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久喜市議会議員 いのまた和雄
市政報告『声と眼』 696号
2025年 8月 25日


696号ファイル

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市議会ハラスメント防止条例で合意

 市議会代表者会議で、「ハラスメント防止条例」の制定に向けて協議を続けています。
市長は6月に「久喜市職員ハラスメント撲滅宣言」を行いましたが、市議会では議員によるハラスメントの防止を目的に、執行部とは別に条例を策定します。
8月18日の代表者会議で、条例案の骨子がほぼ固まりました。

 条例の検討は、議長が事務局職員に条例の案文を作らせて、それをもとにして各会派が意見を出し合う形で進められました。
私たちは本来は、代表者会議で協議をして条例の骨子についてある程度の合意形成をしてから、条文の策定に入るべきだと考えていましたが、事前にそうした議論は行われませんでした。
条例の制定の意義を記した「前文」や条例の目的規程などについても、市議会の各会派や議員間で共通認識を作るための議論が不十分であることは否めません。
結局、事務局職員が用意した条例の案文を踏襲しながら、文章を整理して策定が進められてきました。

 ハラスメントの「定義」は、事務局が作った原案を大幅に変更することになりました。
事務局案ではそれぞれのハラスメントの定義を細かく書き込んでいたものの、条文が整理されていないと思われる箇所もありました。
また各種のハラスメントの概念を、すべて網羅することは困難です。
代表者会議で協議した結果、条例案では『パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、妊娠・出産・育児または介護に関するハラスメント、その他のハラスメントを言う』と簡潔に定義することでまとまりました。

言論・表現の自由 制限は許されない

 事務局原案では、わざわざ「ソーシャルメディアハラスメント」という項目を設けて、『SNSやインターネットなどの投稿や書き込みにより、相手方に対して精神的な苦痛を与え、相手方の人格もしくは尊厳もしくは職場環境を害するものをいう』と定義していました。
しかしこれではインターネット上で、他の議員の発言や執行部を批判したら、それをハラスメントだと決めつけて排除されかねません。
インターネットでもチラシでも、誹謗中傷やデマによる侮辱を除き、公益的な目的による正当な批判や論評を制限することは認められません。

 一般に「ソーシャルメディアハラスメント」というのは、「いいね」や「ともだち」の強要、SNSへの参加の強要や、SNS上でプライバシーを侵害する行為などをさします。
事務局原案の定義ではいわゆる「ソーハラ」を拡大解釈して、憲法で保障された言論・表現の自由を侵害するおそれがあります。
代表者会議で協議した結果、「ソーハラ」に関する原案の定義は削除することになりました。

申立て窓口と調査・対応協議の公平性

 事務局が作った原案では、議会事務局に『ハラスメント相談窓口』を設置することになっていましたが、事務局の職員が相談や申し立てを受けるのではなく、議長に申し立てることになりました。
また原案では、ハラスメントの申し立てに対して『正副議長と議会運営委員会の正副委員長』が調査に当たることとされていました。
しかしこれでは議会の多数派(一部の会派)の議員だけで調査することになってしまいます。
少数会派の議員に対する攻撃手段に使われるおそれもあるため、これは絶対に認められません。
ハラスメントの申し立てがあった場合は、『各会派の代表者からなる調査委員会または第三者委員会を設置して調査』することで合意しました。
会派に関係なく、ハラスメントに対しては、議長が全会派の代表者を招集して対応を協議することになります。

ハラスメントが確認された場合、議長はその議員に対して、『指導、助言、注意』を行い、『重大事案と認められる場合は、氏名を公表するとともに必要な措置を講ずる』と定めることになりました。

★市議会のハラスメント防止条例案は、これから法令の条文として適正かどうかの審査を経た後、早ければ月市議会に上程される予定です。
その後、条文の解釈や運用指針などの検討が行われます。★


