「ちょっとー、私がいない間に何が起きたのよ」

その日、屋敷に戻って来たヴィーナが俺の部屋に来て困惑の声を出した。

「別に」
「別にじゃないでしょ。マスターの空気がピリピリしちゃってるもの」

ソファーに座っている俺は抱えているクッションに顔を埋めた。
はぁっと溜息を吐いたヴィーナが俺の隣に座りねえねえと話し掛けてくる。

「何が原因なの?溜め込んでおくのは良くないわよ」
「…ジルが悪いんだ」
「マスターの何が悪いのよ」

それを説明するとなると俺がジルにされている事をヴィーナに知られてしまうわけで…。
言いたくても言えない状況に黙っているとヴィーナが身を乗り出して来た。

「前に聖ちゃんが言っていた『変な事してくる』に関係するの?」
「えっ、な、何の事っ!?」

声が裏返った俺にヴィーナは呆れた声を出した。

「聖ちゃんとマスターが夜な夜なしている事を私が知らないとでも思っているんじゃないでしょうね」

――!!?
バ、バレてる!?
ヴィーナが俺のこめかみを突っついた。

「まさか隠しているつもりだったの?」
「ヴィ、ヴィーナその……何を知っているって?」
「あらっもちろん夫婦の営みよ!」

ぎゃああああああーーーーーーっ!!

「まったく何でそんなに顔を真っ赤にして恥ずかしがるの?おかしな聖ちゃんね。 ほらほら、ヴィーナさんに話してみなさいよ」

…うぐっ。
も、もう知られているなら自分の中に溜め込んでいるものを出してしまえと思って 俺は小さい声でボソボソと話し始めた。
ヴィーナはうんうんと言いながら聞いている。
この際ありったけの不満をヴィーナに愚痴った。

「分かったわ。つまり聖ちゃんはマスターの精力についていけないのね!」
「そこじゃないっ!嫌だって言ってんのに無理矢理やるのが嫌なんだっ」
「じゃあ、合意の上でやりたいのね」
「違う!そもそもやりたくないんだって」
「何で」
「何でってああいうのは好きな人同士でやるんだ!」

しかも俺は男なのにアイツに…アイツにー!
ムカムカしてきてクッションをボスボスと叩いた。

「聖ちゃんって乙女ね」
「これは一般的意見だ!」

でも、とヴィーナは話しを続けた。

「マスターは聖ちゃんの事が好きだし、聖ちゃんもマスターの事が好きなんだから問題ないじゃない」

俺がいつジルの事を好きだって言ったんだよ。
そんな事は断じてありえん!
ヴィーナはもー無自覚なんだから〜と言って俺の膨らんでいる頬を手で包んでプシューっと潰し、 思いついたようにニッコリ笑った。

「気分転換に外に出てみる?マスターに許可をもらってからだけど」
「外?」
「そう。首都程大きくはないけれど近くに街があるのよ」
「行くっ!」

俺は即座に飛びついた。
ジルの屋敷に来てから数日経つがまだ一回も外に出ていなかった。
ヌルガルの時もジュッシェマデルの時もゆっくり見て回れなかったから一気にテンションが上がる。
だけど一つ心配な事が。
ラフィータ城の地下水路で遭遇したレヴァを思い出した。

「ヴィーナ、地下水路で会ったレヴァの仲間がもしもその街に…」
「大丈夫よ。あいつらも真昼間に人が多い街をうろついたりしないし、もしも何かあった時はこの私が いるから心配ないわよ」
「………」
「ちょっと!今疑ったでしょ!ひどいわ〜!!」

しまった。
ヴィーナが責めた目で俺を見る。
だってさ結構、地下水路の時の戦いで苦戦してたから大丈夫かなと思っちゃったんだよ。

「あれは、こっちに戻ってくる時に精気を奪われてたせいなの!」

確かにジルから血をもらった後のヴィーナは強かったな。
俺は顔を手で覆ってひどいわ〜っと言いながら嘘泣きをしているヴィーナにゴメンと謝る。

「えっと、これから行く街は何て言う名前なの?」

ヴィーナは嘘泣きを止め顔から手を離しニコッと笑った。

「リグメットよ」










リグメットは見た感じ身なりの良い人たちが多い街だった。
ジュッシェマデルの時みたいに入り組んだ怪しい路地裏とかもなく石畳が綺麗に敷かれ 外国のような大きい家が立ち並んでいる。
遠くの方に一際大きい美術館みたいな建物が見えた。

「ヴィーナあれ何?」

隣に並んで歩いているヴィーナに聞くとそれは学校だと教えてくれた。
それを聞いてへーと感心する。
こっちにも学校とかあるんだな。

「リグメットは学問の街でもあるのよ」
「そうなんだ」

俺は急に通っていた学校を思い出した。
みんなどうしてるかな…。
早く帰りたいけど、どこにいるか分からないエレを探さなきゃいけないし。
そのエレは助けなければいけない状況かもしれないし。
ジルは協力してくれそうもないしさ。
どうしたらいいんだよ。
ちらりと横目でヴィーナを見上げる。

「あら、何?」
「ヴィーナ。あのさ俺、エレを…やっぱりいいです。ごめんなさい」

エレの名を出しただけでヴィーナの視線がギンっときつくなる。
ダメだっ。
ヴィーナは俺を帰らすのが反対派だった。
きっとセバスさんも反対派だと思うし。

…あっ!!

