葉山の散歩道(6) 御用邸周辺。・・・A 11,06,29 いよいよ堀内地区の最終回を迎えた。鐙摺から始まって三ヶ浦を経て元町、海岸道路を御用邸 まで歩き、行幸道路を逗子方面に戻ると葉山小学校・町役場に至る。ここに東伏見台邸宅地(通 称;伏見台)があり、我が家の住処がある。およそ全工程で徒歩2時間。天気の悪い時以外は、 元町から御用邸の1,5時間のルートが私の毎日変わらぬ散歩道である。時々鐙摺まで歩き、港 で行われる日曜日の朝市を覗いて美味しい朝飯を食べ、新鮮野菜を買って帰宅する。気持ちの 良い朝の散歩道である。さて仕上げに入ろう。 5、金子堅太郎別邸 玉蔵院を過ぎてすぐ、左の路地を入ると金子堅太郎の別邸のあった場所がある。今は住宅が 密集していてどの場所なのか特定できない。金子堅太郎は日露戦争の時、伊藤首相の密命を 受けて渡米し、ハーバードの同窓生だったルーズベルト大統領に接触してアメリカ世論を日本に 有利に動かし、早期終戦の斡旋を大統領に進めさせた功労者として知られる。堅太郎のお孫さん がお婿さんを貰ってこの近くで動物病院をしておられる。我が家の愛犬”ゴン”がお世話になった。 6、平松地蔵 玉蔵院から逗子方向に数分歩き、右手の小道に入ると高台に平松地蔵がある。かってここには 見事な松があって、滝沢馬琴は傍にある「八店」という茶屋でこの松を鑑賞した手記を残している。 明治の初めこの見事な松が枯れ朽ちてしまったが、その古根がまるで地蔵尊のようだったので、 当地に堂宇を建てて平松地蔵として祀った。ほかにもう一体同じ古根の地蔵尊があり、アジサイ 公園の傍の向原に祀られている。一般に平松地蔵というと向原の地蔵尊のことをいう。 7、東伏見宮別邸 道沿いに葉山小学校があり、消防署があり、町役場があり、この付近は町の行政の中心地で ある。小学校の隣が「あけの星幼稚園」である。ここは旧東伏見宮別邸で、今も建物はカソリック 修道院と幼稚園として使われている。明治期の宮廷洋風建築の雰囲気を保つ建物として、「かな がわ建築100選」にも選ばれている。皇族別邸がほぼ海岸沿いに建てられたのに対して、この 建物だけは大正3年に唯一山側に建てられている。山林や畑を含めると1万坪弱の広大な敷地 があったが、後年、建物の維持のために敷地の一部を土地開発業者に売却した。その土地は 「東伏見台邸宅地」と名付けられ私に住処となった。東伏見宮依仁(よりひと)殿下とご結婚され た周子(かねこ)妃殿下は、戦中戦後を通じて最も長く葉山に住んだ皇族として、町の公式行事 へのお成りは欠かせないものだったという。我が末娘はここの幼稚園にお世話になった。 8、アジサイ公園 少し横道に入るが、三ヶ岡という小高い山の中腹にアジサイ公園があり約3000株のアジサイ が植えられている。明治の頃、ここには堀内平山の名をとった洋風の「平山ホテル」があり、外 国人初め多くの人々に親しまれた。創業者の大阪商船勤務のルイス・ユンゲ氏の子女のマル さんが、昭和47年に葉山町にすべてを寄贈し、アジサイ公園として生まれ変わった。この高台 から見る相模湾は絶景で、多くの地元民の憩いの場となっている。 9、花の木公園 我が家から徒歩1分の我が家の庭のような公園。桜並木とツツジが植栽されていて春には 多くの見物客で賑わう。文教・行政の中心地。なおツツジは葉山の町の花に指定されている。 因みに鳥はうぐいす、木は黒松である。 ・・・・堀内地区の案内・終わり・・・ |