親鸞さんのあしあと 

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常陸の国
2005年 NHKの大河ドラマ『義経』 義経と同時代に生きた親鸞を思い、親鸞さんのあしあと『常陸の国』のページをつくりました。


弁円の墓所(法専寺)
弁円の墓所(法専寺)
お寺の奥様に道順を教わり 山伏円弁 改め明法房の墓所をお参りしてきた。 田に稲が植えられ、景色が緑で溢れるころもう一度訪ねたい。周辺全体が県立自然公園として整備され、日本の原風景を楽しみながら、法専寺から、この墓所までゆっくりと散策するのも楽しいとだろう。
弁円墓碑(法専寺)
弁円墓碑(法専寺)
墓地全体が奇麗に掃除されており気持ちの良いお参りでした。
本泉寺
本泉寺
二十四輩 第24番 唯円房
同じく唯円房を開基とする・西光寺の伝とは異なり、当寺の開基・唯円房は俗名を鳥喰六郎兵衛尉朝業といい、この地の領主であった。1227(安貞1)年、親鸞聖人の門弟となり、唯円を名のったとする。その後、鳥喰の地に一宇を建立、これが本泉寺の始まりである。開基・唯円房の木像や親鸞聖人寺号家督願の古文書などを有する。
●所在地/茨城県那珂郡山方町野上1264
 
本泉寺
本泉寺
本泉寺
本泉寺
3無量壽寺 下富田
3無量壽寺 下富田
二十四輩 第3番 順信房
 
鳥栖の無量寿寺と開基を同じくしているが、現在は鳥栖と違い、大谷派に属している。2カ寺に分かれたのは、開基・順信房が隠居したことに始まるとも、当寺11代目の順巴が鳥栖から当地に隠居したことからだともいわれている。
順信房は性信房と共に、専修寺の一光三尊仏を善光寺にお迎えにいったとき、親鸞聖人のお供をしたといわれている。
ここ無量壽寺の門徒を鹿島門徒といわれ、親鸞聖人の消息によく出てくる。
順信房の父・藤原信親の神官像や、関東離別の聖人像などを蔵している。
●所在地/茨城県鹿島郡鉾田町下富田542
無量壽寺 下富田
無量壽寺 下富田
3月26日 訪問させていただいた。 霞ヶ浦の方からの強い風が吹いて、杉の枯葉が落ちて、掃除が大変だと云われながらご住職さんが掃除をされ、庭では住職のお父さんと思われる方が花を植えておられた。我が家も息子夫婦との二世帯住いであるが、庭掃除する息子と庭の手入れをする親父の風景が見られるようになるには、まだまだ先のことであろう。
3無量壽寺 下富田
3無量壽寺 下富田
鳥栖の無量壽寺のカヤ葺き屋根と趣きのまったく違う、こちらはコンクリート作りで白の塗装仕上げであり、 鳥栖は高台にあり、こちらは平地、山号は光明山、院号は無碍光院どちらも同じ、無量壽寺では有るが対象的の2寺が2Kmほど離れてたっている。
 
本堂の片隅に本棚があり、町から委託された小さな図書館となっている。小学生、中学生の読むような本が並んでいたが、残念ながら子供たちの姿はなかった。 子供たちが来て本堂の扉を開けっ放しにしないようにか扉に「スズメが入らないように戸は閉めてください」と張り紙がしてあった。これが「開放厳禁」とか「戸は閉めること」とは書かない。お寺さまの優しさの感じられる。 
3無量寿寺 鳥栖
3無量寿寺 鳥栖
二十四輩 第3番 順信房
 当地を治めていた地頭の19歳の妻が難産の末に亡くなり、当時禅宗であったこの寺に葬られた。しかしその妻が幽霊となって土地の人を恐れさせていたため、稲田に住していた聖人の済度を仰いだところ、聖人が石に無量壽経、観無量壽経、阿弥陀経を書き写し地頭の妻の墓にうめたところ、幽霊は菩薩の姿になって往生の素懐を遂げたという伝承がある。 
親鸞聖人が鹿島神宮所有の仏典を見に稲田からしばしば足を運ばれ、稲田草庵と鹿島神宮の中間地点でもある 幽霊騒ぎで住職のいないこの寺が地理的にも最適だったと思われる。 
●所在地/茨城県鹿島郡鉾田町鳥栖1013
3無量寿寺 鳥栖
3無量寿寺 鳥栖
光明山無碍光院無量壽寺は、大同元年(806)平城天皇の勅願所として建立された。その後、親鸞聖人が永久3年(1221)から3年間この寺に住み、阿弥陀仏を自ら刻んで本尊として、浄土真宗の教えを広めたことから親鸞聖人ゆかりの寺といわれている。親鸞聖人が3年間の布教を終えてこの地を去るに至って、無量壽寺を弟子の順信房に託した。順信房は無量壽寺を拠点らして鹿島行方地方にも広く布教活動を行い民衆を教導して、浄土真宗が発展する基礎を築いた。境内には、樹齢7、800年を超える菩提樹、かや、けやき、杉、まき、など数多くの大木が覆いかぶさるように生い茂り、親鸞聖人のお手植えという菩提樹、かやが現在も育成している。 菩提樹はお釈迦様がこの木の下で悟りをひらいたと伝えられる木である。無量壽寺の菩提樹は親鸞聖人がつかわれていた念珠が切れて、その実を蒔いたものが芽を吹きだいたもので、県指定天然記念物である。かやの木は、親鸞聖人が焼いたかやの実を蒔いたところ、半分黒くこげたような実をつけることから、別名「焼かや」と呼ばれるきである。また当寺は国の重要文化財に指定されている。  国指定重要文化財 「拾遺古徳伝」県指定重要文化財「御文章」  建物 「本堂」 「鐘楼堂」 「山門」   境内掲示板より

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解説文は一部、東本願寺「しんらんさんめぐり」から引用しています。