ミミズの戯言123、熱中症。 22,07,03 驚いたことに6月に早くも梅雨明けの発表があった。1951年の統計開始以来最も早い 宣言で、今年の梅雨の期間ははわずか3週間だという。 日本列島は猛暑であちこちで35度を超え40度も記録されている。子供のころに学校 で日本は温帯と習ったが、もう亜熱帯の国になったらしい。熱中症という言葉もなかっ たし気温30度は夏でも珍しかった。今では30度はざらになっている。外出は危険にな ってしまい今の子供たちはかわいそうだ。 他人事だと思っていたら5日ほど前から食欲もなく、吐き気やめまいがひどくなり、 歩くとふらふらするので医者に行ったら、軽い熱中症と診断され、入院するほどでは ないが当分水分をたくさん取り、部屋のエアコンを利かせて安静にするようにと言わ れた。 私は老人特有のエアコン嫌いで、自然の風が部屋に入り込むいわゆる涼風が好きだ。 しかし暑くても汗もかかずに暑さを感じない事が多くなり、体温調節がうまくいかず、 暑さを自然コントロールする体の機能が衰えているらしく、外出もしないのに熱中症に 見舞われたようだ。救急車で病院に搬送される多くの老人は部屋に籠って熱中症にな る人が多いという。幸い今は眩暈もふらつきも少なくなり小康状態を保っている。 気が付けば、最近は季節と季節の変わり目があっという間に過ぎ去って、まだ春だ と思っていたら、その余韻に浸る間もなく急に夏になったような気がする。 芽吹き始めた花芽に春近しを感じたり、ヒグラシの声に夏近しを感じたり、一陣の 涼風に秋近しを感じる、そんな季節の変わり目の感覚が、どうも薄れてしまったと思 わざるを得ない。 昔から日本人は時間の微妙な移り変わりの変化に敏感で、奈良平安の歌人はそこに 抒情・詩情を感じてきた。 例えば、夜から明るくなる夜明けまでの微妙な変化を順に「暁、東雲、曙、朝ぼら け、日の出」と5段階に表して多くの優れた歌を残してきた。百人一首にその多くが 残されているし、枕草子の冒頭は「春は曙、やうやう白くなりゆく山際少し明かりて」 から始まっている。漆黒の闇から少しずつ明かりが見え始める時を暁、日の出の直 前が朝ぼらけという訳だ。 このように季節や時間のゆるやかに流れる微妙な変化に日本人は敏感で、夜か朝 か、0か1かの白黒をはっきりさせる二者択一のデジタル的感覚ではなく、曖昧さを 積極的に容認する極めてアナログ的な感覚、それは現代の若者には失なわれつつ ある池波正太郎的な極めて日本的な感性が当時の風流人の主流だったといえる。 池波正太郎の小説全般に流れる思想は、人間と、それを取り巻く社会の仕組みの 一切が不条理の反復、交錯であるとし、この世は善人ぶった人が巨大な悪事を働き、 社会から悪党と指弾された悪人が人知れず善行を行う不条理な人間社会であるとし、 また、白と黒の中間にこそ真実があると認識する。私がひたすら池波を読むのは そんな池波流に魅了されているからにほかならない。 私のような古い人間にとっては、季節の移り変わりの曖昧さこそこよなく愛おしく 思えるのであって、春からいきなり突然夏になるのでは池波も吃驚、私の体も心も ついていけない。 春から一足飛びに夏到来では味気なく熱中症も発症しようというものである。 デジタル人間とアナログ人間の考察については、ミミズの戯言を書き始めた14年 前の08年の「ミミズの戯言1マジックアワー」をご参照ください。時あたかも麻生 政権が誕生する自民党総裁選直前の戯言です。 それにしてもミミズの戯言を書き始めて14年、駄文はもう123回にも達してしまった。 参照; 「ミミズの戯言1、マジックアワー。」 |