小中学校校舎改修の見通しを調査

 8月5日、教育環境委員会の所管事務調査で、これまで先送りされてきた小中学校の外壁や屋上防水などの改修計画を明らかにするよう求めました。

-外壁改修完了見通しは来年度以降に-

【改修済み】 清久小 本町小 久喜東小 久喜北小 菖蒲小 小林小 三箇小 久喜南中 太東中 鷲宮中 鷲宮東中

【2025年度 工事中】 久喜小 太田小 江面小 栢間小 栗橋西小 桜田小 砂原小 久喜中 久喜東中 菖蒲中 栗橋東中 【26年度完了予定】青葉小 栗橋西中

【2025年度設計 26年度以降に工事完了】 青毛小 菖蒲東小 栗橋南小 栗橋小 東鷲宮小 鷲宮西中
 教育部は、これらの学校は「26年度に工事予定」と言っていますが、予算が付くのかが問題です。

-屋上防水改修工事の見通しは不明-

【改修済み】 本町小 栗橋小 久喜中 太東中 鷲宮東中

【2025年度工事中】 桜田小

【2025年度設計】 太田小 清久小 久喜東小 久喜北小菖蒲小 小林小 三箇小 栗橋西小 久喜南中 久喜東中菖蒲中 鷲宮中 【工事完了は26年度以降】鷲宮西中
 教育部では25年度中に改修工事を行うよう、補正予算を要求していますが、まだ決まっていません。

【未着手】 久喜小 青葉小 青毛小 江面小 栢間小 菖蒲東小 栗橋南小 砂原小 東鷲宮小 栗橋東中 栗橋西中 教育部は「25年度中に設計予定」と言っていますが、まだ予算が付いていません。
これまで法定点検で、多くの学校で屋上防水劣化などが指摘されていて、このままでは以前のように雨漏りが続出することになります。

 教育部の説明には「○年度以降」「予定」という表現が多く、これではいつになるかわかりません。

各小中学校から、51件の改修要望

 今年5月に、各小中学校から、51件の修繕要望が出されています。
 その内の5件は「対応済み」または「対応中」です。
 教育部としては、残りの内の27件については2025年度中に対応する予定で、財政を所管している総合政策部に対して、2025年度中の修繕に向けて予算措置を求めています。

市職員のハラスメントアンケート  スミ塗り隠蔽に「不服審査請求」

 市は昨年3月と11月に市職員に対して、職場でのハラスメントに関するアンケート調査を実施しています。
アンケート調査結果の情報公開を求めた結果、3月のアンケートでは回答した職員の18.9%、11月では13.8%の職員が「ハラスメント行為を受けたことがある」と回答していることがわかりました。

 しかし情報公開された文書では、アンケート回答の集計数字だけは公表されたものの、自由記述欄はほとんど真っ黒の墨塗り状態でした。
ハラスメントの内容も非公開、さらに『どのような相談窓口があれば相談しやすいか』『ハラスメントのない職場にするには何が必要か』などの回答もすべて、42ページにわたって完全墨塗りにされています。

 アンケート結果の公開で、個人情報に配慮するのは当然ですが、個人が特定されたり推測されるおそれがない記述まで、すべての回答を真っ黒に墨塗りするのはやり過ぎです。
ハラスメントの実態を秘密にして隠すのではなく、市役所で何が起こっているのかを明らかにした上で、今後の対応策についても市民に知らせるべきではないでしょうか。

 こんな事実の隠蔽、秘密主義は認められないので、私は8月に行政不服審査請求を提出しました。

11月のアンケート集計結果の集計
(『声と眼』691号で一部既報)

対象職員 979人、回答数754人(77.0%)
◇ハラスメント行為を受けたことがある 104人(13.8%)、ない 645人(85.5%)
◇内容は、パワハラ 77人(74.0%)、セクハラ 9人(8.7%)、妊娠・出産・育児または介護に関するハラスメント 4人(3.8%)、モラハラ 40人(38.5%)
◇身体的な攻撃4人(5.2%)、精神的な攻撃 72人(93.5%)、人間関係の切り離し 10人(13.0%)、過大な要求 20人(26.0%)、過小な要求 3人(3.9%)、個の侵害 17人(22.1%)
◇行為者は、部長・副部長級職員 15人(14.4%)、課長級 29人(27.9%)、課長補佐級 26人(25.0%)、係長級 20人(19.2%)、議員 5人(4.8%)、それ以外 46人(44.2%)

市職員からハラスメント申立てはなし!?

