ミミズの戯言13、−囲碁遍歴ー   10,09,06

   山本周五郎の長編小説といえば、「樅の木残った」「ながい坂」「虚空遍歴」が代表的な本格長編小説
  であろう。「虚空遍歴」は、才能ある若い浄瑠璃師の芸を極めようとする苦悩を描いた力作で、挫折を繰
  り返して遂には志半ばで病魔に倒れるという、ハッピーエンドにはならない重厚な作品構成になってい
  る。遍歴という題名が妙に気に入っていたが、自分の遍歴では囲碁くらいがふさわしかろうと思うので、
  唐突ではあるが、私の半世紀を越える囲碁遍歴を振り返って拳拳服膺(けんけんふくよう)に努めてみ
  たいと思う。挫折を繰り返した囲碁歴だったので、「虚空遍歴」に似て「囲碁遍歴」と呼ぶににふさわしか
  ろうと思う。少し長くなりそうなので、数回に分けて記録することになるだろう。

   私の囲碁歴は小学生の頃に遡る。近所に住む「ガラス屋のオンツアン」ことSさんは亡き父と親しかった
  方だが、ザッコ(雑魚)釣りと囲碁とパチンコが大好きな好々爺で、家族ぐるみで大変可愛がって頂いた。
  町の収入役も勤められた教育熱心で温厚篤実な方でこの方無しで我が家は語れない。
  囲碁など何も判らないのに、学校から帰るとすぐにSさん宅を訪問して、SさんとSさんの好敵手の対局を
  覗く習慣がついた。対局する大人の顔を見ていると、しきりにぼやいたり、囲碁の格言をぶつぶつ言って
  は負け惜しみをいうのが面白く、そのうちに好奇心が沸いて囲碁を教わるようになった。小学校5〜6年、
  11〜2歳のころであろうか。囲碁との出会いである。夢の中でシチョウで追いかけられて冷や汗をびっし
  ょりかいたことや、おなじく夢の中で、ゲタで相手の石を取ることを発見して思わず夢から覚めたのも当
  時のことである。

   師匠Sさんは当時の田舎2級だったと思う。今思えばあまり筋がいいとはいえないが、師匠に星目置い
  て始めたので13級といわれた。中学1〜2年、次第に上達して師匠とほぼ互角の腕前になったころ、
  連れられて町の碁会所に通うようになった。集まってくる見知らぬ囲碁好きの老人達と、こわごわ武者
  修行対局ををするようになり、次第に一人で碁会所の門をくぐるのが平気になった。この町の囲碁熱は
  田舎にしては相当なもので、県代表クラスの若手の実力者(サデンのアズマちゃん)もいて、薄暗い16
  畳ぐらいの座敷で、強豪の対局を憧れの眼で観戦したものだった。当時の私の棋力は7級から始まって
  中3で1級まで。それでも10級クラスの老人に数目置かせて快勝すると無上に快感を覚えたものだった。
  その意味では子供らしくないサディスティックな一面があったのかもしれない。

   伸び盛りの子供とあって次第に上達し、格上の老人に目をかけられ数目置いて指導を受けたことや、
  初顔の互先で、和服姿の町の名士にいきなり天元に着手されて仰天したことなどがつい昨日のように
  思い出される。しかし戦後の厳しい時代のこと、今時の子供のようにプロの先生に習うでもなし、定石
  の習得に努めるでもなし、ただ筋悪のヘボ碁打ちのおじさん達と実戦で打つだけなので所詮強くなれ
  る筈もない。初段にもなれない田舎1級どまりの少年にすぎなかった。しかしあの薄暗い碁会所で戦っ
  た、政界の小狸こと広川弘禅に似たちょび髭の愛くるしい狸顔の好敵手のMさんの風貌や、並み居る
  「碁キチ」のおじさん達の面影を今は懐かしく思い出す。今から60年も前の出来事である。

                      −以下次号に続く