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私はどうしてタバコをやめたか
または、どうしてやめられたか

猪股和雄

1.“ドクターストップ”

 私は2001年10月に禁煙を始めた。

 8月中旬のある日、市役所に日赤の献血車が来た。
たまたま午前中に市役所に行っていた私は、いつものように献血をしようと受け付けに並び、医者の前に座ったのであったが、私の血圧を計った医者が聴診器をはずして私を見、こう言ったものだ。
「あんたね。こんな所にいる場合じゃないよ。すぐに医者に行きなさい。血圧が上が180、下が120だ。この場で倒れてもおかしくないよ」と。


 私はその日までに80回の献血をしていて、そのたびに医者から「血圧が少し高いですね。下が90ある」と言われてはいたが、いつものことだったので気にもしていなかった。
自覚症状は全くなかった。
ただ、私の家系は高血圧と脳疾患で倒れた人が多い。
母が50代で脳内出血で倒れ、今は特別養護老人ホームに入所している。
母のすぐ下の弟、父の弟も脳梗塞で倒れ寝たきりになり亡くなった。


 今この場で倒れてもおかしくない」とまで言われて、私は少々あせったのだが、それでもいろいろな用事をすませて、その日の夕方、循環器科で市内で知られていた医者に行った。
最初は笑い話みたいだった。
その医者は私の話を聞いて、「120じゃ別に高いわけでもないでしょう」と言ったものだ。
私が「いえ、下が120だと言われたので…」と話すと、「それは大変だ」と言いながら血圧を測ってくれた。
少し下がってはいたが、上が174、下が114だった。
すぐに血圧降下剤や鎮静剤を処方してくれて、始めは1週間後に、その後は2週間置きに通院することになった。


 9月末、2、3回くらい通い、薬を1か月ほど飲み続けて血圧もやっと落ちついてきたが、タバコをやめるように言われたのはその頃だった。
医者は患者に対して、最初からいろんなプレッシャーはかけないものらしい。
その時も、けっして「ムリに」という感じではなくて、「薬で血圧が落ちついてきたから、タバコをやめたらもっと安定するんだが」といったような言い方だったようだ。
タバコと、体重を減らすこと、塩分摂取を減らすこと、それと何か運動をするように言われたように記憶している。


 だがこの時点ではまだ私は、どれもやる気はなかった。いや、とてもムリだと思いこんでいた。

2.喫煙歴35年

 私の喫煙歴は35年である。
最初は高校生の時、興味半分と、その頃は“大人になったらタバコを吸うのはあたりまえ”“高校生はもう大人だ”という感じだった。
もっとも金がなかったし、隠れながら、1週間で1箱くらいではなかったかと思う。
浪人、そして学生の頃はおおっぴらに吸ったが、やっぱり金がなかったので1日10本くらいだったか。
就職してからはずっと、ハイライトを1日1箱、20本くらいのペースで吸い続けてきた。
ハイライトも、1日当たりの本数も30年来、変わることはなかった。


 タバコ喫みならだれでもそうだが、せいぜいがまわりの人に気を遣いさえすればいいと考えていた。
一応、女性や子どものいる場所では吸わない、灰皿のない家や場所では吸わないことを最低限のモラルとしてきた。
自宅では書斎の中だけが喫煙室だったが、できるだけベランダで吸うように心がけてはいた。
しかしそれは、今思い起こしてみれば灰皿がある場所で、女性や子どもが“近くに”いさえしなければ遠慮なしに吸っていたことを意味する。
私も傲慢なタバコ喫みの一人であったわけだ。


 一応はタバコの害に関する本なども読んではいたが、自分自身の健康に悪いとも思わなかった。
朝起きるとのどがいがらっぽい感じがしてすぐに痰が出る。痰は黄色か、最近は黒っぽかったりもした。
歯を磨きながら何度も痰を吐いたものだ。
書斎の机や天井が何となく黒っぽくなっていて、パソコンの画面が汚れて見えにくくなって、ティッシュで拭くと明らかにタバコのヤニがとれたりしても、これがそれほど健康に悪いとも思わなかった。

