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誰かが俺に触れている。
そっと目を開けたけど冷たい手が目元を覆うようにしていたから何も見えない。
でも、ひんやりとした感触が気持ち良かった。
そのまま目を閉じたら耳に話し声が聞こえて来る。
この声はセバスさんと……最近聞いた事のある……あ、セルべックさんだ。
何を話しているのか半分夢うつつな俺にははっきりと分からない。
少しだけ聞き取れたのは薬がどうのこうのと言っていた。
ふと、唇に柔らかいものが触れてその後に咥内へ何かが流れ込んでくる。
喉が渇いていたから抵抗しないでいると……うっ、苦いぞ!これ!
水じゃないって事が分かった俺は流れ込んできた苦い液体を吐き出そうとしたが 口が塞がれていて外に出せず結局、飲み込んでしまった。
うえぇぇぇ〜、マジ苦い〜。
でもすぐに柔らかいものが俺の口の中を優しく慰撫するように動く。
すると苦みが甘味に変わっていった。
ああ、これは精気だ。
流れ込んでくる精気をそのまま受け止める。
しばらくして俺の口を塞いでいたものが離れて行き、いつの間にか話し声もしなくなっていた。
なんか心もとなくて目元を覆っている手に触れてみる。
硬くて大きな手。
誰の手だろう?
ヴィーナ?
でも、どこか違う気がする。
指で確かめるようになぞってみると指を絡められてぎゅっと握られた。
うっすら目を開けてみればぼんやりと部屋の照明に照らされている人影が。
じーっと見ていると、相手も同じようにじーっと俺を見ている。
綺麗な深紅の瞳に、めちゃくちゃ整っている一見、無表情な顔。

「……ジル?」

あれ?
ジルなのか?
俺の頭の中ではジルがここにいるわけないと判断する一方、目から入ってくる情報が どう見てもジルだと伝えて来る。
熱で思考能力が落ちている事もあり、絶賛混乱中だ。
おかしいな。
ジルは俺が治るまで会う事は禁止になってたはずでは?

「お、おい」

ジルが俺の隣に潜り込んでくる。
そして長い腕を俺に絡めようとして―――。

「でぇぇえええいっ!!!」

俺は気力を振り絞ってその腕を打ち払いながら跳ね起きた。
そしてベッドの上で距離を取る。
ジルはというとそんな俺を睨んだ。

「や、やっぱりジルだったか。ジル、俺が熱が出ている事は知ってんだろ?」
「……」
「一緒にいたら移るから自分の部屋に行けよ」
「……」

うっわー、すごい反抗的な目。
ジルの為を思って言ってんのに。
俺に触れようとして来た手を叩き落とし、部屋のドアに指を差して 強い口調で自分の部屋に行け!と言ったらますます機嫌が悪くなってしまった。

「何度も言うけど、俺とジルが傍にいるのは禁止!!」
「聖司」
「……うっ」

低い声で一回名前を呼ばれただけで身体がビクッとしてしまう。
ギラリと深紅の瞳を光らせているジルはもう一度俺の名前を呼ぶ。
ううっ!
で、でも、負けないぞ!
後で熱を出して寝込む事になって大変な目に遭うのはジルなんだからな!

「俺が治るまでは一緒にいるのは禁止なんだってば!」
「誰が」
「え?」
「そのような事を」

誰がそんな事を言ったかって?
……。
………あれ?誰だったっけ?
頭に疑問符を乗せて考えていると俺を捕まえようとジルが手を伸ばしてくるから また叩き落とした。

「別に誰が言ったっていいじゃん。ジルの為に治るまで会わない方がいいんだよ!!」

俺の必死な訴えもジルの前ではどうでもよい事だったようだ。
見るからにイライラしているジルは一言。

「来い」

何だよ、その上から目線!!
俺はジルのペットじゃねぇ!!
グワッと怒りが込み上げてきた俺はもちろん傍に近寄らず、じりじりとベッドに尻を付けながら 後退した。
捕まえて来ようとするジルにますます腹が立って次から次へと思いっきりクッションや枕を 投げつけて抵抗をした。
だけどダメージがあったのは熱を出している俺の方だった。
すぐに息切れを起こしてクッションを握る握力が無くなっていく。

「こっち来るなよ!!」

ジルに腕を掴まれて引っ張られるがそれでもジタバタと暴れた。
ベッドの上に仰向けに倒されて押さえ付けられるとさらに身体の底から怒りが湧き出て来る。
それはなぜか止まる事を知らない。
思わず違和感を感じて眉根を寄せた。
あれ?おかしいな。
どうしてこんなにムカムカしているんだろ?
なんだか感情がコントロール出来ていない感じがする。

「……んっ!」

いつもと違う自分に困惑しているとジルが無理矢理キスをしてきた。
ガブリと噛みつくような乱暴なキスに身体が一瞬硬直する。
唇に歯を立てられ強い視線で射抜かれる。
その瞬間、急激に悲しくなってきて涙腺が崩壊した。
さっきまであった怒りが消えて今度は悲しさで溢れ返り、 ぼろぼろと自分でも訳も分からないくらい涙が出て来た。
さすがにジルも驚いたのかさっきまで纏ってた怒りを消して俺を凝視している。

「うーっ、うーっ!!ジルの、バカー!」

自分の手で涙を拭う前にジルの唇が俺の涙を拭っていく。

「聖司」
「ひっ、ぅ……うっ」
「泣くな」

悲しいという感情がどんどん風船のように膨らんで限界まで大きくなったと思ったら、 パンッと割れてそこから突如、不安が生まれた。
不安はあの夢を思い出させる。
三の影に追いかけられた恐い夢を。

「ジルっ」

俺を襲っている不安から逃れようとジルに手を伸ばす。
そして強く強く抱きついた。

「さ、三の影が……」

言葉を途切れさせてぐすっと鼻を啜っているとジルが続きを待っているかのように、 じっと俺を見ている。
俺はジルにしがみ付きながら夢の話しをした。

「お前が呼べって言うから、呼んだのに、来てくれねえしさ」

ジルの腕の中でぶつぶつと文句を言っていると、不安がさっきまでの感情を呼び戻し心の中で 怒りと悲しさと不安がぐるぐる回り始める。
すると三つが溶け合わさって違うものが現れた。

それは……寂しさ。

急に口を閉ざして何も言わなくなった俺を怪訝に思ったのか頬へ手を当ててきた。
そっとジルを見て目が合った途端、言葉が勝手に口から飛び出てしまった。

「……し、かったんだから…な」
「もう一度言え」
「さ、寂しかったんだからな!」




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