サマルカンドの響きはシルクロードと一体となって西域ファンにとっては堪らないのです。
今回のウズベキスタンはそんな思いを実感するための旅だった。
いつも一人参加で寂しい思いをしてきた私にとって、25名の参加者中、4組のペアーと一人参加17名という不思議なツアーが始まった。
2003.7.18 am5:00発、成田行きのバスに乗ってam8:00前には余裕で到着。
元気印のTC「S」さん、一人参加の若い女性は2名で、後はほとんどが私以上の年代で男性が多い集団。
ウズベキスタン航空(エアバスA310、定員190名、ファースト12席、ビジネス30席ここに数人..。)は
定時に出発、初めての関空経由で定時より若干早くタシケントに到着(pm4:45、日本との時差4時間)。
いつも遅れてくる飛行機なのにと現地スルーガイドの「アスカル」さんは驚いていました。
しかし、前の女性の荷物検査で手間取ったり(検査係りが一人しかいなかった)、スーツケースの破損があり
30分程手続きがかかったりで、1時間ほどで空港の外へ。
タシケント空港はこじんまりしていて国際空港の雰囲気は無いが撮影は禁止、飛行場にはロシア製
らしき飛行機が並んでいて珍しかった。
空港を出ると30度ちょっとで暑いけど爽やかな夏が迎えてくれました。
人はまばら、赤ちゃんを抱いた物乞いが2.3人。
待っていたバスに乗り込みドライバーのエイブラハムさんとアシスタントの弟さんに紹介されました。二人は
シャイで旅の間中、ずっと寡黙なままの二人でした。
タシケント市内に向かい今日のホテルのシェラトン着。新しいけど、随分小ぶりなシェラトンでした。しかし、部屋は
立派な確かにシェラトンでした。
着後早速「K」さんがバザールに行くのに同行、日用品、食料品特にすいか(1kg80スム)、洋ナシ、小さなりんご、杏などが大量に並んでいた。500mlx12本の
ミネラルウォーターが2400スム
アンズの生は初めてで珍しかったので2000スム=2ドル=240円で30個ほど購入。
(翌朝、朝食時に皆で分けて食べる。甘くて美味しかった。)
休憩後ウズベキスタンでの初めての食事になる。ホテルでの夕食はウズベク風で味は私には合わず、ほとんど残してしまった。
メニューはドレッシング無しの山盛りニンジンの千切り、ナスと肉の炒め物(味がイマイチ)、濃い紫ビートの千切り、トマト、きゅうり、ヨーグルトなどで、
これからの不動の定番料理でした。
飲み物はフレッシュジュースのある時はりんご、オレンジ、アンズなど、とても濃厚で美味しかった。
1000スムから3000スムの間。ビールはロシア製が好評でウズベク製は不評でした。3000スム(街では600スム)
2003.7.19
ホテルの朝食は西洋式ブッフェ。ハム、ソーセージチーズ、卵、コーヒー、紅茶など。
タシケントからサマルカンドに向かいます。途中、例の青空トイレ2回。男は右に女は左にという奴です。場所は小さな丘や林のある所を選んでいたようです。麦畑に向かって立ち○
○○した後、アスカルが作物に向かってすると怒られますよって、確かに非常識な事をしてしまった。反省!!
車窓には沙漠ばかりと思っていたのに、牛、羊、ヤギも多く、ヒマワリがちょうど盛りで綺麗、綿花畑の緑が延々とつながる、ドデカイ平野のオアシス地帯だと実感。
やっと岩山が現れそこを越えるとまたサマルカンドの平野が広がり同じ風景が続いていた。
サマルカンドに到着、アフラシャブパレスホテルに入る。プール付きの良いホテルです。
サマルカンド、何と言ってもハイライトはレギスタン広場の3つのメドレセでしょう。そこで憧れのサマルカンドブルーに対面。感激!!
今回の目的の一つ、登れる物は全て登る事!なのにミナレットに登る案内が無いので少し不満でしたが、
アスカルが言うには明朝、門番のオバチャンが居ない時に警備の警官にスモールマネーを渡すと登れるらしい。
翌朝、若い女性が登ってきたと言うので私もすっ飛んで行って、警官に3ドルを握らせミナレットへ。
ペンライトを持っていって正解。暗い急階段をクルクルまわって頂上へ辿り着く。
幸せなひと時でした。(次の日から膝はガクガク、このミナレットは特別にキツカッタようだ。)
サマルカンドでは40℃でしたが風が強くしのぎ易い観光でした。
ウルグベクの天文台跡、チンギス・ハーンが完璧に破壊した旧サマルカンドの都市跡アフラシャブの荒地を見る。
「蒼き狼」でここを知っていたのでどんな風になっているのか興味深々でしたが本当にただの荒地になっていた。
近年発掘して綺麗な壁画が残っていたのが奇跡のようです。
夕食は民家でと言っても50人は楽に入れるレストランのようなお宅でいつもの食事内容でした。
私の部屋はクーラーから水が染み出て床とソファーにカビらしきものが..。
気持ち悪いので翌日は替えてもらいました。
2003.7.20
チムールの生まれたシャリフサブスへ。
アク・サライと言う宮殿跡へ、今は門だけが残っているのですが、門だけでこの凄さなのだから全体が残っていたら
とてつもなく素晴しい宮殿だったんだろう。 2000スムで頂上登る。
...この時、待望の46℃を記録!!...\(^o^)/
日差しに腕を差し伸べて46℃を心ゆくまで楽しみました。
昼食は又民家で頂く。
今回は一部屋に入りきらないので二部屋に分かれた。閉めきりにしたのと人の体温も合わさって、
調子の悪いクーラーも一機では効かない。
全員が体中からものすごい汗を吹き出していた。
食事はいつもと同じ内容でしたが、意外に味付けが食べやすく皆結構食べていたのですが、ここが原因で、
ほとんどの人が経験したピーヒョロの悲劇が始まったのだと個人的には考えています。
家族は人懐こく、長女は可愛かったけど、こちらのおしゃれなのか上前歯の4本が金歯なのには驚いた。(@_@;)
この後、ウズベクの女性の「おしゃれ金歯」には沢山お目にかかりました。
サマルカンドに戻りホテルの前にあるチムールの墓「グル・エミル廟」見学。
夕食はホテルのプールサイドにて予定外の白系の小柄な美少女ダンサーによる舞踊。
座った場所が照明の逆光なので影絵を見るような幽玄なひと時、その素晴しい姿態&華麗なる踊りに
テーブルの男性は皆興奮&うっとりと見とれてしまってプールに落ちそうな気配も...。(^_^;)