いるいる、いるじゃん!
賛成派のヤツが。
レイグなら絶対俺を帰らせようとするに違いない。
よし、会いたくはないがエレを見つける手掛かりが掴めるかもしれないので屋敷に戻ったら 尋ねてみるか。

「いやねー沈んだと思ったらにやけた顔しちゃって」
「別に〜。あ、そういえばさジルがリグメットに行って良いって言ったの?」
「そうよ。マスターはちゃんと聖ちゃんの事考えてくれてるんだからね!」

…そんなアピールいりません。
考えてくれるならもっと別の事を考えてくれ。

「あーそーですかー」
「何よ、その可愛らしさのない返事は」

プイッと顔を逸らした俺の視線に花屋さんが見える。
道に出しているワゴンの回りに色々な花が置かれていた。
近寄って見るとゲコゲコ鳴いている花がある。
…花って鳴いたっけ?
見た目は緑色のチューリップだ。

「ヴィーナ!花が鳴いてるよ!」

木の桶に入っているそれを指で差して振り返った。

「それは鳴くでしょ」
「えっ。鳴くの?」

もしかしてこっちではあたりまえの事なのかな。
驚いている俺にヴィーナはその花の名前がリップルップだと教えてくれた。

「リップルップは鳴くだけじゃないのよ」
「他に何かあるの?」
「その花の中にはね、すごーいものがあるのよ」
「すごいもの!?」

何だろうと思って上から覗きこむ。
だが別にこれと言って何かがあるわけでもない。
やはりチューリップと同じだ。
すると覗きこんでいたリップルップの花をヴィーナが指で弾いた。

「わぁっぷっ!!」

花の中からビュッと液体が飛び出してきて俺の顔を濡らした。
袖で顔を拭きながらヴィーナを見ると爆笑している。
そしてお店のお姉さんも笑っていた。

「あはははーーーっ!」
「何すんだよ!」
「だって、ははははっ!まさかこんな手に引っ掛かるなんて!ぷぷーっ!」

笑い続けているヴィーナは放っておこう。
その間にお店のお姉さんが説明してくれた。
花に衝撃を加えると水を出すらしい。
しかもどんな汚い水でも綺麗な水に浄化したものを出すというから驚きだ。
へーと感心していると小さな女の子が走って来てリップルップの花を一本買っていった。
それを見ていた俺にヴィーナが欲しいの?と聞いていた。

「べ、別に欲しいなんて言ってないだろ」
「そお?じゃあ、いらないの?」
「い、いらなくはない…」
「ぶっ、あはははっ!」

もー何だよ。
笑わなくたっていいじゃん。
ヴィーナはこれ頂戴と桶に入っている全てのリップルップを買おうとしたのでそれを慌てて止めた。
一本で十分だよ。

「ありがとう。ヴィーナ」
「どういたしまして。どうせなら全部買っちゃえばよかったのに」
「そんなにいらないよ」

ゲコゲコと鳴いているリップルップの花を持ちながらお店が立ち並ぶ通りを歩いていく。
魔族達とすれ違う中、さっき花屋で買い物をした女の子を見つけた。
両手でリップルップを持ちタタタッと走っている。
するとちょうど通過しようとしていたお店のドアが開き、女の人が出て来た瞬間、タイミング 良くぶつかってしまった。

「きゃあっ!何て事、服が汚れてしまったわっ」

ぶつかった女の魔族が悲鳴を上げる。
女の子は不安げに見上げて数歩下がった。

「お嬢様。どうなされましたか」
「見て頂戴!お父様から頂いた服がっ」

後ろから現れた従者に女の魔族が訴えた。
綺麗な青色のワンピースが濡れている。
きっとリップルップから出た水のせいだ。
従者は無表情に泣き出しそうな女の子を見下ろし腰に装備している剣の柄に手を掛けた。
おいおいおいおいっ!

「ちょっ、ちょっと待ったぁ!」

俺はその場に駆け寄って女の子を背に庇い止めに入った。

「何ですか、お前は」

急に現れた俺を不審そうに見た女の魔族は緩やかなウェーブを描いたブラウンの長い髪で 目はややつり目がちだが二重で大きく美人だった。
瞳の色は紅でレヴァだという事が分かる。
歳は20代くらいだと思う。
従者の方は黒髪黒眼で長身だ。
顔立ちは派手ではないが整っている。

「あのさ、ぶつかったのわざとじゃないんだし、許してやってよ。それ濡れちゃってるけど だだの水だから」
「わたくしを誰だと思っているの」
「え?」
「わたくしはノズウェル家の者よ。そのわたくしに無礼な事をしたのよ」
「はあ」

ノズウェル家って何だろう。
俺が気の抜けた返事をした事が気に入らなかったのか苛立ちながら従者に命令した。

「この者も斬り捨ててしまいなさい」

何だって!?




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