 ただ、結婚してしばらくは妻がいやがるので、本数を減らしていたことはある。
1日10本くらいまで減らしたのが最高記録だったが、議会の会議が長引いて深夜議会となったときに、30本くらい吸ったのをきっかけに元に戻ってしまった。
「家の中で吸わなければいいだろう。ベランダくらいは勘弁してもらおう」と開き直ったものだ。
1度だけ、8年くらい前、風邪をひいてレントゲンを撮ったときに「肺ガンの疑い」を指摘されて、がんセンターに精密検査に行ったことがある。この時はさすがに2週間ほど「禁煙」したものだが、“無実”となったらまたすぐに元通りに吸い始めた。

3.“本気で禁煙”

 さて、医者から「禁煙」を奨められても、しかし30年の喫煙歴を捨ててすぐに「わかりました」というわけにもいかない。
しかも9月はちょうど定例議会が開かれていて、「議会の会議がある間はストレスもたまるし、考えをまとめるにもタバコを手放すわけにはいかない」という思いもあった。
要するに、禁煙するにしても何とか先送りしたいということなのだが、自分なりに「10月になったら禁煙する」と決めた。


 10月1日、「禁煙補助剤・ニコレット」のお試し版のいちばん小さな箱(24個入り、2100円)を買ってきて、夕食後、その説明を何度も何度も読み返した。
 「ニコレット」は、その年の9月に一般に発売され、薬局やドラッグストアで買えるようになったばかりだった。
ニコチンを含有し、噛むことによって、禁煙に伴うイライラ・集中困難・落ち着かないなどの症状を解消し、ムリにではなく自然に禁煙することができるという謳い文句で注目を集めていた。


私は半信半疑で、それでも「薬屋さんで売っているんだから本当かも知れない」という感じだった。
本当は、医師にニコチンパッチかニコチンガムを処方してもらえばよかったのだが、医者に頼んでそれでやめられなかったら恥ずかしいという思いもあった。
失敗するにしても成功するにしても、一人でこっそりと“禁煙”に挑戦してみたかった。

 10月2日に主な会議が終わって、その晩、残りのタバコをすべて吸い尽くした。

 3日から「禁煙」に入った。


 いつもだったら、朝、起きてすぐに1本吸うのだが、この日はさすがに少しはガマンした。
しかしすぐに、タバコの欲求がおそってくる。それで、起きて30分後にニコレットを一つ、封を開けて口に入れた。
噛んでみる。味も素っ気もなく、甘さの抜けたガムを噛んでいるようだった。


 それでともかく、何とかタバコを吸わないで切り抜ける。
説明書きには、30分から60分くらいかけて噛む、と書いてある。
確かに、1時間くらいはしのぐことができた。朝食後、またタバコの欲求が突き上げてくる。
少しはガマンして、また、一つを口に含む。
そうして、午前中は家で原稿書きなどの仕事をしていて、4つくらいのガムをかんでかろうじてタバコを吸わないで切り抜けた。
そうして、この日は、説明に「6〜12個」と書いてある上限の12個のニコチンガムをかんだ。こうして、最初の一週間、1日12個のニコチンガムで過ごすことができた。

4.タバコ、そしてニコチンガムとは何だったのか

 最初の1週間は夢中だった。

 2週目頃から、タバコを吸いたいという欲求がどのように解消されるのか、ニコチンガムをかんでどういう心理状態になるかについて、少しずつ自己分析できる余裕が生まれててきた。

 それは、タバコとは何なのか、ニコチンガムとは何なのか、自分が今まで何にとらわれていたのかを、まざまざと知らされることになる、決定的な経験であった。

 タバコを吸いたくなる。…少しガマンする。…手が無意識に胸ポケットを探ってタバコを探し始める。…ハッと気がついて、ニコチンガムを一つ、口に入れる。…そうするとどうなるか。
…“タバコを吸いたい”という気持ちが、スーッと消えていくのだ

 しばらくはタバコを吸いたいという気持ちが出てこない。
そして、また1時間後、頭の中をタバコの欲求が占めてきて、タバコ以外考えられなくなってきたとき、またニコチンガムをかむと、頭の中からタバコの影がなくなってしまうのである。
あれほどタバコを吸いたいと思っていた感情が、なくなっていることに気がつくのだ。

