第15日目;慈恩寺、安楽寺、正法寺、慈光寺。 15,09,14 

  9月中旬ともなるとめっきり朝夕が寒くなり秋の訪れとなる。2003年1月に始めた坂東33か
 所巡りも12年8か月に及び、今日が最後の巡礼となった。2日間の総移動距離は465`。

  9月14日(月)自宅を朝7時に出発、横々から入り東北自動車道岩槻I/Cを経由して、最
 初の目的地、埼玉県さいたま市岩槻の慈恩寺に2時間かけて朝9時に到着。参拝後ここか
 ら一般道で32`、約50分かけて吉見町の安楽寺に到着。

  秋の涼風が気持ちよく、稲刈りが少し始まっている黄金色の田圃を左右に見ながら快適に
 走る。次の寺の正法寺までは13`30分。ここは東松山市。さしたる食べ物屋もないので、
 昼食なしで最後のときがわ町西平の慈光寺まで走る。18`、40分。

  この道沿いの通りもほとんど人の往来は見ることが出来ない。過疎地だと如実にわかる。
 若者たちはどこに行ってしまったのか。コンビニやスーパーも見つからず、多分飲み屋もパ
 チンコ屋も喫茶店もなく、若者たちが魅力を感じる街並みではない。ここに住む住民、特に
 若者は何を楽しみに生活しているのだろうか。これでは限界集落と云われても致し方ない。

  全ての寺参りを終えて一路関越道〜上信越道を通り群馬県の下仁田温泉へ行く。74`、
 1時間20分。「秘湯を守る会」に登録されている清流荘で1泊し、谷川のせせらぎを真下に
 見ながら露天風呂で疲れを癒す。明日は世界遺産の富岡製糸場を見物して帰宅する予定。

   慈恩寺・・・・天台宗、別名慈恩寺観音。本尊;千手観世音菩薩。
          寺伝によれば824年、慈覚大使の草創という。境内にある高さ15mの石造
          13重塔には僧玄奘三蔵の霊骨が納められている。欄間彫刻や天井絵は見
          応えがある。

   安楽寺・・・真言宗智山派。別名吉見観音。本尊;千手観世音菩薩。
          行基が自刻の聖観音像を岩窟に安置したのが始まりという。
          平治の乱後、この寺にかくまわれていた源範頼がこの地の領主になり寺領
          を寄進。三重塔は瀟洒で気品がある。観音堂内陣の欄間には左甚五郎作
          の彫刻「野荒らしの虎」がある。

   正法寺・・・真言宗智山派。別名岩殿観音。本尊;千手観世音菩薩。
          718年、逸海上人が岩窟に千手観音像を安置して創建されたと伝えられる。
          役行者の修験道場。古木に囲まれた観音堂まで登ると、岩壁に穴が穿たれ
          ていて、坂東、秩父、西国札所の百観音と四国八十八カ所霊場のうつし石仏
          がずらりと並んでいる。

   慈光寺・・・天台宗。本尊;千手観世音菩薩。
          寺伝によれば、673年僧慈訓が千手観音像を安置したのが始まり。平安時
          代には聖和天皇の勅願寺となる。冷気に包まれた山寺で貴重な文化財が多
          い。日本三大装飾経で国宝の「法華経一品経」をはじめ多くの工芸美術品が
          宝物殿に安置されている。鐘楼の銅鐘、木造宝塔は重文。長い石段を上る
          と観音堂があり、千手観音像が安置されている。見ごたえ充分の寺で、おそ
          らく坂東33か所の寺の中で随一の威容と宝物を誇る寺である。
          参道の途中には9基の板碑があるが、私が今まで見た中で最も大きく、彫ら
          れた文字が見事な板碑だった。葉山の文化財研究会の同好の仲間垂涎の
          板碑である。

           これで坂東33か所巡礼は最後となった。

    慈恩寺。
 住職が先客の参拝者に参拝の手順や
 御朱印帳の依頼方法など口うるさく注意
 していたので、我々も注意しながら参拝
 したが、あまり感じのいい風景ではなか
 った。教え方1つにも、人となりが自然に
 出てくるものだ。
  安楽寺の三重塔。
 女性の住職と思しき人が御朱印帳に記帳して
 くれ、「野荒らしの虎」の場所を説明してくれた
 が、本堂の内部が暗くてお目当ての「虎」はよく
 見えなかった。この寺の売り物なのにどうも
 不親切だ。
 
    正法寺。
 長い坂を上るのが難儀なので岩壁のうつ
 し石仏の参拝は残念だが割愛した。

 若い和尚の応対が洗練されていて感じが
 よく、いろいろ話が聞けた。

 1年に1度は京都の元寺に自転車で4日
 かけて行くのだそうだ。若いころには徒歩
 で京都まで行ったそうな。
  参道途中の板碑群。
 慈光寺は見事だったが、御朱印を書いてもら
 った和尚の、いかにも上から目線の物言いや、
 俗っぽい下品で商売気たっぷりの言動には辟
 易した。

  仏に仕える住職にはおのずから備わった人
 品がにじみ出なければ有難みは感じられない。

  掉尾を飾るに相応しい寺だったが、住職だけ
 は戴けないのが惜しかった。