た時から親のお金を好き勝手に使って生きて来た 苦労知らずのお坊ちゃん達に言われる筋合いはない。

怒りに震える蒼夜が泣いているとでも思った取り巻きAが嘲笑しながら蹴り上げた。
足はこめかみに当たり蒼夜は顔から地面に倒れ込んだ。
右顔が土に半分埋もれ左目に転がったメガネが映った。

『人前でメガネ外しちゃダメだからね!』

レイ子の声が聞こえた気がしてメガネを取ろうと手を動かした。
しかしそれは目の前でグシャリと踏みつぶされる。
黒ブチメガネは無残にもフレームが変形して壊された。

「あははは!」
「もうこんな目に遭いたくなかったら比奈山様に近づくなよ」
「はははははっ!」

笑いながら取り巻き達が立ち去って行く。
複数の笑い声が遠くに聞こえる中、蒼夜は自分の中でブツッとキレる音が聞こえた。







「ははは…っ!?」

ドサッと倒れる音がして振り向いた取り巻き達はまたドサッという音を耳にして動きを止めた。

「な、何が起きたんだ!?」

取り巻き達の間に緊張が走り動揺しながらも注意深く辺りを見回した。
なぜなら彼らの仲間がいつの間にか二人も続けて地に伏せていたからだ。
だがいくら周りを見ても取り巻き達以外誰もいない。
シンっとしたその場に風が吹きガサガサと木々の葉を揺らした。

「う、うわあぁぁー!」

その音に言い様のない不安と恐怖に駆られた取り巻きAが声を上げながら走り去っていく。
それに気を取られた残りの2人の内、取り巻きEがくぐもった声を上げてドサリと倒れた。
残された取り巻きCはヒィッと悲鳴を上げ、自分の足元に影が素早い動きで通ったのを 感じた直後に頭と腹に打撃を受けそのまま暗転した。

取り巻きAは木々の間を走り抜けもう少しで噴水のある広場に出られる所だった。
そこまで行けば誰かしら人がいるだろうと少し安堵していたが突然、目の前に黒い影が立ち塞がり 恐怖と驚きに腰を抜かした。

夕日を背にしたその者は逆光で顔が見えない。
だが目だけは、恐ろしいほどに凶暴に光らせ見下ろしているのが分かった。
ガタガタと震える取り巻きAはカラカラに乾いた喉で一言呆然と呟いた。

「悪魔…」

神に助けを乞う前に身体に衝撃が走り記憶が途絶えた。









しまったと我に返った蒼夜は自分の足元に白目を剥いて倒れている生徒を 見た。
奥には四人の生徒が地面に転がっている。
どう考えてもいい訳が出来る状態ではなかった。
だが許せなかったのだ。
レイ子をバカにしたこの取り巻き達を。

「あ、メガネ」

壊されたメガネを取り巻き達に囲まれた場所に置いてきてしまった。
蒼夜はメガネを取りに戻る。
変形しているメガネを拾い上げてどうにか元に戻らないかと直そうとして フレームに力を入れると。

「あっ!!」

バキリと音がして折れてしまった。

「マ、マジかよ」

はぁと肩を落として壊れたメガネをズボンのポケットに入れ一先ず寮に戻ろうとした 蒼夜だが噴水の辺りから生徒たちの騒がしい声が聞こえてくる。
離れた木の影から様子を窺っていると倒れている取り巻きAを見つけたらしい。
これはますます誰も気づかれずに立ち去らないと自分に不利になってくる。
しかしそんな蒼夜をしり目に騒ぎは大きくなり何人かの騎士団員が駆け付けた。
その中には蒼夜も知っている副団長と白姫専属の騎士がいた。

「うわ、あれって西原先輩と沖津先輩じゃん、…げぇっ!」

腹の底から嫌な声を出したのはその二人の背後に比奈山がいたからだ。
絶対に見つかってはいけない人物の登場に蒼夜の焦りもピークに達している。
倒れ伏している取り巻き達の事を何て説明したら良いか策略など長けていない猪突猛進型 の蒼夜はダラダラと冷汗が流れた。
これはとにかく早急に寮に戻り葵に相談しようそうしようと決めた。
だが中庭の出入り口は噴水の広場の所しかない。
この騒ぎの中、そこに行けば必ず気付かれるだろう。
木の根元にしゃがんでうーんうーんと唸っているとこちらに向かって歩いてくる音がした。
咄嗟に警戒し身を小さくして木に背中を付ける。
そろっと顔を出して窺うと沖津が辺りを見回しながら近づいてきた。
蒼夜は息を殺しながら四つん這いになって木々の間を移動する…が。
後ろを振り向きながら前に移動していた蒼夜の身体が何かにぶつかった。
衝撃で声が漏れる。

「…うっ」

何だ?と思って前を向くがビクリと身体が強張った。
四つん這いの蒼夜の目の前にはどう見ても人の足があった。
何も動けず何も言葉を発せられない蒼夜に追い打ちをかけるように頭上から声がした。

「何があった」

それは間違いなく比奈山のものだった。




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