前編




ショーウィンドウケースの中に並べていくいろんな種類のケーキ達。
お前ら今日も輝いているぜ。
ケーキ好きな俺はにんまりと思わず笑みがこぼれる。
おおっといかんいかん顔を引き締めなければ。
駅裏の路地を歩いて行くと俺がバイトしているケーキ屋、ルーナ・
クワナある。 知る人ぞ知る隠れた名店だ。
小さいが西洋の田舎の素朴なお菓子屋さんのような造りが俺は
気に入っている。
大学入学をした時にルーナ・クワナにパティシエとして働いている
従姉の川本清音にバイトしてみないかと誘われ飛びついた。
まだ1か月しか経ってないがレジ打ちや掃除などだんだん様に
なってきた感じだ。
バイトに来るたびにおいしそうなケーキ達を見られて幸せいっぱい
である。

「りっくん、顔、顔」
「また俺笑ってた?」

同じバイト仲間の沢井茜が肘で突っついてきた。

「うん。すっごい幸せそうな締まりのない顔でね」
「うわっ気をつけてたんだけどなー」
「あははっ。でもさーこのケーキ達を目の前にしたら頬も緩むよね」
「おお、同士よ!」

茜とガシッとお互い手を取り合う。
俺にとって唯一、同年代で分かりあえる仲間だ。
大学では野郎にこんな話しなんてしても分かってくれないし女の子にも
話せないので茜は異性で話せる貴重な存在だ。

「あらあら、あなたたち毎日やって飽きないわね〜」

クスクスと笑いながら清音がやってきた。
童顔のせいで俺達と歳が変わらないように見えるが今年31才になる。
俺は清音からトレイに乗ったケーキ達を受け取り出来たての爽やかな香りを吸い込む。
このケーキは俺が一番好きなケーキで清音の得意なレモンチーズ
タルトだ。

「レモンチーズタルトおいしそー」

茜がトロンとした目で見つめてくる。
レモンチーズタルトを補充しながら俺はチラリと壁に掛っている時計を
見た。
17時35分。
そろそろ仕事帰りの人達がやってくる時間だ。
そしてもしかしたらあの人も…。

「清音さん、今日レモン様来るかなぁ」
「さあ?どうかしら」
「りっくんは来ると思う?」
「え、うーん、どうだろう」

浮立つ心のを抑えて首を傾げた。
俺達の間で噂になっているレモン様。
俺がバイトに入る前からルーナ・クワナの常連さんだ。
必ず2つケーキを買っていきそしてそのうち一つはレモンチーズタルトなのだ。
なのでいつの間にかその人はレモン様と言われるようになった。

「あ、来たよ!」

箱詰めしていた茜がレジを打っている俺にこっそり耳打ちする。
19時15分あの人はやってきた。
20代後半のスーツ姿の長身が店の中に現れる。
まるで田舎のお菓子屋に現れた貴公子のようにキラキラと輝いて
いる。
村娘…じゃなかった、OLのお姉さん達も思わず振り返り落ち着かない
雰囲気になっていた。
そりゃそうだ、レモン様はとにかくカッコ良いのだ。
立ち振る舞いも美しく見惚れてしまいしばしば茜に肘で突っつかれて
我に返ったりする。
周囲の目を気にしていないのか気付いていないのかレモン様の
視線はショーウィンドウケースの中のレモンチーズタルトへ向けられている。
そしてフッと笑い顔を上げレジを打ち終わった俺と目が合った。
高鳴る胸を必死に抑えつつニッコリと営業スマイルをした。

「お決まりですか?」
「レモンチーズタルト一つ。それから…」

ショーウィンドウケースの上でメモに記入していた俺は途切れた注文にふと顔を上げた。
困った顔のレモン様がいる。

「甘酸っぱいけどクリームがあるケーキってあるかな?」

突然の質問にポカンとしてしまったが急いで頭をフル回転させる。
たしか。

「あ、はいっ。ベリーのケーキはどうでしょうか。甘酸っぱい数種類の
ベリーと二種類の甘さ控えめのクリームと甘いクリームが絶妙でとても
おいしいですよ」

このケーキを食べたときの至福な時が蘇ってきて自然と顔が綻んで
くる。
レモン様はじゃあそれをと美しい顔で二コリと笑った。

「ありがとうございます。他にご注文はありますか?」
「いや。それだけお願いします」
「ではレモンチーズタルトとベリーのケーキでよろしいですか?」

俺は箱に入れた二つのケーキをレモン様に見せる。
レモン様が頷きレジへ誘導した。
金額を示した後お金と一緒に先週から始めたポイントカードを
渡された。
五百円で一ポイント貰え全て貯まると好きなケーキを一個貰える
のだ。
はんこうを押そうとした時思わず手が止まった。
カードには氏名と住所が書く欄がありそれを書くか書かないかは
お客さんの自由だ。
だがレモン様のポイントカードには名前と住所が綺麗な字で書かれていた。

