料理教室の卒業。 11,10,17 振り返ってみると、横浜西口の料理教室”ベターホーム”に通いだしたのが、 会社生活を終えた翌年平成15年(2003年)6月だった。少々暇を持て余して いたところ、やはり会社を定年退職していた元部下のS氏と散歩道でばった り会い、彼が副会長をしている町の釣りクラブに入会を勧められ、趣味を広 げたいと思っていたので喜んで入会した。 しばらくして会長さんから「釣りには5つの楽しみがある。1つは何をどこで いつ釣るか計画する楽しみ、2つめは仕掛けを作る楽しみ、3つめは釣る楽 しみ、4つめは料理する楽しみ、5つめは食べる楽しみ。」といわれ、恥ずか しくも「釣る」と「食べる」の2つの楽しみしか知らない私は、敢然として料理 教室で魚の捌き方と料理の仕方を勉強する決心をしたのであった。 「釣った魚はすべて食べてあげるのが供養である。捨てるくらいなら釣る な!」とも教えられ、以来私の釣りのモットーにしている。 かくして料理教室に月一度通い始めたが、料理教室は魚料理だけでは ない。それほど習いたくもなかった料理も習う羽目になって、とうとう8年間 も通ってしまった。のべ96回、1回で3品習うので延べ300品近く実習した ことになる。材料をアレンジすれば優に500メニューを超えるレパートリー になる。 和洋中華の基本コースから上級コース、蕎麦打ちやパン作り、特選魚料 理やおもてなし料理などの、教室の提供メニューのほとんどすべてを終了 し、あとはケーキだけを残すことになったのでようやく8年間の料理教室通 いを終了することにした。 思いがけない副産物も生まれた。近くの囲碁教室”宇宙棋院”に料理の 帰りに立ち寄り、松本教室でじっくりと囲碁の基本を勉強する機会に恵ま れた。3年前には川崎・横浜の松本教室の生徒全員ほぼ100人以上の 参加で年末合同囲碁大会が行われ、Aクラスで優勝した過去もあった。 このところ欠席がちで先生に葉書で出席を督促されることが多いがいい 思い出になった。 月一度、都会の雰囲気を味わい、田舎ボケ、海ボケの解消に努めてい たが、都会に出かける機会も少なくなるので、どんどん「葉山の田舎者」 になるのが加速していくだろう。 料理教室終了後は、溜まったレシピを開いて時々料理を楽しむことに するつもりである。レシピを見ないと料理ができない”覚えの悪いぶきっ ちょ料理人”だが、他人に食べさせるためや、見せるために始めた料理 ではないので気が楽である。 <追記> 10月6日、この日が料理教室の最終回。クロワッサンとフルーツデニ ッシュ3種。作り方と写真は省略する。沢山の先生方にお別れの挨拶を して、西口駅前に急いだ。学生時代の悪友5人、学生寮の蒼翆寮”で 青春を共にした悪友たちとの待ち合わせである。 私の作りたてのパンを皆で毒味をして批評しながら一杯飲もうという趣 向らしい。西口のビアホール”ライオン”で夕方まで楽しい語らいと少々の アルコールを楽しんだ。70歳を過ぎるとみんな若い時のような脂ぎった 議論はしない。 昔の懐かしい思い出や時々キラリと光る時事論評が心を慰める。彼ら に会うとお互いに競争心とか虚栄心とかには無縁だった貧乏学生時代 の自分に帰って、なぜかゆったりとした落ち着いた気持ちになる。 純粋だったあの頃、あれから彼らも私同様、人に言えない人生の荒波 に翻弄されたことだろう。眉間のしわと薄くなった頭の白い毛、柔和な眼 差しがそれを物語っていた。 彼らはクロワッサンを美味しそうに食べてくれた。 |