 市は6月に人事課内に「職員健康支援室」を設けて保健師がハラスメント相談を受けています。
アンケートでは「人事課の相談窓口に相談しようと思うか」という設問もありますが、職員の回答は、《相談しようと思う 348人(46.2%)、相談しにくい 333人(44.2%)、相談したくない 54人(7.2%)》でした。

 実際にはこの健康支援室に、ハラスメントの訴えや申し立てはないようです。
現実に100人以上の職員がハラスメントを受けたと回答しているのに、なぜ訴えがないのでしょうか。
職員が訴えや改善申し立てを行うことができないとしたら、久喜市のハラスメント対応自体に問題があるのではないでしょうか。

★6月1日に市長名で「久喜市職員ハラスメント撲滅宣言」を行ったが、『広報くき』にも市のホームページの新着・注目情報にも出ていない。
わざわざ検索をかけないと探せないのは、内部だけの宣言で、市民には関係ないという判断か。★







久喜市議会議員 いのまた和雄
市政報告『声と眼』 695号
2025年 8月 4日


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9月定例市議会の日程 

私たちは政務活動費を何に使ったか

  久喜市議会では4半期ごとに1人1か月3万円の政務活動費が各会派に交付され、支出報告書と領収書の提出が義務付けられています。
市民の政治を進める会(猪股・川辺・田村)の4~6月分の使途報告と明細です。


【6月市議会】 小中学校 給食費無償化を来年実施へ

 政府は来年から小学校の給食費の無償化を実施する方針です。
今のところ何月から実施するかも決まっておらず、中学校の給食無償化は先送りする計画です。
久喜市でも国の方針を踏襲して、小学校だけの給食費無償化を実施する方針を明らかにしてきました。
ところが6月市議会の一般質問の答弁で、市長が突然、これまでの方針を変更して、小中学校同時の無償化を進めていく考えを明らかにしました。

 6月13日の一般質問で、杉野議員(共産党)が、小中学校の学校給食完全無償化を同時に実施するよう求めたのに対し、市長が『同じ義務教育で対応が異なるのは大きな課題だ。小中学校で異なる対応になるのを解消するため、中学校の給食費も無償化に向けて努力する』と答弁しました。
現在の中学校の給食費保護者負担は約1億8000万円ですが、市でその財源を確保する考えも示しました。
これは市長が久喜市の小中学校すべての学校給食費を同時に無償化すると約束したものと思われます。
ただし国と同様に、久喜市で来年の何月から実施するのかは明確にしていません。

事前通告なしのルール違反 斎藤議員

 この日、杉野議員の質問の前に登壇した斎藤議員(公明党)は、『小学校から段階的に始まる無償化の方針を踏まえ、中学校への拡大について、今後の検討や実施時期の見通しを伺う』という質問通告を出していました。
ところがその質問の最中に唐突に、『質問通告にはありませんが、小中学校同時に無償化を進めるべきで、市長の答弁をいただきたい』と質問内容を変更しました。
これは後の杉野議員が『小中学校同時の無償化』を求める質問通告をしているのを知って、その質問を自分が先にやってしまおうとしたらしい。

★久喜市議会では一般質問は事前通告制で、通告していない質問はできないルールだ。
斎藤議員は『小中学校同時の給食無償化』を自分の手柄にしたくて、わざと『通告なしの質問』というルール違反を強行したのだろうか。★

【6月市議会】 東町集会所などの除却撤回を諮問へ

 6月市議会で、公共施設個別施設計画検討委員会を設置するための予算が可決されました。

 市は公共施設の縮小計画で、東町集会所の廃止を決定していましたが、利用者や地元住民の反対で、方針を転換し、市長が今後も存続させると約束しました。
今後、検討委員会に個別施設計画の変更を諮問し、市議会に提案することになります。
市民からは今年中に結論を出すように求められていますが、市長では来年の市長選挙後まで先送りする方針です。

