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「かわいそうな、マーディ。私のマーディ」

サーサーと雨音がしている中で誰かがしくしくと泣いている気がした。
ふと、目を開ければ俺は暗闇の中、横たわっていた。
身体に雨が当たる感触がある。
不思議な事にこの雨に触れると身体が癒されていくような感じがした。
さっきまでの苦しみが嘘のように消えている。
しかもこの雨、どんなに俺に降り注いでも濡れないんだ。
上半身を起こすとすぐ傍に誰かが立っている事に気が付く。
見上げてみれば黒いシンプルなドレスを着た金色の髪のほっそりとした女の人が顔を手で覆っている。
暗闇なのにはっきりと見える女の人に俺はまさか……な、と思った。
だけど顔を覆っていた手をどけて俺を見た瞳がまるで満月のような金色だったので一つの推測が確信へと変わった。

「ここって……月影だったりします?」
「ええ、そうよ。ここは月影。マーディ、忘れてしまったの?」
「いや……俺はマーディじゃないんですけど」
「マーディはどこ?」
「え?俺に聞かれても……」

女の人はさらにしくしくと泣き出す。
それにあわせて雨の降る量も多くなる。
濡れないからいいんだけど、泣いている女の人を放っておくわけにもいかない。

「えっと、貴女の名前は?俺は高野聖司です」
「な、まえ?私の名前はもう誰も呼んでくれない……。あの方もマーディも呼んでくれない」

泣きはらした顔を俺に向ける女の人。
……確か、エレもずっと名前を呼ばれてなかったみたいだった。

「俺でよければ、呼ぶよ」
「貴方が?」
「うん。エレも名前を教えてくれたよ」
「エレ……そう、あの子が貴方に」

ホロホロと流れる涙はそのままに女の人はほほ笑んだ。

「私の名前はマリアンヌ。二の影のマリアンヌ」
「マリアンヌさん」

見た目二十代前半くらいだったので呼び捨てにはできなかったけど本人は呼び捨てがいいと泣き出してしまったので慌ててマリアンヌと呼んだ。
するとさらに泣いてしまう。

「え?ちょっと……?」
「ありがとう、ありがとう。名前を呼んでくれて。嬉しいわ。とても嬉しい」

ああ、ビックリした。
嬉し泣きなのか。
俺は好意的なマリアンヌにエレの事を聞いてみた。

「マリアンヌ、エレが今、三の影に捕えられているのは知ってる?」
「エレが?」
「そうなんだ。俺はエレを助けたいんだ」
「……私が協力する事は可能だけど、でもエレを解放出来るかどうかは分からないわ。三の影は私達の中でも一、二を争う実力を持っているから。無邪気で残酷で……あの子も……」
「……?」

マリアンヌは切なそうな顔を見せ、ポツリと呟いた。

「寂しいのかもしれないわね……」
「寂しい?」
「ええ、私達はあの方とマーディがいなくなってから、ばらばらになってしまった。今はもうあの方が残してくれた己の義務しか残っていない。永遠と続く時間の中、私達を呼ぶ声だけが支えなの」
「マリアンヌ……わわっ!?」

俺と背の高さが同じくらいのマリアンヌに抱きつかれてしまった。
むむむむむ、胸がっ!!
肩を掴んで引き離そうとするけど、俺の背に回った腕はそう簡単に剥がれない。
うー、乱暴には扱えないので、身体に当たる柔らかいものに対して平常心、平常心と唱えながら遣り過ごす。

「また、昔のようにみんなで一緒にいられたら……」

俺の肩に顔を埋め、涙声でそう願うマリアンヌ。
俺はマリアンヌの背をポンポンと優しく叩いた。

「じゃあ、そうしようよ」
「え?」

マリアンヌが顔を上げ俺を見る。

「きっとさ、マリアンヌがそう思うなら他のみんなだって同じじゃないかな?俺から声を掛けるのは無理だからマリアンヌから呼び掛けて集めたらいいと思うよ。それでみんなで話しをしようよ」

俺の提案にマリアンヌは瞬きをして、その後すぐに顔をほころばせた。

「ええ、ええ!そうするわ!その時は貴方も一緒よ!」
「うん」

頷いて俺は、はたっと現実に気付く。
あ、エレを捕えている三の影をどうにかしないとだめじゃん。
俺のアホー!

「マリアンヌ、三の影からエレを助けないと……」
「三の影は任せて」
「え?大丈夫なの?」
「一の影と接触してみるわ」
「一の影?」
「ええ」

なんだか、いつのまにか泣きやんでいたマリアンヌが頼もしく見えた。
それに雨も降っていない。

「不思議ね、貴方ってマーディみたい」
「マーディって誰?」
「マーディはあの方の伴侶で私のかわいい妹で親友なの」
「へ?」
「がんばるわ、私」

ニッコリと笑ったマリアンヌが急に遠ざかっていく。
これは俺が月影から離れていっているんだ。








あ、と思った瞬間、なぜか身体が鉛のように重くて動かなかった。

「……ぅ」
「セイジ!?セイジ、目を開けろ!!」
「な、なに?」

突然、耳元で大きな声がして言われた通り目を開けて……ギョッとした。
なぜなら瞼は腫れ、鼻はまっ赤で、明らかに泣いたと分かる状態のグレンが俺を覗きこんでいたからだ。




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