ミミズの戯言37、ー第6回後藤新平賞ー。   12,09,02

   「後藤新平賞」という賞があることを初めて知った。後藤新平は私の祖父の生家である岩手県
  水沢市(現奥州市)の出身であり、若いころ医者としての経歴があって、医療としての海水浴の効
  果を説き、自らもわが葉山町の森戸海岸近くに広大な別荘を持っていたので特に親しみがある。
   先日も我々の別荘調査で後藤新平の別荘エリアがさらに広いという、町史を塗り替える新発見
  をしたばかりだった。「大風呂敷」といわれながら関東大震災後の東京都の復興計画を推進し、
  今の東京の道路や区画はほとんどこの時の後藤の計画が活かされたものである。100年先を見
  据えた先見の明があったといわれる所以である。

   7年ほど前に、後藤新平生誕150年を記念して藤原書店の肝いりで錚々たる発起人達が集まり
  「後藤新平の会」を立ち上げている。混迷する現代こそ100年の先を読む後藤新平のような人物
  が必要だとの思いから「後藤新平賞」が設けられ、今年が第6回になるのだそうだ。

   その「第6回後藤新平賞」の今年の受賞者が細川護煕元首相(箱根CC理事長)に決まり、7月
  15日に学士会館で授賞式が行われた。(学士会館はその昔、私が結婚披露宴をやった場所な
  ので、特に懐かしい。)
  
   当日はご本人は所用で欠席されたので、かわって佳代子夫人が授賞の挨拶文を代読された
  が、ある縁でこの細川さんの当日の挨拶文原稿を入手できた。
   示唆に富んだ細川さんらしい謙虚で含蓄のある挨拶文だった。授賞理由は今精力的に進め
  ている「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」の活動が、日本の将来を見据えた優れて先見性
  のある活動で後藤新平賞にふさわしいと評価されたことにある。このプロジェクト活動の概要は
  既に7月22日付けのHP小欄 「箱根CC開場記念杯」 に記してあるので重複を避ける。

   挨拶文は非常に含蓄に富んでいるので少々長くなるが、できるだけ正確に要約する。

  1、受賞の心境
   小学校の時から晴れがましい場所は苦手だった。学芸会のある日はいつも腹痛で欠席して
  いた。家内への遺言でも決して叙位叙勲とかいう話は受けてはならないときつく申している。
  今回も堅く辞退したがご迷惑をおかけするので恥を忍んでお受けすることにした。

  2、跡なき工夫 
   寒山の詩に「十年帰り得ず、来時の道を忘却せり」というのがあるが、同じような意味で好き
  な言葉に「没蹤跡」(ぼっしょうせき)という言葉がある。自分の足跡を滅し去って跡を残さずと
  いう事です。足跡を残さない「跡なき工夫」こそ、私が先人から学んだ一番大事なことの1つで
  す。
  (※ 細川さんのこの考えには私も共感していますが、私流にいえば、過去の足跡は振り返ら
  ない。過去の足跡を他人がどう評価しても一切の弁明をしない。弁明も自慢もすべて無意味
  である。自在に忘れる事。と理解しています。)

  3、本質をつかむ
   息子はプロの陶芸家だが、どういう訳か素人の自分の造った物のほうが高く売れる。絵でも
  何でもそうだが、凡そ芸術というものは、その本質をつかむということが一番肝心要の事だと
  思う。多くの絵描きは春の絵を描くというと柳や梅やスモモの形を描くことに心を奪われて、
  肝心の春を描くことを忘却している。物事の皮相のみを見て本質を見ていないということは、
  往々にして政治でも経済でも芸術でも、すべての事に言える。
  (※ 私は若いころ、T社の豊田英二会長の講演で、「本質は何か」をいつも考え心掛けること、
  あちこちで起きる雑多な現象に目を奪われて、その奥にある本質を見失わないことが肝要だ。
  と教えられ、爾来自分の座右銘にしてきたが、それと全く同じ言葉を久しぶりに聞いた。)

