葉山の散歩道(7) ”長柄地区” ![]() そもそも葉山という名前の由来は何なのか、幕末までの支配者は誰なのか、維新前後 の激変の影響をどう受けたのか、私は何も知らない。歴史研究のプロを自称する識者に 聞いても判然としない。三浦一族の事や頼朝の事や鎌倉時代の石塔の事などを、あれこ れと解説してくれる人は多いが、直近の維新前後の葉山を知る人がほとんどいないのは 実に奇異なことだ。多分歴史を語る資料がほとんどないのが原因なのだろう。つい最近、 幼馴染に只一言、「葉山は天領だったのか」と聞かれて一言も返答できなかったのが今 でも耳に残っている。たかが150年前のことが判らないのである。つまり私はにわか勉 強していたつもりでも、大事なことを何一つ知らないうわべだけの歴史通に過ぎなかった のである。名誉挽回も含めて数少ない過去の資料を図書館で調べ、興味ある事実をい くつか発見したがそのことは後日紹介することにしよう。 さて、熱中症が懸念される灼熱の夏の日、文化財研究会の主催で葉山・長柄地区の 歴史探索のイベントがあった。参加者15名ほどの小グループになったが、結構熱心な 老人が多かった。この手のイベント参加者は油断がならない。歴史に精通している人、 仏像や神社仏閣に精通している人、樹木や野草に詳しい人、など実に多士済々である。 いい加減な返答は説明者の鼎の軽重を問われかねない。今日の案内と説明者は長柄 の住人でベテランのUさん。流石によどみなく説明して参加者を魅了していた。文化財研 究会きっての歴史通で80歳のベテランは、淡々とした急所を外さないガイドぶりで、内 に秘めた博識をおくびにも出さない奥ゆかしさが大いに参考になった。 逗子駅からバスで御用邸に向かってほぼ10分、長柄交差点で降りる。そもそも”長柄” と呼ぶ地名はかって源頼朝の平家打倒の一番手と謳われた長江太郎義景に因む由緒 ある地名である。鎌倉時代の長江氏の足跡を残す山深い静かな谷戸が、大規模団地や 逗葉新道、小中学校や公園などが作られてその姿を一変させた。さらに長柄から逗子 の桜山にかけて、4世紀頃と推定される大規模古墳が発見され一躍脚光を浴びている。 歩行順に沿って案内しよう。 1、長柄の庚申塔 バス停「長柄」で降りると笠原商店がある。この店の前に庚申塔がある。寛文9年(16 69)作。葉山の庚申塔では玉蔵院の庚申塔についで2番目に古い。三猿に性別を表し ているのが特徴。この庚申塔の横道の山道が逗子に向かう古道であったらしいがいま では通る人はない。 2、長運寺 逗葉新道沿いの旧道をしばらく歩くと長運寺に着く。 真言宗・景政山。開基;長江太郎義景。本尊;不動明王。三浦不動尊第25番札所。 この寺の貴重な文化財に「地蔵十王図」がある。江戸時代後期の十王への信仰を1尊 1幅に描いたもので、地蔵菩薩を入れて合計11幅。保存状態も極めてよい。毎年8月 16日に虫干しされるので閲覧のチャンスである。 3、御霊神社 まもなく御霊神社がある。 長江太郎義景が三浦党の家人となり、長江に居を構えると、三浦大介義明から「血胤を 重んじ、祖父鎌倉権五郎景政を祀れ」と指示され創建したと伝えられる。権五郎景政は、 後三年の役の剛健勇猛ぶりで名を挙げ、それは今尚語り伝えられている。伝説の武神 にあやかる1月の御備射(おびしゃ)祭の弓射式が今に続いている。 4、仙光院 真言宗・長谷山。本尊;11面観音像。三浦不動尊第24番札所。 逗葉新道ができて景色はすっかり変わったが、この辺りは京都嵯峨野に似た趣があり、 葉山八景の1つである「松久保の夜雨」と言われた地である。寺の入り口近くに安全地 蔵と子育て地蔵があり付近の人々の信仰が厚い。境内に地蔵堂があり、畠山地蔵と呼 ばれる地蔵菩薩が安置されている。廃寺となった長徳寺から平成15年に移設された。 畠山重忠が衣笠城を攻撃したとき、戦勝を祈願して建立したと伝えられている。等身大、 寄木作り玉眼入りで全身漆箔、鎌倉中期運渓の作といわれるが、運慶と同一人物との 言い伝えもある。国宝級の像だが、3度ほど修理されていて、体全体を白ペンキを塗る という心無い修理方法だったため、価値が激減して国宝にノミネートされなかったそうだ。 5、長江一族の墓 逗葉新道を横切り山奥に入ると、一面に棚田があり殿ヶ谷戸と呼ばれる場所に出る。 その一角に義景社とも義景大明神とも云われる長江一族の墓がある。社殿の裏側に やぐらがあり、その中に五輪塔が3基ひっそりと安置されている。鎌倉時代の武将・長 江太郎義景と子・明義、孫・義重の三代の墓である。長江義景は鶴岡八幡宮で開かれ る流鏑馬では常に第一番の射手を務める弓の名手だった。三代義重は三浦氏一族が 全滅の際に討ち死にして、その機にこの塔が建てられたといわれる。 6、福厳寺 長江一族の墓の近くに福厳寺がある。 臨済宗・殿谷山。開基;心満尼。本尊;聖観音菩薩。心満尼は鎌倉尼五山の筆頭、太平 寺の住職だったが、老後の隠栖所として長柄村にこの寺を建てたと伝えられる。殿ヶ谷 の「やぐら」に長江太郎義景と一族の墓と称せられる五輪塔があるがこの福厳寺はその 菩提寺である。また義景の奥方「みわ御前」の墓がある。 7、吾妻社 高台にある長柄小学校のそばに吾妻社がある。日本武尊と妃・弟橘姫が祀られている。 大和朝廷の命を受け、東国の経営のため派遣された日本武尊は、相模国から上総国に 向かう途中、鎌倉ー逗子ー葉山ー走水ー上総へと辿る。途中の道筋に武尊を慕って祠 を建てたのが吾妻社と呼ばれている。葉山には滝の坂にも吾妻社がある。 8、森戸川上流 自然が目前に迫るような風景を楽しむ事が出来る。この森戸川上流は「神奈川探鳥地 50選」の1つである。二子山山系で三浦半島の中心部をなし、貴重な自然を残している。 野鳥や野草の宝庫で、陛下ご家族や堀口大學などの著名人がこよなく愛した散歩道で ある。 9、本立寺 日蓮宗・長栄山。本尊;一塔両尊四士。明治22年の火災で寺歴を示す資料はすべて 焼失した。現在の寺は明治33年に再建された。本立寺と仙光院の間に切り通しのよう な小道があり、昔は長柄と逗子を結ぶ古道だったと思われる。 10、長柄・桜山古墳群 長柄から逗子桜山にかけての山間に第1号墳と第2号墳がある。平成11年に発見さ れた。推定4世紀後半の完成当時は海からの目印になっていたと思われる。葉桜団地 からと逗子の徳富蘆花記念館からの2ルートがあるが、散歩道からは遠い。 ー長柄の散歩は終わり。ー |