葉山の散歩道(5) 御用邸周辺。・・・@  11,06,29

   鐙摺から始まった堀内地区の散歩道も終わりに近づく。相模湾を右手に見ながら海岸道路を歩
  いていると、天気の良い日には、富士山、江ノ島、丹沢、箱根、愛鷹、伊豆の山々が美しく相模湾
  に映えて、高崎正風の「我が宿は 相模の海を池にして 富士大島を庭の築山」と歌った心境が
  よくわかる。贅沢を独り占めしたような気宇壮大な気持ちになる。皇族初め各界の名士がこぞって
  別荘を建てたのもむべなるかなである。

  1、しおさい公園
   御用邸の手前が、しおさい公園である。もと葉山御用邸の付属邸(旧澄宮邸=三笠宮邸)だった。
  関東大震災で被害を蒙った御用邸の修理のため、澄宮邸に御用邸を移され、大正天皇はここで
  静養されたが大正15年12月25日、全国民の平癒祈願もむなしく崩御された。ご滞在中の皇太
  子と同妃は直ちにこの付属邸で「践祚の儀」を執行され天皇の位を継承された。同日元号を「昭
  和」と定められ、ここに昭和は葉山より始まった。昭和59年、宮内庁より葉山町にこの付属邸が
  無料貸与され、「しおさい公園」と命名され町民に親しまれている。ここには昭和天皇が収集され
  た海洋生物の標本が沢山陳列されている。館長によれば陛下の生物の知識は世界的な学者の
  レベルで、その研究成果は世界が認める優れた論文(非売品)になっているとのことである。

  2、葉山御用邸
   日本における近代医学の基礎を築いたベルツ博士の進言により、英照皇太后の病後の保養と、
  病弱であられた皇太子(後の大正天皇)の転地療養を目的に明治27年1月に竣工した。昭和46
  年1月27日夜放火により焼失。再建を願う葉山町民の熱望により、昭和56年11月6日、現在の
  本邸が新築落成した。年に何度か天皇ご一家がお見えになるが、町民のお迎え、お見送りの光
  景は昔と変わらない。裏の海岸でご一家がよく木船を漕がれたり、散歩をして町民とお話をしたり
  して楽しまれている。昭和5年に逗子駅から御用邸にいたる直線的な行幸道路が完成して、葉山
  に行くルートは海岸通りと山手通りの2ルートになった。友人と共有している船外機付き7mの釣
  りボートは御用邸裏の海岸に保管しているが、最近は利用していない

  3、森山神社
   御用邸から行幸道路(134号線)沿いに逗子方面に進むと、左手に森山神社がある。この神社
  は奈良時代に良弁が創建したと伝えられている古い神社で、天正19年(1591)徳川家康より社
  領三石のご朱印を受けている。祭神は櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。 この神社では大
  変珍しい祭事が行われている。
    @行合祭(ゆきあいまつり)
   祭神の櫛稲田姫命は素盞鳴尊(すさのおのみこと)の妃。行合祭はその素盞鳴尊が、33年毎
  に逗子小坪の天王社から神輿で、妻に会いに森山神社に渡御される神事。この神事は1200年
  近くも続いているといわれ、最近では平成8年に行われた。従って次は平成41年に行われる。
   A世計神事(よばかりしんじ)
   300年以上前から行われている全国的にも珍しい作占いの神事。8月の例大祭の日に、滝の
  坂にある吾妻社でお水取りを行い、持ち帰って麦麹にこの水を入れて神殿内に収め、翌年の8月
  の例大祭前日に水の減り具合などから豊凶を占うという神事である。

  4、玉蔵院
   森山神社の隣が玉蔵院。真言宗。奈良時代の僧侶良弁の創建と伝えられる。明治元年に神仏
  分離令が出るまでは、玉蔵院の住職が森山神社の別当を兼ねていた。本尊;木造大日如来坐
  像。元禄14年鎌倉仏師三橋左京の作で、近世鎌倉仏師の作風を示す基準作として価値が高い。
  脇侍の不動明王立像と聖観音菩薩立像、虚空蔵菩薩坐像も一見の価値ある優れた仏像である。
  参道には町指定文化財の銀杏と榎が木立をなしている。海からの強い風を常に受けているため、
  風成樹の相を呈している。三浦33観音第25番霊場になっている。
  いよいよ我が家に近づいてきた。
                          ・・・続く・・・・・