  4、物質的な豊かさへの疑問
   哲学者の梅原猛さんも云っているが、3,11の大災害は「文明災」といえる。科学技術の進
  歩が即ち人間の幸福だという妄想に囚われてはいなかったか。物質的豊かさと便利さを追い
  求めることに汲々として、果たして我々は昔より幸せになったか。半世紀前に比べて日本の
  人口は1,5倍しか増えていないのに、医療費は2,300億円から36兆円と実に150倍も膨らんで
  しまった。現代文明のどこかに狂いが生じていないか。
   今改めて強く思っている事は「生きるためにいったい何が必要で、何が必要でないか」です。
  自分の身の回りを眺めると、ほとんど生きていくのに必要のないものばかりなので、一生懸
  命に身辺整理に心掛けているところです。
  (※ 文明の利器、利便性の追求を生涯の仕事にしてきた私にとっては耳が痛い話です。)

  5、福島原発4号機
   自分はテレビも新聞も見ないが、大変気にかけているのが福島原発4号機の問題です。
  4号機の原子炉が再び地震や津波に襲われた場合、地上30mにある使用済み燃料プールが
  崩壊し、チェルノブイリをはるかに超えるセシウムが放出される可能性が高い。
   実はあの事故直後、貯蔵プールの水が無くなって大量の放射能が放出される強い懸念が
  あったが、意外なことにプールにはまだ水が残っていて幸い大惨事には至らなかった。
   あとで分かったことだが、4号機では当時大型構造物の取り換え工事が行われていて、普
  段水のないところまで水を張って工事をしていた。しかもその工事が不手際で工期が遅れて
  いた。その神風と云ってもいい偶然が幸いしなかったなら、この日本という国は放射能の灰
  に埋まって終わっていたかもしれないと考えると全く慄然とする。
   この超重大問題の4号機の対策を一刻も早く解決しなければならないが、野田首相は4号
  機にしても大飯原発にしてもどうも自分とはだいぶ認識が違うようだ。
  (※ 全く怪我の功名というか、偶然の幸運に慄然とします。皆さんはご存知でしたか。)

  6、「瓦礫を活かすいのちの森プロジェクト」の立ち上げ。
   84歳の今日まで、木を植えること一筋、世界中に4千万本の木を植えてこられた宮脇昭
  横浜国大名誉教授こそこの賞を受けるにふさわしい方です。
     ・・・以下このプロジェクトの趣旨や概要説明なので省略・・・
   瓦礫を埋め立てなどに活用するのは何も新しいことではない。横浜の山下公園は関東
  大震災の瓦礫の活用だし、ドイツのベルリンやミュンヘンの広大な森は第2次世界大戦の
  爆撃によって壊れた建物や戦車の残骸を埋め立ててできたものです。
   私たちはこの「いのちの森プロジェクト」で今後10年間で常緑照葉樹9000万本、青森から
  福島までの300キロに及ぶ森の長城に植樹しようと壮大な計画を練っています。どんぐり
  拾いから始まってポット苗まで育てたものを、日本中の子供やお年寄りまで、それぞれの
  思いの詰まった瓦礫に鎮魂の思いを込めて植樹しようという、まさに国民総参加の素晴ら
  しいイベントになると思います。震災から立ち上がっていく日本のシンボル的な事業になる
  ことでしょう。
  
  7、本日欠席のお詫びと感謝(省略)
                                       以上

   震災で発生した瓦礫の埋め立てを引き受ける県や街が少ない。総論賛成、各論反対、
  わが町だけは嫌だという国民性なのでしょうか。この「厄介者」「嫌われ者」の瓦礫を貴重
  な資源として活用し照葉樹を植樹して緑の一大防潮堤を築こうというのです。この逆転の
  発想に大いに感銘して知人・友人に協力を呼びかけています。多くの賛同者がいて協力
  してくれています。一口500円です。詳しくは下記のアドレスにアクセスしてみて下さい。

         MAIL; info@greatforestwall.com
         URL; greatforestwall.com
         TEL;  03−3273−8851 「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」事務局