阿川弘之         08,08、01

   戦記物は元来それほど興味のある素材ではないが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれている日露戦争時の
  外交交渉には少なからず興味がある。

   私の住む葉山の森戸神社には海に面して2つの大きな石碑が立っている。
  1つは、日露戦争当時、政府の密命を帯びて渡米し、学友のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに日露講和の
  橋渡し役をやらせる交渉に成功した戦争終結の功労者、金子堅太郎の石碑。もう1つは旅順陥落後の奉天攻撃
  の鴨緑江軍司令官、薩摩の野人川村景明大将の石碑である。

   この二人の事跡、横須賀に現存する旗艦三笠、海軍参謀秋山真之の曾孫O代議士との奇縁など、葉山に住み
  横須賀に勤めた私にはなにかと日露戦争の話題に事欠かない。

   阿川弘之は海軍予備学生としての戦争経験から太平洋戦争の海軍を題材とした小説が多いが、とりわけ海軍
  大将の3部作「米内光政」「山本五十六」「井上成美」の伝記物が面白い。横須賀の料亭俗称「パイン」がしばしば
  登場するのも懐かしくほほえましい。米内光政が岩手盛岡、井上成美が宮城仙台出身なのも身近に感じるし、
  今は亡き会社のO先輩は、著書「雲の墓標」の特攻学徒の心情を、飲みながら熱く語ってくれたことも昨日のよう
  に思い出す。

   9;11の貿易センターテロの直後、鹿児島の知覧を訪れて、命の保障ゼロで飛び立った特攻兵士と、アルカイ
  ダのテロ兵士の「あい異なり、あい通じる心境」を推し量ったことも思い出す。戦争の語り部は年老いて数少なく、
  戦争の傷跡は風化して遠い過去の出来事になりつつある。私は戦前生まれでわずかだが戦時教育を受け、教
  科書に黒ぐろと墨を塗らされた記憶もある。8月15日のラジオも地べたにひれ伏して聞いた。終戦記念日を控
  えて「忘れてはいけない事、」に改めて気が付く。

   「人は2度死ぬ。一度目は生命の停止。2度目は人々の記憶から消えた時。」だ。記憶にとどめる大切さと、
  伝え継ぐ語り部の尊さを忘れまい。


    蔵書リスト

     その1、        その2
      1、春の城      7、志賀直哉(上)
      2、雲の墓標      8、志賀直哉(下)
    3、米内光政      9、食味風々録
    4、山本五十六(上)      10、酔生夢死か起死回生か
    5、山本五十六(下)      11、大人の見識
    6、井上成美