緒方雅貴

頭の中に即座にインプットした。
住所もこの辺の近くのマンションだ。

「あ、ありがとうございましたー」

レモン様…緒方さんは麗しい笑みを俺に向け店を出て行った。














「ちょっとーりっくん。顔がにやけてるよー」
「え?」
「レモン様カッコ良かったねぇ」

店を閉めて掃除中、茜は箒を持ちうっとりと目を閉じる。
俺は何故かレモン様の名前を茜に教えるべきか迷った。
な、何だろうかすっきりしないこの感情は…。

「ねえねえりっくん。レモン様のポイントカードに名前書いてなかった?」
「…っ」
「書いてあったのね」

俺の動揺が伝わったみたいでばれてしまった。

「なんて書いてあったの?」
「お、緒方雅貴…」
「へー。緒方さんかぁ。謎が一つ解けましたな」

何度も茜はその場で頷いた。
上機嫌に鼻歌なんか歌っちゃっている。
茜はレモン様の…緒方さんの事が好きなんだろうか。
俺の胸の中にもやもやしたものが広がっていく。
看板娘の茜は明るくて優しくて美人というよりはかわいい系だ。
そんなに明るくない茶色のセミロングをふわりと緩くパーマをかけて
いてそれがとても似合う。
何気に茜目当ての男性客もいるくらいだ。
それに比べ俺はどこにでもいるような顔立ちで身長も体重も平均で
つまるところ目立った所が何もないという。
地味にへこんでいると奥から清音が出てきた。

「陸斗、茜ちゃん、終りでいいわよ」
「あ、はーい。清音さんお疲れ様です」
「ふふふ、お疲れ様。気をつけて帰ってね」

明日の仕込みを残している清音に見送られて俺と茜は店を出た。
途中までは一緒の方向なのでいつも通りたわいもない話しをしながら帰って行く。
しかしこの時はずずーんと重い会話が俺を押しつぶしていた。

「ねーねー、何で緒方さんはあんなに格好いいんだろうね!
落ち着いているし紳士って感じだね」
「うん…そうだね」

さっきから茜の口からは緒方さんへの賛辞の嵐が止まる事はない。
俺だって同じ事を思っているが同性の俺が茜同様恋する乙女みたく
褒めちぎっていたら引くだろう。
うっとりとしている茜に俺は男らしくズバッと聞いてみる事にした。

「あのさ茜…」
「ん?何?りっくん」
「茜って緒方さんの事…」
「あー!!」

突然叫びカバンの中を漁り始める。
驚いていると携帯を店に置いてきてしまったようで、ごめん先に
帰ってーと勢いよく店へ走り出してしまい俺は一人駅前に残された。
茜が緒方さんの事を好きなのかそうでないのか聞いたら胸がすっきり
すると思ったのだが結局もやもやは広がっていくいっぽうだった。
俯き、ぎゅっと胸元を掴む。

「あれ?君…」
「えっ?」

目の前から声を掛けられ顔を上げると信じられない事に…緒方さんがいた。
こんな所で会うなんて思いもしなかったのでフリーズしてじっと見つめて
しまった。
緒方さんも俺の事を見つめた後、綺麗な顔を近づけてきた。
ええぇっ!!?
なぜかドキドキと鼓動が高鳴り顔が熱くなる。

「気分でも悪いのかい?」

心配そうな顔で尋ねられ全く健康な俺は左右に頭を振る。

「本当かい?胸を押さえているし顔も赤いよ?」

誤解です。
これは違うんです。
でもその理由を言うのは、はばかれるので言えませんが至って
健康です。

「だ、大丈夫です」
「……」

何か疑われている。
会話を逸らせねば。

「あ、あの偶然ですね!…って俺ルーナ・クワナで」
「うん。知っているよ」

知っている!
緒方さんが俺の事知っている!

