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俺は腹に回っている腕が誰のものなのか確認しなくても分かってしまった。
なぜなら背中に密着している相手の感触に身体が安心感を得たからだ。
それに。

「なぜ、もっと早く呼ばなかった」

心地よい低音の声。
そして苛立ちと心配も含まれている声。
だって、呼ぶって言ったって来てくれない時もあるじゃん。
だけど今回来てくれてマジ助かった。
そっと腹に回っている腕に触れてありがと、とポツリと礼を言った。
顔を上げ、レナードに蹴られたキオを確認すると大きな怪我はしてないようで駆け寄ったジュリーに 手を引っ張られながら起き上がろうとしていた。
その無事な姿にホッとする。
でもここで安堵するわけにはいかない。
屋敷にいるセバスさんの安否がまだ分かっていないのだ。

「ジルっ」

俺は身体を捻ってジルの顔を見る。
整えられていた髪が雨にぐっしょりと濡れていた。

「ジル、早く屋敷に戻ってくれ!セバスさんがっ!」
「マスター!」

ジルの近くで強い光が輝きそれが消えて現れたのはレイグだった。
周りを見渡し、これは一体と呟く。
レイグはいつものようにジルと一緒に行動していたようだ。
きっと俺が呼んだからジルが一人で転移してその後レイグも同じように転移して来たんだろう。

「ジル、早くっ!セバスさんのところに行って!!」

しかしジルは俺の叫びを無視して右手をひょいっと持ち上げ、ジッと見ている。
何してんだよ!と文句を言おうと口を開いた時、ものすごく不機嫌な声を出した。

「これはどうした」
「え?」

これって……。
左手はさっきキオに治癒してもらったので傷は消えていたが右手はまだ エゼッタお嬢様に踏みつけられたままの形で残っていた。

「あ、これは色々あって」

もーっお願いだから屋敷に戻ってくれよー!セバスさんがー!と喚いていると 今度はレイグがこの状況の説明を求めて来る。
俺は早口でジルに会いに来たエゼッタお嬢様がセバスさんに何かした後、俺達を拉致ろうとしたんだけど予定を変更して殺そうとしてきたと話した。
すると一気に空気が重くなって 身体が受ける圧力にうっと声が詰まる。
ジルの視線が俺からエゼッタお嬢様に移った瞬間、綺麗なワンピースが血に染まった。

「え?」

今……な、何が……。
エゼッタお嬢様はその場に崩れ落ち、傘を差している従者も同じように血を流して倒れた。

「ジル?」

まさか……と見上げればジルは土砂降りの雨の中、恐ろしく冷たい目でエゼッタお嬢様を見ている。
そして――ザシュッと何かを断ち切る音が雨の音よりも大きく耳に聞こえてきた。
ハッとしてその方へ顔を向けるといつの間にかエゼッタお嬢様の前にレナードが庇うように立っている。
レナードの身体は顔から胴体にかけて大きく切られ血が流れ出ていた。
倒れそうになる身体を地面に突き刺した剣で支えている。
突然の事に頭がついていかなくて呆然としていたがキオの兄さんっという叫び声で我に返った。
同時にジルがまた動くと直感した俺は腕にしがみ付いて叫んだ。

「ジル!これ以上はもういい!」

しかしレナードからまた血が噴き上がりその周囲に赤い雨が降る。
その光景にひゅっと息を飲んだ。
ダメだ……。
ダメだダメだダメだ!!

「ジルッ!!」

俺が呼んでもこっちを見ようとしない。
それどころか身じろぐだけが精一杯で抵抗も出来ないエゼッタお嬢様やレナードに殺意を込めた視線を外さない。
ジルの胸を拳でドンっと叩いた。

「ジル、俺を見ろ!!」

もう一回強く叩く。

「俺を見ろよ!!」

ザーーーッと雨の降る音がする中、ジルの深紅の瞳がゆっくりと俺の方を向いた。
そっと手が伸びて来て頬に当てられる。
俺はその手を重ねるように触れた。

「ジル、もうこれ以上傷つける必要はないよ。それよりも早く屋敷に戻って」

俺の身体が雨で冷え切っているせいか頬に触れているジルの手が温かい。
それと同じくらい温かいものが俺の目から零れ落ちた。

「や、屋敷にも、どって……セバスさんを助けて……」
「レイグ」

ジルに名を呼ばれたレイグは礼をしてその場から転移をした。
きっと行き先は屋敷だ。
セバスさんの無事を強く願っているとジルに抱きこまれた。
その途端、張り詰めていたものが切れてブワッと目から涙が溢れてくる。
男なのに情けないと思ってても後から後からどんどん出て来てしまう。
泣くなとジルが耳元で囁く。
俺はぎゅっとジルにしがみついた。

「ふ、……ぅっ、うっ」

唇を噛んで泣く事を我慢するけどそれでも涙を止める事が出来ない。
ジルが俺の顔を上げさせて目元に唇を落とす。
優しく何度も何度も。
目を閉じてそれを感じていると唇にも同じような感触が。
そっとジルの熱い舌が俺の咥内に侵入して来る。

「は、……ふぅ」

深いキスになっていけばいくほど俺の中にジルの精気が多く入って来て 無意識にもっともっと、と舌を絡めて催促する。
ジルはそんな俺に応えてねっとりと濃厚なキスを続けた。
精気とキスの気持ちよさに脚に力が入らなくなってジルの支えがなければ 立っていられない状態になっている。
それでも俺はジルに必死にしがみついて精気をねだった。

「ちょっと、なにコレ!!一体何があったのー!?」

突然、俺の耳に早く帰って来て欲しかった人物の叫びが飛び込んできて、瞬時に我に返り、身を引くが ジルの口が離れない。

「も…ごっ、んーー!んーー!!」

ジルにキスをされながら目線だけ声のした方に向けると雨の中、ヴィーナが状況を把握しようと 破壊されている花壇や血を流して倒れているエゼッタお嬢様達を見ていた。
そしてパチッと俺と目が合う。
俺は慌ててジルを叩いて口を離してくれるように訴えた。
しかしすぐには離してくれなくて俺がヴィーナを指差したらチラリと目は動かすが キスは止めない。
ヴィーナはジルに見られると俺達から視線を外した。
ええーーー!?
ジルを止めてよ!!
ジタバタと暴れていると視界の端にキオとジュリーが映り、ぎゃーっ!と心の中で悲鳴を上げた。
見られた!?と焦ったがこっちを見ないように俯いているキオがジュリーの目を頭から 被せてある俺の上着で隠している。
ナイス!キオ!!
それからしばらくしてようやくジルの唇が離れていき 俺は息を吐きながらヴィーナも屋敷に行ってもらうように頼んだ。
状況が全く分かっていないヴィーナは首を傾げ説明を求めて来る。
ジルの時と同じように今まで起きた出来事を簡単に知らせるとスッとヴィーナの顔が 変わった。
冷たい目でエゼッタお嬢様を見るとジルに屋敷に行くように促した。

「ここは私が。マスターは屋敷へお戻り下さい。こんな雨の中ずっといたら風邪を引いてしまい ますからね」

ジルは何も返事とかしなかったけど俺をひょいっと抱き上げる。

「あ、ジル待って!キオとジュリーも連れて行って!後、ヴィーナ!」

何?という顔で俺を見ているヴィーナにこの後、エゼッタお嬢様をどうするのか聞きたかったけど 俺が何か言う前にジルが転移をしてしまった。




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