さらに本町集会所でも利用者や住民から存続の要求が出ていて、その他の施設についても計画の変更を検討していくことになりそうです。

久喜看護学校が閉校 跡地はどうなる

   今年、理科大跡地にさいたま看護専門学校が移転・開校しました。
東京理科大が2016年に全面撤退した後、田中市長時代に生涯学習や子育て支援センターとして活用するため5億円をかけて改修を実施しました。
梅田市長に変わってから、民間活力を導入する計画に転換したものの、民間企業の参加はありませんでした。
結局、土地と建物を売却しようとしましたが、買い手が付かず、紆余曲折の末に最後はさいたま看護専門学校(当時はさいたま市)に無償譲渡しました。

 さいたま看護専門学校の開校に伴い、久喜看護専門学校(本町5丁目・中央保健センター敷地内)は閉校することになりました。
久喜看護学校は、市が中央保健センターの駐車場の一部だった約1000㎡の土地を南埼玉郡医師会に有償で貸付けて、1987年に設立されました。
医師会との契約では土地を返還する際には原状(建物は撤去)に復することになっていましたが、医師会との協議の結果、建物をそのままにして返還を受けることになりました。

 市は今後、土地と建物を他の民間事業者などに売却する方針ですが、専用駐車場も狭く、はたして買い手が見つかるのか、無償にしたとしても引き受け手があるかどうか、疑問の声も出ています。
市では一方で公共施設の縮小計画を進めながら、数年前には民間から将棋会館の寄付を引き受けたり、今度は看護学校校舎も無償譲渡を受けて、またまた大きな余剰財産を抱え込んでしまったかっこうです。


私の父は靖国神社へは行かなかった

 今年も8月15日、敗戦の日がやってきます。

 古いアルバムに、父の軍隊時代の写真が3枚だけ残されています。
七つボタンの制服の写真の裏には「20年 予科練」、「特攻隊の覚悟新たに 遺影用として」とあります。
--父に、写真がこれだけしかないのかと聞いたことがありますが、父は軍隊から帰る時にすべて焼いてしまったのだと答えました。

 戦争が終わって、『部隊は解散するから、各自勝手に帰れ』と命令が出たのだと言います。
もしアメリカ(軍)に捕まって、特攻隊だとわかったらその場で殺されるかもしれないから、書類はすべて焼くように言われて、兵隊みんなで部隊の書類や身元のわかるものもすべて焼いて、逃げてきたのだと話してくれました。
3枚の写真は、遺影用にと実家へ送っておいたので残っていたのだそうです。

 父はめったに戦争の話をしませんでしたが、酒を酌み交わしながら語ってくれたことがありました。
 『俺は特攻隊だったんだけど、乗る飛行機がなくてなあ。毎日、穴掘りさせられながら、順番を待ってたんだ』『終戦があと1か月遅かったら、自分はこの世にはいられなかったんだよ』『そしたらおまえたち(私と弟)も生まれてこなかったんだなあ』としみじみと話していたのを思い出します。

 当時、もう敗戦は時間の問題だということも、特攻での死が戦局にはまったく影響を与えることはないということも、わかっていたと言います。

 また何度かは、『軍隊ってとこはひでえとこだぞ』『他人(ひと)を殴って喜んでるようなヤツばっかりで、俺もさんざんやられた』、『俺は天皇のヤツにはひどい目に遭わされたんだ』とも話していました。

 だからでしょうか、父は戦後、靖国神社へ足を向けることはありませんでした。
私が小学生のころに祖父母が上京して靖国神社に参拝に行ったときも、母と私に同行させて、父は仕事を理由にして行きませんでした。

--父が、『特攻で死んでったヤツらが、あんな所(ヤスクニ)になんか、いるもんか』と、一度だけ、吐き捨てるように言ったことがありました。
その激しい口調に驚かされたことを覚えています。

★戦争が終わってから、『部隊は解散するから各自勝手に帰れ』という命令が本当だとしたら、何て無責任な軍隊だろう。
いや、混乱の中で、あり得ない話じゃないかも、と思ったりもする。★