手鏡 私のゴールデンウイーク
掲載日1996年05月28日
- 〈私のゴールデンウイーク〉 中嶋はる
年中休みの者にとっては、ゴールデンウイークといっても輝くことは何もない。「私たちのような者まで出歩くと、社会の混雑に拍車がかかる」と自分に納得させて専ら家にこもることにしている。そんな私に男の人から、「佐賀に来たのでぜひ会いたい」という電話があった。「この七十ババァに今さら会いたいという男性がいるなんて…。私もまだまだ捨てたもんじゃないな」とニンマリ。だが名前を聞いて驚いた。何と五十年前の教え子。藤崎睦生君という勧興小学校の卒業生だった。昭和二十三年六月、学校が火災で消失、彼はその時六年生だった。夏休みも返上して校舎の後始末に汗を流し、小学校最後の楽しい思い出一つなく、成章中の講堂を借りて卒業式をした子供たち。私はこの時の教え子をいつになっても忘れることはできない。彼は素晴らしい絵の才能に恵まれ、スケッチ会にはいつも特選に輝いていたが、その後の消息はわからなかった。現在立派な芸術家として、大阪府高槻市で営々と創作活動に没頭していることを聞き、いつか訪ねてぜひ会いたいと思っていた矢先だったので、夢のような五十年ぶりの再会となった。積もる話は、まるでドラマのように流れて尽きず、お互いに涙で詰まった。「芸術家は若い」というけれど、彼はまるで五十年の歳月を一気に飛び超えて来たみたいに、情熱と夢に燃えて輝いている。六十歳の青春そのものだった。「ふるさと佐賀にやがて花を咲かせたい」と言う彼の夢に心から拍手を送った。記念に残した一枚のエッチングの草花に彼の半世紀のすべてが凝縮されていた。私も彼のおかげで少しばかり輝くことができた。
(佐賀市高木瀬西)