 “これはどういうことだ”。

 しばらく考えてやっと気がついたことがある。

 この1週間というもの、“タバコを吸いたい”という欲求が断続的に私を襲い続けているのだが、しかし実際には、タバコを吸うことによってではなく、ニコチンガムをかむことによってその欲求は解消されているのである。
ということは、私のタバコを吸いたいという欲求は、喫煙行為に対する欲求ではなくて、ニコチンを摂取したいという欲求だったことになる。
タバコの欲求をガムで紛らわせているわけではない。
それはタバコに対する欲求を、ニコチンを体内に入れることによって満たしていることになるではないか。
つまり、私が求めていたものは、あの煙を吸い込んだ時の爽快感ではなくて、ニコチンそのものだった。

 そこまで思い至ったとき、愕然としたものだ。
私はニコチンという薬物の中毒だったということに、今さらながらやっと気付いたのだ。
私が執着していたものは、タバコでなくても、ニコチンさえあればよかったということだったのか。

 もう一つ、思い知らされたことがある。
ニコチンガムをかみ続けていると唾液が出てくる。
それとともに猛烈な苦みを感じることもあった。
何となく唾液を飲み込むと軽い吐き気さえした。
もう一度、説明書を読むと、『辛みや刺激感を感じたらかむのを止めて、ほほの内側などに寄せて休む』とある。
また、唾液が出てきたら飲み込まないようにとも書いてある。
苦みや刺激はニコチンそのもので、唾液にもニコチンが溶けているので、それを飲み込んで胃から摂取するのは避けた方がいいということらしい。
つまり、このガムに含まれているニコチンは体によくない“毒物”か、あるいは毒物に近いものらしいということである。
私はこれまで、こんな吐き気さえ催す、気持ちが悪くなるようなものを体に取り込みながら、爽快感を味わってきたということになる。

 この頃はまだ、時々、「タバコを吸いたい」という猛烈な欲求(それは渇望といってもいい)が突き上げてきて、頭の中をすべてタバコの欲求が占領してしまうような状態にもなることがあった。
そのせいもあって、私の内にはまだ、「やめたい。けれど、やめられるかな。ムリじゃないかな」という気持ちが交互に襲ってきていた。まだまだやめられるという自信もなく、やめるぞという確信までもつことはできなかった。

 しかし1か月がたって次第にニコチンガムの何たるか、そしてタバコをなぜ吸いたいと思うのかがわかってきたとき、私は本気で「タバコをやめよう」と思うようになったのである。

5.順調(?)に禁煙

 12個のガムで1日を切り抜けたのに気をよくして、2日目に、96個入りのいちばん大きな箱を買ってきた。
最初の1週間は1時間に1個ずつ、1日に12個くらいずつかんだ。
その後、我慢する時間を少し長くしたりもしてみたが、起きている時間が長いと逆に13個、14個と増えたりもした。
どうしても1日12個より減らすことはできなかった。

 説明書には、「禁煙になれてきたら(1ヶ月前後)、1週間ごとに1日の使用個数を1〜2個ずつ減らす」と書いてあるので、これに素直に従い、ムリに減らすことはしないことにした。

 そうして、毎日、ニコチンガムを10個くらいポケットに入れて出かけたのだが、“危機”は突然やってくる。

 1回目は、ある日、市役所に行って会議の休憩時間にポケットを探って「ガムがない」ことに気付いたときだ。
本当に冷や汗が出てきた。
午前中の3時間、我慢して我慢して、昼休みに入るやいなや、昼飯も取らずに家に直行してニコチンガムを口に放り込んだものだ。

 2回目は深刻だった。
定例議会最終日の10月18日、いつもより多く15個のガムをポケットに入れて議会に臨んだのだが、夕方になっても議会が終わらない。
夜の8時に最後のガムを口に入れた。
もうない。
しかし会議は10時になっても終わらない。
「早く終われ。早く終われ」と祈るような思い。

 会議が長引いているのは当局提出の議案に大きな問題点があり、それに対する議会側の要求にまともに答えようとしない市長に責任があるのだが、追及しているのは私の方だ。
ニコチンガムが切れたからといって、追及をゆるめるわけにはいかない。
また、ガムが切れて早く終わってほしいという私の都合を、当局側に知られるわけにはいかない。
弱みを知られたら足元を見られる。
追及を強めれば強めるほど議会は長引く。

 ニコチンの切迫した欲求は私をせっついてくる。
この時は本当に、禁煙を「いったん中止」しようかと思った。
“緊急事態だから仕方がない”と合理化して自分を納得させようとした。
市役所1階の自動販売機でタバコを買ってこよう、吸ってしまおうと思った。
最後のガムのかみカスを捨てずに、いつまでも口の中に入れたまま気を紛らわせて、ようやく午前1時過ぎの閉会まで持ちこたえ、まっすぐに家に帰りついて新しいニコチンガムを口に入れて“ホッ”としたものだ。

