2003.7.21
サマルカンドからブハラヘ移動、pm2:00 40℃、日陰で32℃で過ごし易い。
予定ではブハラは46℃でしたが肩透かし。昼食後ブハラ王国最後のハーン、アミールの夏の離宮シトライ・モス・ホサへ。
婚礼などに欠かせない「スザニ」という刺繍された布が有名だがソビエト時代にその習慣も消えてしまったようです。
夕食は世界遺産のメドレセ内で頂く。
各部屋は何処もお土産屋さんに占領されていて、世界遺産の建物なのに、こ・こ・こんな事が
許されるのだろうか?などと言いながら今日は昨日と打って変わってオバチャンが目立つ民族舞踊を
みていた。それにしても昨日の美少女ダンサーとの違いは〜〜!
現地の怪しげで薄汚れたミネラルウォーター、美味しかったけどリサイクルされた節のある
マントウなどが目新しい食べ物、そしてまたピーヒョロの悲劇が繰り返されるのでした。
2003.7.22
日中でも34℃で過ごし易い1日。
アルク(内城)などを見学。節電中の博物館、部屋に入るまでは消灯でした。
カリヤンの塔という美しいミナレットにも登った。改めて青い空が心に沁みました。
人気のない落ち着いた雰囲気のカラーンモスクも素晴しい。
タキと呼ばれる丸屋根で覆われたバザールなどを見学、ここは両替商=ユダヤ人のバザール、絨緞屋のバザールなどと分かれて有ったらしい、旧市街のあちこちに点在していた。
またメドレセ、モスクもかなり有り、もうどれがどれだか??状態。しかも、大体のメドレセは
お土産屋さんに占領されていて無残な姿でした。
TC、ガイドが時間をとってくれて、地元のバザールをひやかす。日用品が多くあまり気を引かないが、
ケバブのニオイが食欲をそそる。でも、お腹の為に我慢我慢。食料品売り場ではケーキを売っていた
おばちゃんが中も写せと言ってくれた。ここの国で初めて魚(20cm位の燻製)を目撃した。
イスマイール・サマニ廟は砂に埋もれていてモンゴルの破壊を免れた数少ない建造物。
廟を3回廻ると願いが叶うと聞き、また一番乗りで廻って願い事をした。
その後は旧市街の住宅地にある、4つのミナレットを持つ小ぶりで可愛いモスクへ案内してもらった。
ホテルに着いたがS♂さんが絨緞を見ないかと誘ってくれたので、S♀さんとアスカルとで絨緞屋さんへ行く。
ウズベクの絨緞はウールが主で作りは実用的、シルクの製品も質は良く無さそうでした。
ラクダの毛で出来ている絨緞を珍しいと言ってS♂さんが買った。120x80位で250ドル。
夕食はホテル、今日は私の誕生日なので旅行会社から全員にワインが振舞われた。
下戸の私はジュースの方が良かったな〜!でも、感謝!!
2003.7.23
am7:00 ブハラ発 キジルクム砂漠をひたすら走りヒワへ
途中、スナネズミ発見。アスカルに脅かされたサソリや1.5mのトカゲはいなかったが10cm程のトカゲを
発見。♀さんの差し入れのメロンの甘かった事。この美味しさは忘れられない。これを味わうために
この国に来たんだと思う。
シルクロードのテーマ、キタローのテープを聴きながら砂漠を走り続けた。
途中タジキスタン?領のダムになっているアムダリア川を渡りpm2:00にヒワ着。ヒワのイチャン・カラ
(内城)はすべて世界遺産ですが、私の泊まるホテルはイチャン・カラのメドレセ!世界遺産の中に
、しかも、神学校に泊まることになってます。窓の無い1号室。穴倉のような部屋、ベッドの頭の上に
何故か水道の蛇口が出ている。水もお湯も時間制でその時以外は出ないとの事。
お湯は最初は赤サビと共におもいっきりブシュブシュと飛び散る。服に付いたら落ちないので
裸になろうと覚悟して栓をひねった。(他人には見せられないフリ○○)
pm3:30 イチャン・カラ徒歩観光。まずはイチャン・カラの全景が見ることの出来るテラスに上がる。
そこらじゅうが見所ですが、何処も同じに見えてくる。未完のミナレットはホテルのミナレット、傾いた
ミナレットは人気がないので1ドル、もう一つは2ドルでこれでミナレットは制覇した。
夜は総額20ドルで7人が出演する民族舞踊をみる。
ここらでこの辺の物価が怪しくなるのだが...。
夜は穴倉が怖いので薬を飲んで素早く就寝。翌日♀から零れる様な星空であった事を聞き後悔した。
ヒワでは嫁入った女性は早朝から掃き掃除をする習慣があり、イチャン・カラはゴミ一つ無い清潔なひっそりとした街でした。
2003.7.24
ヒワからバスでウルゲンチへ ウルゲンチからタシケントへ今は珍しい双発のプロペラ機で移動。
タシケントでpm1:00久しぶりに食べられる食事、中華料理。店員はウズベク、ロシア、
朝鮮系など入り乱れていて目が白黒した。
タシケントの市内観光後、時間が余ったので大木や池のある公園に入る。濁った水の池では
子供たちや大人も泳いで歓声を上げていた。地元の人がうろつくヘンな外人の私たちを観察していた。
pm9:40 空路帰国の途へ
pm10:20エアポケットに突入!ギャ〜ギィヤ〜!という悲鳴と共にそこら中に荷物が飛び交った。
食事の支度をしていた客室乗務員は飲み物を撒き散らして床はベトベト。驚くことに帰国まで、
機長からのコメントは一切無かった。さすがはウズベキスタン航空!!あっぱれ!!
2003.7.25
am9:00 無事、成田着。私の憧れのサマルカンドはこうして幕を閉じました。
end