「いつも俺のリクエストに答えてくれてありがとう」
「いえっ、そんなとんでもないです」

ニッコリとほほ笑む緒方さんはやはり素敵だった。
ほらさっきから女の人たちが振り返っているよ。
しかも緒方さんはさらに嬉しい事を言ってくれた。

「山平君だよね。名前」
「何で…」

緒方さんが俺の名前を知っていた。
目を丸くしていると緒方さんは自分の胸を示した。

「名札に書いてあったよ」
「あ」
「山平何くんって言うの?」
「り、陸斗です」
「陸斗くんか」

満足げに俺の名前を反芻して笑う。
ま、眩しい。

「あ、俺は緒方、緒方雅貴」

すでに知っていますとは言えない。

「えっと、緒方さんは帰りですか…?」

と、聞いて気づく。
ケーキの箱を持っていない。
それにルーナ・クワナに来てから2時間は立っている。
あ、と自分の考えに身体が小さく震えた。

彼女のためにケーキを買っていたら…?
今はその彼女の家からの帰りだったら…?

こんなカッコイイ人がフリーなはずがないじゃん。
緒方さんはちょっと言いにくそうな感じでさっきの質問にそうだよと答えた。
やっぱり…そうなのか。
力が抜けたようにボーっと立っていると緒方さんが不審そうに覗きこんでくる。
思わず一歩下がってしまった。

「大丈夫?やっぱり具合悪いんじゃないの?」

!!?
緒方さんの手が俺の額に添えられる。

「熱はないようだね…でも顔が」

赤いしな、と今度は頬に手が当てられる。
俺は一瞬にして身体が硬直して心配そうに見つめてくる目から視線を逸らせなく
なり心臓だけは壊れたのか!?という程ドッコンパッコン鳴り響く。
どどど、どうしたんだ?俺。

「へ、平気ですっ!」

緒方さんは俺の言葉を信用していないのかうーんと唸った。

「山平君の家ってどの辺なの?」
「え…?あー最近出来たスーパーマーケットの先です」
「そうか。じゃあ俺と一緒の方面だね」

確か緒方さんはこの駅から徒歩5分のマンションに住んでいる
はずだ。
ポイントカードの住所に書いてあったから間違いない。
俺はそのマンションの前を通過してさらに10分程歩くと一人暮らしを
しているアパートがある。

「じゃあ、行こう」
「…へ?」
「これから帰るんでしょ?」
「そうですけど」

これってまさか途中まで一緒に帰るって事?
ハッと緒方さんを見るとニコッと笑った。
何と緒方さんと一緒に帰る事になってしまった。

「雷が鳴り始めているから急ごうか」
「は、はい」

確かに結構近くでゴロゴロと不穏な音が空に響いている。
あ、今ピカーッと光った。
俺たちは雨に降られる前に早歩きで帰って行った。

ーが。

「うわっ」

ちょうど緒方さんのマンションの前に来たところで大粒の雨が
ボタボタと落ちてきたと思ったら一気に視界も分からないくらいの
大雨が降りだしてきた。
雷も轟音を響かせ空を引き裂くように光が走る。
避難するためにマンションのエントランスに走った。

「凄い雨ですねー」

少しの距離だったのに服がビッショリ濡れている。
緒方さんが暗証番号を打つとマンションの中に入るドアが開いた。
俺は振り向いた緒方さんにペコッと頭を下げてさようならと言った。
そう、俺の行動は間違ってはいないと思う。
だけどそんな俺に緒方さんは顔を顰め、大股でカツカツと靴を鳴らして
俺の所まで来た。

「雨がおさまるまで俺の所にあがっていなさい」
「えぇ!?ここで雨宿りしていくから大丈夫ですよ」

思わぬ言葉に驚いて断ってしまった。
俺と緒方さんとは店員と客という立場なのだからそんなおこがましい
事は出来ない。
ぶんぶんと顔を左右に振ると髪から水が飛んだ。

「何を言っているんだ、そんなに濡れている格好で体調が悪化したら
どうするんだ」
「でも…すぐ止むと思うし」

緒方さんはまだ俺が体調悪いと思っていたらしい。
しかし次の緒方さんの言葉でしぶしぶ頷く事になってしまった。

「明日もバイトがあるんだろう?」

うう…。
確かに本当に風邪ひいて休む事になったら清音たちに迷惑が掛って
しまう。
結局雨宿りさせてもらう事になった。







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