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門徒ぶらり 1人旅


 
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大谷祖廟 東大谷
大谷祖廟 東大谷
大谷祖廟
大谷祖廟
大谷祖廟
大谷祖廟
大谷祖廟
大谷祖廟
大谷祖廟
大谷祖廟
親鸞の入滅
弘長2年(1262年)11月28日 浄土真宗の開祖親鸞は三条富小路の善法坊で発病し、90歳をもって入滅。
 
翌29日午後8時に葬送。下野国高田の顕智、遠江国池田の専信なども上洛し参列。東山鳥辺野(とりべの)の南、延仁寺で火葬。
翌30日拾骨。鳥辺野の北、大谷に墳墓を築き納骨。
大谷祖廟 北門
大谷祖廟 北門
東本願寺
東本願寺
東本願寺(ひがしほんがんじ)とは、浄土真宗の一派、真宗大谷派の本山の通称。現在、正式には真宗本廟と称する。本願寺の第十二代教如(本願寺光寿)が、徳川家康によって本願寺の東に寺領を与えられ、1602年に本願寺が二つに分かれたとき、教如が開いた寺。現在の京都市下京区烏丸六条に位置し、堀川六条に位置する本願寺の東になるため、東本願寺と称されるようになった。愛称「お東さん」。
 
江戸時代に4度の火災に遭っており、現存建造物の多くは明治期の再建だが、建築・障壁画等は当時の技術の粋を集める。親鸞聖人像を安置する御影堂は世界最大級の木造建築物である。親鸞自筆の教行信証(国宝)を所蔵。近接する飛地境内地の渉成園は国の名勝。現門首は大谷暢顕(浄如)。
 
1908年から真宗大谷派の僧等が大連に布教するとともに建立された本山と同名の寺が存在した。第二次世界大戦後は大連図書館の一部として使用され、現在は大連京劇団の舞台として現在も当時のままの外装を止めている。
東本願寺
東本願寺
東本願寺
東本願寺
東本願寺
東本願寺

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