 いったんでかけたら何が起こるかわからない。
でかける時は財布と免許証、ニコチンガムは必需品だ。
しかも多めに、20個くらいのガムを必ずポケットに入れることにした。

 説明書通りに1か月が過ぎて、11月からガムを減らすことにした。
これまで1時間に1個の割合でガムをかんでいたのだが、時間をなるべく延ばして1時間半から2時間我慢してみる。
始めはムリかなと思いながらだったが、“できた”。
2時間まで延ばしてもだいじょうぶだった。
そして、1週間ごとに1〜2個を減らしていく。
11月の1週目は10個まで減らしてだいじょうぶだった。
2週目は8個でだいじょうぶ。
3週目は、6個。
しかしここまで来るとさすがに2個いっぺんには減らせなくって、4週目は5個。
そして苦しい。
11月も終わりに近づいてまだ1日4〜5個で足踏みしていた。

 一度、夢を見た。
朝起きてすぐにタバコを吸っている場面である。
「あれ? やっちゃった。おかしいな」と思って目がさめた。

 12月、最終段階に入った。
1日4個に減らす。
次の週は3個、そして2個。
驚くほど順調だった。
先月までの苦労は何だったのかと思えるほどである。
もう、私の体からニコチンが抜けて、中毒症状を脱しているのかもしれない。
第3週、クリスマスも無事すぎた。
そして翌週の月曜日、私はいよいよニコチンガムをゼロにすることにした。

 “さあ、今日はガムなしで過ごすぞ。だいじょうぶだ”。

 そしてその日を境に、私はタバコとも、ニコチンガムとも、永遠に別れることができたのである。
 不思議なことに、それ以降、“タバコを吸いたい”という気持ちは湧いてこない。

6.タバコをやめて、思うこと

 禁煙してから、5年半が経過した。

 その後の体調の変化である。

 まず血圧は上が120、下が70〜80と安定している。

 朝、起きてすぐに、そして歯磨きの時にいつも感じていた吐き気はなくなった。

 黒っぽい痰と、鼻をかんだときにヤニだか煤だか、黒い粒子がティッシュに着くのもなくなった。

 食欲は明らかに増した。

 反面、禁煙しただれもが言うことだが、体重は増えた。

 タバコを吸っていた当時、慎重165センチに対し、体重は65キロを上回ることはなかったが、最高72キロにまで増えた。

 今度は医者から、「体重を減らすように」言われて、減量の努力をして、66キロを前後している。


 よく言われるように、タバコの煙がイヤになったことはない。

 市役所で、あるいは駅のホームの喫煙場所の近くを歩いていて、タバコの煙が流れてきて、「いやな匂い」と思ったことはなく、むしろ、懐かしささえ感じるのだ。

 しかし、そのタバコの煙には敏感だ。

 と同時に、タバコを吸わない人、タバコをきらいな人が、タバコの匂いに敏感に反応するのも理解できるような気がする。

 妻や子どもといっしょにレストランに入って、たまたま禁煙席の近くに座ったとき、顔をしかめる気持ちはよくわかるのだ。

 それで、議会の一般質問で、何度か、「公共の場での分煙の徹底」について求めてきた。

 他の議員からは、「自分がやめたからって、よく言うよ」「言い過ぎじゃないか」などとたびたび冷やかされるのだが、逆に、自分がやめたからこそ、吸わない人に煙を吸わせない、分煙の徹底を主張できると思うのだ。

 自分がタバコを吸い続けながらでは説得力はないし、もともと吸わない人が言っても、やっぱり喫煙常習者からは相手にされなかったりする。

 ちなみに、現在の市議会議員25名の中で、喫煙者は6〜7人、市の管理職の中では10人未満だろうか。

 その人たちからすれば、猪股は裏切り者だろうが、別に喫煙を続けている人たちに恨みはない。吸わない人に対する加害者になるな、ということだけだ。

 健康増進法の発効と、直接には私の質問も役立ったと思っているのだが、市役所の分煙と喫煙場所の制限、小中学校や保健センターでは敷地内禁煙、公民館やふれあいセンター、集会施設等では施設内禁煙を徹底することになった。



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