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「とてもいい匂いがする」
「え?」

初めて聞く声は、声変わりする前の澄んだ声。
歩みを止めることなく、傍に来た男の子は白い肌に赤い唇が映え、人形みたいに綺麗な子だった。
大きな紅い瞳を細めて俺の顔に手を伸ばし、頬に触れて来た。

「レヴァの血の匂いがする。それも極上の」
「あ、えっと……」
「瞳は黒なんだね。不思議」

ジルみたいな美しい紅い瞳を見つめていたせいで、男の子の行動を防ぐことが出来なかった。
ほほ笑んだ男の子は俺の胸元を強い力で掴んで、下に引き寄せる。
背伸びをした男の子の顔が首筋に埋まり、ツプリと歯が皮膚に食い込む感触がした。
痛みを感じて、慌てて男の子を引き剥がそうとしたが、ビクともしない。

「ちょっと!ダメだ!俺、伴侶いるからっ、毒になるよ!」
「名前は?」
「え?」
「伴侶の名前」
「ジル。ジハイル。えっとセルファード」

顔を上げた男の子は俺を見た。

「じゃあ、君がセイジ?」
「そうだけど、俺の事を知ってるの?ジルと知り合い?」

ふっ、と子供らしからぬ笑みを浮かべた男の子は、耳元で良く知っているよ、と囁くと俺の首筋に思いっきり喰らい付く。
歯が皮膚に突き刺さる衝撃に背筋がゾッとして、ジル以外に吸血されている状況に青褪めた。
毒だって、言ったのにっ、何で吸血して来るんだ!

「うっ……あ、あぁ……」

自分が自分である為の大事な何かを奪われそうな危機感に襲われる。
怒った時のジルにされた時とは、また別の感覚。
俺の尊厳など無視して暴力で押さえ付け、支配してくる圧倒的な見えない力に必死に抵抗をした。

「止め……やだっ」

屈服しそうになるギリギリのところで男の子の口が離れた。

「ああ、残念だな。これ以上は毒が強すぎる」

はぁっ、と男の子が艶のある吐息を漏らし、光悦した表情で俺を見つめて来る。
今まで噛み付いていたところに指を這わせて、笑った。

「予想以上の味だった。これはジハイルも夢中になる。もちろん私もね」

俺は足から力が抜けてその場に座り込んでしまった。
目の前に立つ男の子は俺よりも小さいのに、得体が知れない大きな力を感じて体が震えた。

「本当に残念だ。セイジがジハイルの伴侶でなかったら、自分のものにしてしまうのに」
「え……」
「今あの子を怒らすと、まずいからね」
「ちょっ……」

ペロリと噛まれたところを舐められた。
俺は男の子を突き飛ばして距離を取る。
手で首筋を触ると、肌は滑らかで噛み跡はなくなっていた。

「そんなに毛を逆立てるように警戒しないで。怪しい者じゃないから」
「勝手に吸血してんのに、説得力なんかないだろっ」
「それはセイジが美味しそうな匂いを漂わせているのが悪いよ」

笑って肩を竦めた男の子が一歩前に出たと思ったら、次の瞬間には俺の目の前に現れた。
美しい紅い瞳と間近で目が合い、ひゅっと喉がなる。
男の子は赤い唇に笑みを浮かべて人差し指を立てた。

「今のはジハイルに内緒だよ。怒られちゃうからね」

宙に浮かんでいる男の子を振り払って、部屋から出ようと扉に駆け寄った、その時。
――ゴツンッ!!

「痛ぁっ!!」

急に扉が外側から開いて顔面を強打した。
よろめいた俺を、現れたエドが何してんだ?という顔で見てくる。

「ノックしてから開けろよ!」
「あっ!」

エドは文句を言う俺を無視して大声を上げた。
視線は俺の背後……男の子がいる場所を見ている。

「なぜ、貴方がこんなところに……!」
「エド、知ってるの?」

珍しく驚いて固まっているエドに小声で聞くと、男の子が先に口を開いた。

「私が城のどこにいようと構わないだろ?」
「え?」

俺がきょとんっとした顔になった時、エドの後ろから鎧を身に着けた体格の大きな年配の魔族が部屋に入って来た。
彫りの深い顔に年相応の皺が刻れている、眼光鋭い魔族を見て、口を大きく開けてしまった。
え、あっ、ドリード将軍!?
突然の登場で言葉が出せない俺を見向きもせず、ドリード将軍は真っ先にレヴァの男の子の元に早足で進み、目の前まで行くと跪いた。

「公務中の貴方がなぜここにいるのか、という理由を伺ってもよろしいですか?」
「うむ。まさかドリードに見つかるとは思ってもみなかったな」
「答えになっていませんぞ。今、貴方の側近達が城中を探し回っているのですよ」
「分かった。公務に戻るよ。あの子ともう少し遊んだあとでね」
「アリアス様!」

ドリード将軍に部屋いっぱいに響き渡る厳しい声を出されても全く気にした様子もなく、その場から離れてこっちに来る。
ん?アリアスって名前、どこかで……聞いたような。

「だって、あの子の伴侶にようやく会えたんだよ。会いたいって言ってもジハイルはいつも聞いてくれなかったし」

ドリード将軍の目が素早く俺を捉えた。
ええ……っ、ちょっと!
今、さらっと、俺がジルの伴侶だってバラしたよね!?
あああ、ドリード将軍の目がギラリと光った気がする……。

「さて、ここでお茶でもしようか」
「へ?お茶?」

俺が助けを求めてエドを見たら、言われた通りにしろという視線を向けてきた。
それって、諦めろって事かよっ!
何なんだよ、この男の子はっ。
男の子は邪気のない顔でにっこりと笑った。

「ようこそ我が城、ルベーラ城へ。ゆっくりしていくといい」
「我が城って……」

まさか……。

「まさか、総統の子供!?」

すると、速攻でバカセイジっ!と焦った声をエドが出して来た。

「よい、よい。初めて会ったのだ」
「えっと、あの……」

俺が戸惑っていると、紅い瞳を細めて口角を上げる。
もしかして、面白がられているのか?
はっきりさせたくて、男の子が誰なのか本人に聞こうとする前に、ドリード将軍が紹介してくれた。

「アリアス様は、このレヴァ・ド・エナールを長年統率し、我々を導いてこられた、総統です」
「……そ、総統!?」

こ、この男の子が総統だってぇっ!?





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