町民大学第1回講義・「鎌倉密教」           12,02,21

    第1回から第5回までの講義の要旨と感想を記しておく。
   第1回講義、日時・講師; 2月13日(月) 神奈川県立金沢文庫主任学芸員・永井 晋氏

 ー講義の要旨ー
   武家の都鎌倉で展開した中世密教についての概説であった。
  鎌倉幕府が成立すると、源頼朝は遠い親戚の園城寺僧「円暁」を鶴岡社務に招く。以後、天台宗寺門派
  は鎌倉密教の最大勢力として活動する。寺門派の僧侶「公暁」の実朝暗殺事件以降、寺門派の勢力は
  衰え、対抗した真言密教・天台山門派が鎌倉に進出し、将軍護持の祈祷を繰り広げる。頼朝は鎌倉とい
  う閉じた世界の密教から脱却して、京都との人脈を形成して次第に京都朝廷への影響力を強めていく。

   鎌倉僧侶は将軍護持の祈祷をする儀式に精通しないので、幕府成立と同時に京都から高僧を招へい
  する機会が増加する。鎌倉における京都僧侶の勢力拡大につれて鎌倉僧侶は彼等が建てた寺門の弟
  子になり、その子孫は次第に京都の高僧のもとに修行に行く事になる。
  鎌倉末期になると、将軍と武家の都鎌倉の守護をする加持祈祷を、京都から派遣された僧侶と競い合う
  までに、鎌倉生え抜きの僧侶は成長する。また、鎌倉から京都に上がっていった僧侶は、鎌倉の武家政
  権とのつながりの強さを武器に、京都の政治や宗教に絡んでいった。鎌倉でも京都でも京都出身と鎌倉
  出身の勢力争いの構図が出来ていく。

   鎌倉の密教とは、既存の「天台・真言密教」に対抗する新しい「鎌倉新仏教」の成立ではなく、鎌倉時代
  も続いた八宗体制を将軍用に手直しして忠実に継承したものである。京都から見ると新たな勢力の誕生
  であり、鎌倉から見ると武家政権の力を背景に京都の体制仏教に食い込んでいったというのが「鎌倉の
  密教」という事が出来る。

 −感想ー
   予備知識がないとこの講義は聞いていてもなかなか理解するのが難しい。講師の先生の話し方も難解
  で半分も理解できなかった。勿論、私の頭脳が錆びついているのが主要因であるが・・・。帰路、文化財
  研究会のM女子が鎌倉時代考証にくわしいので補講をお願いし快諾を得た。研究会の他の聴講者も私
  同様に消化不良だったようで、M女子の補講に大賛成だった。
  70名の熱心な聴講生に触発されたか、得意の”いねむり”はとうとう発揮できなかった。補講といい居眠
  りしなかったことといい、思えばまじめな学生になったものだ。50年前の前歴が信じられない。