四方山話2.”新鮮な魚”がウリの料理屋。 08,06,19 ”当地は海が近くて魚が新鮮です。” との触れ込みで立ち寄ったさる魚料理の店の話。 魚が新鮮なら客が満足する、と錯覚している店にしばしば出会う事がある。そんな店で出さ れた活き造りを見ると、可哀相に自分の骨の上にじぶんの身を乗せて、目をひん剥いて ヒクヒクさせて頭だけが生きている。 忙しそうにぞんざいに、そして自慢げに活き造りを出す女将。”俺は猫じゃねえや”といい たくなる。わさびは粉わさび。それも釣りのえさみたいな大きな団子。醤油は食卓用とかいう 小瓶の、レッテルから底までべたべたに汚れているビンに入った黒ずんだ代物。小皿には 誰かのでっかい指紋が付いていたりする。それでもご飯の米が美味ければ大抵のことは 帳消しにするけれども、こうした店に限って決まってご飯が水っぽく、すかすかした米を使っ ている。 永いことあちこち食べ歩いたり、料理を作り始めたりして思うことは、生ものは第一に新鮮。 これは決まり。 第2は調理の仕方。第3は提供の仕方だ。つまり料理人の腕と心遣い。これが駄目だと 折角の新鮮さも水の泡になる。極端な話、じゃ、取れたての魚なら丸かじりでも美味しいか。 それこそ猫になってしまう。 ”当地は海が近くて魚が新鮮です。”のセリフにだまされてはいけない。心がこもったもて なしがあって始めて客は満足する。わが身を振り返ると、幸い魚は新鮮、調理の腕はいま いちなのでせいぜい提供の仕方ぐらいは心のこもった丁寧なやり方に心がけたい。 盛り付けの工夫、魚に見合った皿の選び方、醤油やわさびなどのこだわり、配膳の工夫、 などである。料理の世界は奥が深いといわれるが、尤もな事だ。 江戸前のすし屋の話。 最近は取りたての魚をそのまま鮨だねにして客に振舞うのが当たり前になったが、昔は 生のままでは絶対に出さなかったらしい。”すし”は”酢し”とも言い、酢で締めてから具にす るのが江戸前の鮨というもので、まさかマグロまで酢で締めないだろうけれども、大抵の魚、 特に白身の魚は酢で締めて客に供すのが当たり前だったようだ。生で握るのは邪道という もので、味付けに拘わるのが職人だ。とある江戸前のすし屋の老板前が薀蓄を語ってくれ た。 食の好みは年々変化するもので、昔のやり方に拘りすぎるのもどうかと思われるが、 大事な事は、ネタとなる魚をどのように味付けしてその魚本来の最高の味を引き出すかに、 職人が日夜工夫を凝らしてきたということだ。つまりは、素材の新鮮さ、は勿論だが、料理 人の腕と心遣いが江戸前鮨職人の心意気と言うものなのだろう。 板前さんの話に”納得、納得。”と頷きながら、コハダの鮨をつまんで熱燗をもう一本リク エストした。 |