東京告白教会の紹介―東京告白教会の志

渡辺信夫牧師に聞く

photo: Hiroshi Tokunaga

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 「東京告白教会」という名前はどういう主旨でおつけになりましたか?
40年前に無からの出発をして開拓伝道を始めた時、場所は世田谷区羽根木町でした。だから、「羽根木伝道所」と言ったのです。半年後、松原町に引っ越しました。もう「羽根木」の名は使えません。今後まだ移転することもあるから、恒久的な名前にしたいと考えました。つまり、先ずこの名は他の教会と区別する固有名詞です。日本の教会の慣例として、教会名は所在地から取るのです。しかし、今言ったように所在地が転々と変わると、土地と関係のない名前にしておかなければなりません。


 しかし、それだけではないでしょう?
仰っしゃるとおりです。他と区別するだけなら、他の教会が用いていない名が無限にあります。その中から「告白教会」を選んだのは、1934年からナチの没落までのドイツ告白教会の戦いにあやかるためです。


 ドイツから名前を借りるのはどういうわけですか?
私自身、戦争の中で青春時代を送り、戦争末期には実際に前線に出た人間ですが、戦争に出るまでは政府の戦争政策にほぼ賛成していました。何やかやと理屈をつけていましたが、妥協なのですね。しかも妥協だということに気付くまいとするズルさがありました。小さいときからクリスチャンで、クリスチャンは最も良く国に尽くすのだと教えられていて、それを疑いませんでした。それを疑う思想としてヒューマニズムがあることは知っていましたよ。けれども、ヒューマニズムは現代人の危機を知らないではないか。
まして危機にある人間を救えないではないか。キリスト教はヒューマニズムを越えなければならないのだ、と本気で考えていたのです。――この話しは別の機会にしましょうね。今は告白教会という名前の由来を話さなければなりません。 私は日本の教会の中では文字通り末席に連なる無名の青年でしたが、教会の有名な先生も私とそんなに違っていませんでした。牧師の中には私よりもっともっと時局に迎合したことを言う人がいました。
その頃のクリスチャン青年や若手の牧師の中では、バルトという神学者の書物が人気を博していました。私も御多分にもれずバルトに熱中していました。バルトはヒットラーに追放されていたことも知っていましたが、バルトの神学は日本の政治状況に対しても反対せざるを得ない要素をもつにもかかわらず、私にはそれが分かっていませんでした。
分かっていた人も極く少数いたらしいのですが、分かっていないような顔をしていました


  ドイツでは迫害があったのでしょうね? 
ええ、ありました。告白教会の牧師は逮捕されたり、軍隊に取られたり、正規の礼拝はとても守れない状況でした。


 日本の状況はヒットラーのドイツと全然違うのではないでしょうか。
もちろん違います。しかし、基本的には共通しています。国家権力が越えてはならないところを越えることがあるのです。それに対する戦いが必要です。その戦いの姿勢も共通しています。簡単に言えば、キリストこそが主だという信仰に立って、主でないものに屈服しないことです。
1930年代に世界のキリスト教会はキリストの主権のための戦いという課題を突き付けられました。ドイツでは辛うじてその課題に真剣に立ち向かう人が出ましたが、日本の教会はその戦いを全面的に回避しました。私たちはその反省に立って教会を建てて行こうとしているのです。これが東京告白教会の志であります。


渡辺信夫(わたなべ・のぶお)東京告白教会牧師
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