ミミズの戯言20、−囲碁遍歴その8       10,09,18

    囲碁の薀蓄(うんちく)を少々。
   囲碁は盤上に白黒の碁石を並べるから2次元の世界のようだが、感覚的にはこれに「深み」が加わる
   3次元の世界である。碁を打つ人にはなんとなく納得できる。しかし呉清源は囲碁は4次元の世界、宇
   宙の感覚だ。というからおよそ哲学的で、凡人には到底理解できる世界ではないのかもしれない。
   (時間の観念が入るのだろうと私は勝手に解釈している。)

    囲碁は打つ人の性格を正直に映し出す。接近戦の好きな人と柔らかくかわす人。地に辛い人と厚み
   の好きな人、それぞれ長所と欠点があり一長一短でどちらがいいとも云えない、つまりはその人の性
   格を表している。前者はおおむね喧嘩碁とか力碁のタイプで、後者はスマートで上品な筋のいい碁と
   言われる。喧嘩碁の好きな人は力はあるがかわされて空振りする弱点があり、上品な碁の好きな人
   はおおむね力が弱く競り合いに弱い。プロの囲碁を見ていると、意外に女子のプロ棋士は喧嘩の好
   きなタイプが多い。本質的にゲンナマが好きで欲張りだから喧嘩になりやすいのだろう。「程よい分か
   れ」を選ぶ棋風の女流棋士には滅多にお目にかかれない。親交のある梅沢由香里女流棋聖もどちら
   かと言えば「キッタハッタ」が好きなタイプの一人である。

    どちらのタイプにせよ大事なのは碁の筋、急所を的確に突く力、つまりは棋力である。筋のいい人は
   碁の形を重視する。打つべき場所にビシッと決められると相手は痺れてしまう。しびれる場所に決めら
   れるかどうかは打ち手のセンスで、決して強引な力ではない。しかしアマチュアは概ね筋の悪い人が
   圧倒的に多い。

    かく言う私も筋の悪い碁、つまり地に辛い力戦派で、あまり褒められたものではない。また、一応の
   定石は知っているが、どの定石をどの局面で選ぶべきかという選択のセンスや、中盤の着手、即ち
   これから碁の形をどうデザインして相手を誘導していくかという戦略的センスが劣っていた。この壁を
   乗り越えて自分の碁を力戦派から脱皮させる、つまり棋風を変えることが出来るかどうかが、上達の
   鍵だと自覚していたのである。

    Yさん、後の義父との数知れない対局でも結局棋風を変えることは出来ず、相変わらずの武闘派
   だった。時を経て、義父と義兄弟に当たるKさんが登場する。Kさんは義父よりも数歳年長の温厚な
   紳士だが、囲碁は義父よりも一日の長があった。私が義父に定先で、義父がKさんに2目の手合い
   だった。このKさんの棋風が素晴らしかった。いわゆる筋のいい、形を重視する囲碁で、飄々とした
   対局姿勢と相俟って私は完璧に魅了された。Kさんの碁を拝見するうちに私は”あるひらめき”を感じ
   て、その後囲碁の参考書漁りや講習会などに頻繁に行き始め、Kさんを追いかける囲碁の修行を再
   開することになった。棋風の転換である。

    昭和44年、義父は日本棋院から3段の免状を取得した。棋院の知人の推薦らしい。その時ついで
   に私に無断で、私にも初段の免状を取ってくれた。「義父に定先だから」と言うことを棋院の知人に説
   明したらしい。免状の取得料が高いので初段にしたよと義父に言われて、喜ばしいような、不満のよ
   うな、複雑な気持ちになったことを覚えている。不本意だが、尾上町の3段格はとうとう10年後に初
   段の免状持ちになった。桐の箱に入った立派な和紙に麗麗と書かれた免状は流石に格調高かった。

    これに奮発して数年後、研鑽の甲斐あって日本棋院八重洲支部の”段級位認定囲碁大会”で名実
   ともに3段に、続いて平成9年、4人抜きを成し遂げて4段の免状を無料で取得することになる。しかし、
   お互いに切磋琢磨した義父は残念ながらその少し前に幽冥を異にしてしまっていた。初段免状には
   「手段漸進・・」(ようやくすすみ)と書かれているが、4段免状には「手段愈熟・・」(いよいよじゅくし)
   と書かれていて歴然とした違いがある。この違いを義父に見せたかったが時既に遅かった。

    Kさんは90歳になろうとしているが、いまだに矍鑠として囲碁を愉しんでおられる。上品で華麗なう
   ち回しは相変わらずで、6段とお聞きしているが、最近は流石に棋力の衰えを嘆いておられる。私と
   の対局をいつも心待ちにしておられ、お伺いして秘蔵の名盤の前に着座すると、いつも心洗われる
   思いがする。


                   −次回はいよいよ最終回、会社生活と棋友